第ニ傷 鬼になって

暗い。最初に感じたのはそれだった。

そして、小鳥のさえずりが聞こえる。


「…はぁ。」


寝覚めに毎度の如くため息と共に現実へと引き戻される。


また目を覚ましてしまった。

そう落胆しながら、俺はうっすらと目を開く。


やけに嫌な夢を見た気がするが、こういった夢は思い出そうと思ったところですぐに忘れてしまう。

とにかく嫌な夢だったということだけを覚えているのだ。


開かれた視界には風化した木造の床とその上に散らばる砂埃やらがやけに鮮明に見える。


「ん…」


何故か体の所々が痛い。

とは言え、動かせないほどではない。

そういえば昨晩、ここで棒のように倒れたんだったか。


床に手をつき、起き上がる。

まだ明るさになれない目を手の甲で擦る。


いったいどれほど眠ってしまっていたのだろうか。

重苦しい体をのそのそと動かし、障子に手をかけて開くと太陽はすでに社の直上に位置していた。


「…。」


振り返ると埃を一部晴らした床や開けっ放しの箱が祭壇に置かれているのが目に映る。


自死を決意し、社へ侵入し、おかしな石に触れて…それから…


『何かに睨まれている。』


昨晩起きた出来事を思い返そうとした途端、あの感覚を思い出した。

背中から嫌な汗が吹き出す。背筋には氷をそっと宛てがわれたような気持ちの悪さが鈍く伝わる。


しかし、周囲を一瞥いちべつしたが特にそれらしい気配はない。


雑に開けられた木箱。

昔は手入れされていたであろう風化した祭具の数々。

至る所に散らばる埃たち。


穴だらけの障子と開き掛けの隙間から拝殿の中へと太陽の光が差し込んでいる。


「気のせい…なのか?」


この場所に魔物はいない。

その考えは少し甘かった。



「魔物」


そう聞いて子供の頃は犬や猫のように話の通じない獣を想像していたものだが、少し違う。


『魔物』


それはただそこに存在するものや、不可解な行動をとるもの、生物としての成るべき基本を外れたもの。


特性がいくつかあれど、それは人知を超え、行動やその生態、発生源等が不明、不確定なものを、人々は総じて『魔物』と呼んでいる。


知性を持ち、人を騙したり、言葉を話すような魔物も…


とにかく魔物は沢山存在していて、どれも生物と呼ぶには一線を画しているのだ。


だから昨日、俺の元に魔物が現れていたのだとすればそういう不可解な行動も理解出来る。


確か、人の死に目にだけ現れる魔物もいるという話を祖母から聞いたことがある。


「まぁ、なんにしても…」


まぁ、なんにしても俺は殺されなかった。

いや。言い方を変えれば。



「死ねなかった。」



帰るか?

まだ村の人達は気が付いていないだろうし穏便にことを済ますなら村に戻って何事も無かったように今までとおなじく生活を…




いや。無理だ。

俺には金も。人望も。

そもそもあの村の人達に頼る勇気もない。

それに俺は…


「もう他人と関わるのはごめんだ。」



「お父さん…。お母さんは…?」


「…。」


幼い自分でも、多少は理解していたつもりだった。

俺の住む村は、俺が幼い頃に魔物に襲われた。

母はきっとあの恐ろしい魔物たちのどれかに襲われ、息を引き取ったのだと。


今は存在している簡易な防壁も、あの事件があってから作られたものだ。


あの頃は遠方からやってきた討魔師とうましが村の守護を言い渡されたらしく、村やその周辺を管理し守ってくれていた。


討魔師とは読んで字の如く、魔物を討伐する役割を担う人たちのことだ。


遠く離れた大きな町の一角に存在する大きな神社で修行を積み、特別な道具や技術、更には魔物でさえも使役するなど、様々な方法で魔物を討つ人たちを俺の村ではそう読んでいる。


多くの討魔師は自ら志願し、その地区へ赴いて修行を積む。


晴れて1人前になったものたちが隊を組み、各地域の守護を言い渡されるのだ。


初めの頃は魔物の襲撃に脅えていた村人たちも「やっとこの村にも討魔師が…!」とか「安心して生活ができる…!」とか言って快く討魔師たちを迎え入れていた。


しかし、討魔師といえども見返りもなしに命を張る善人ばかりではなかった。


それに気づいたのは彼らがやってきて数ヶ月の月日が経った頃だった。


度々、村の食料や酒を蔵から盗み出す者もいれば、やがて堂々と村の人達の食料、物品を奪う者まで現れた。


村人たちは、気付いてからも初めこそ守られている立場ということで我慢をしていた。


しかし、人の我慢には限界という物がある。


討魔師の愚行に対し、多くの村人たちは腹を立てた。


当然だと思う。それから村人の中の若い衆が集まり、ほとんど全ての討魔師を村から追い出した。


しかし、村を追い出された討魔師は、はいそうですかと帰る訳にもいかない。


守護を言い渡された地区から追い出されたとなれば討魔師としての仕事どころか、例の神社の仕来りでは罪人扱いとなりその命を奪われてしまうからである。


悩んだ末に追い出された討魔師達は魔物を村へと誘導し、村を消すことで「必死に戦ったが、自分たちでは村を守ることが出来なかった。」という大義名分を作り出そうとした。


そしてその日、事件は起きてしまった。


村人たちが寝静まった新月の夜。

地響きが体を揺らし、不穏な空気を感じた俺も目を覚ました。

父と母は俺に外へ出るなと釘をさして外の様子を見に行った。


あとから聞いた話によれば、村に残っていた善良な討魔師は村のために必死に戦ったらしい。


必死に戦い、その多くは殺された。


魔物ではなく。






____魔物の後を付けてきた『討魔師達』によって。






人間の行動理由なんて不明確だ。

今ではそれもよくわかる。


きっと、後に俺が見たあの火も追い出された討魔師達によるものだ。


追い出された奴らが思ったよりも村に残った討魔師の力が凄まじく、また自分たちが人を守る存在であるという思いが強かったのだろう。

魔物の大半は村に残った討魔師によって討たれていた。


だから追い出された討魔師たちは残った村人たちを善良な討魔師諸共、口封じのために火で焼き殺そうとしたのだ。


そこへ1匹の大型の魔物が現れ、運良く追い出された討魔師の集団を食い散らかした。


その後、魔物は忽然と姿を消したらしい。


やがて、幸運にも降り始めた雨により火も鎮火し、この事件は終わりを告げた。



今思えば、俺はどちらの気持ちもわかる。


命を張るのだからとそれ相応の見返りを求める気持ちも。

命を守って貰えるからとはいえ、罪を犯す者を許せない気持ちも。


そんな相反してしまった正解のない人間の不和が産んだ事件だ。


そして。

俺の母親は、その事件に巻き込まれた。


「ねぇ、お父さん。お母さんは?」


「すまん。流初人るうと…すまん…」


しばらく泣き腫らした後、父は力なく手を上げ、指を立てた。


父の指す方向には、まだ新しい血が滲みだしている畳の上に、乱雑に置かれた肉片が転がっていた。

鮮血の香りがキツく、雨の匂いと混ざりあって吐き気が込み上げてくる。


「…嘘だ。」


「すまん…俺には…守れなかった…。」


父は、真実を教えてくれた。

幼い俺にとってそれはきっと毒だった。


けれど、俺はそれで父さんを憎んだりしてはいない。だって、父さんがあんなに泣いているのを後にも先にもあれ以来見たことがなかったから。


けれど、俺の心の中ではよく分からない様々な思考がぐるぐると渦を作り自分の本心がどれか分からないように覆い隠してしまった。





「仕方ない」「臭い」「父さんも辛いんだ」「血…肉…」「母さんはもう居ない」「憎い」「どうしようもない」「仕方ない」「仕方ない」「仕方ない」「母さんはどこ」「どうしようもない」「死んだ」「仕方ない」



気分が悪くなり、視界が暗く落ち、そして俺は気を失った。



翌日、村長の「大宮おおみや」が指揮を取り、生き残った村人を集め、安易に討魔師を受け入れたことを謝罪した。


その後村人たちは結束し、死んだもの達への償いとして自分達の村は自分達の力で守るという誓いを立てた。

そうして復興作業は見る見るうちに進んだ。

まるで、初めから事件なんて無かったかのように。


しかし、村を取り囲むように作られた木の壁が、あの事件を今もまだ村人の記憶に留め続けている。




俺も大きくなり、父にあの日、母さんに何があったのかを何度も聞こうとした。


「父さん。あのさ。」


「すまん、今から仕事に出なきゃ行けないんだ。」


「ちょっと話が…」


「…。」


「いや。ごめん、また今度にするよ。」


「あぁ。」


父さんはあの事件以来、俺と距離を取るようになっていた。あの日のことを俺が覚えているのを気にかけているのか。それとも自分が記憶の奥底に沈めたあの日のことを思い返したくないのか。

距離を取り始めたのは父さんだけじゃない。


俺もだ。

俺もずっと、父さんの顔が見れずにいた。


互いに、過去のことについて触れ、傷つくことを恐れた。だから互いに距離をとった。


俺はあの日母さんに何があったか、わからない。

けれど、きっと父さんは知っている。





『魔物』なんてよく言ったものだ。


人間だって十分。

いや、人間のほうが…












____魔物じゃないか。










拝殿から出た。

あの場所は落ち着く。

しかし、昨晩のことを思い出すとどうもまだ居心地が悪いような感じがした。


相反した2つの感覚に耐えかねた俺は森の中を散策することに決めた。


皮肉なことに森や劣悪な環境で「生きる」ための知識は周りの人達に嫌という程教わった。

何人かは気付いていたんだろう。

俺がタイミングを見つけて消えようとしていることに。だから…。


俺はまず小川へと向かった。

面白いことにこの付近に小川があることなんて少しも知らなかったのに、俺はほんの微かに聞こえる水の音がいつもより鮮明に聞こえ、その方向へ歩いた。


やはり近づく事に水の音はよりハッキリと聞こえ始めた。

草原をかき分け森を抜けると小さな皮が山の方から流れてきていた。


溜まり水よりはマシかと思い、手で水を掬いあげ口へ運ぶ。

乾ききった、口内、舌、喉を伝い胃の中へと水が流れ込み染み込んでいくのを感じる。

もう一度飲もうと手を水へ着けた時、俺は気づいた。


「えっ!?」


思わず声が漏れる。誰もいないことは分かっていても周囲を警戒し、恐る恐る再び自分の手へと視線を向ける。


「えっ…なんだ…これ…」


俺の手はいつも見るそれより一回り大きくなっており、爪は黒く変色し、研いだ覚えもないのに異常に鋭く尖り、暗く輝いていた。


唖然とし、しばらくしてもう一つあることに気がついた。

川の上を滑り、こちらへと流れる風。


その風は通常俺が感じることのない部位に当たる。


見なくてもわかる。自分の体なのだから。

しかし、触ることでその違和感を明確にするため、俺は手を額へ。


確かにそれは俺の額に存在していた。


硬い、筒の様な。それにこれに触ると酷く気分が悪い。初めはコブかと思った。しかしそれは触れれば触れるほど額から伸びていき、最後には鋭利な先端が指先に触れる。


イメージを膨らませるほどにそれはひとつの想像へと行き着く。


「つ…角?」


口に出して馬鹿馬鹿しく、まるで冗談のように感じた。

多分、頬は引き攣り笑っていたと思う。


そして我に返ると普段あまり喋らない俺も自分が割と大きな声を出したことに1人で少し後悔した。


暫くはその場で自分の額に生えたそれをまさぐっていた。

まだ夢でも見てるんじゃないかとさえ本気で思った。


川へと身を乗り出し、自分の顔を見ようとするが水面は常に程よくふく風で綺麗に映らない。だが、そこにぼやけて映っている影は間違いなく…


「鬼…?なんで…?」


今更気がついたが、掛けていたメガネはあの拝殿に置きっぱなしなのに視界が鮮明だ。それにこの小川の音が聞き分けられたのだって。


考えれば考えるほどに自分の体はもう元の体では無いのだと感じさせられた。



そうやってしばらく思案して。

ひとつの結論に行き着く。





「____もう、どうでもいいか。」





今までの人生のこと。昨晩の行動のこと。今この瞬間のこと。

色々なことで俺の脳は考えることを放棄した。


第一に、鬼になったところでなんだと言うのだ。

村には元から戻るつもりは無かったんだし。

俺は死のうと思ってここに来たわけだし。

今更何が起きたところで関係ない。

例えそれが自分の事だったとしても。

どうでもよかった。



寧ろ、好都合にさえ思えた。

鬼の姿になったのならば、もう人と関わることも無くていい。

あの嫌な思い出の染み付いた村に戻る必要も無いんだから。


「…いいね。鬼。」


ずっと死ぬ事ばかり考えていたけれど、俺じゃない何かになったのならそれは如月きさらぎ 流初人るうとは死んだということと同義だ。


神様の粋な計らいといったところか。あの廃れた神社にもまだ神様はいたのか。

そう考えると昨晩睨んでいたのも神様だったのかもしれないと、そんな気がしてきた。


「…けて」


「…?」


不意に人の声が聞こえ、体が強ばる。


「…たすけて!!」


少し遠くから声が聞こえた。

必死な叫び声の中に聞き覚えのある声が混ざっている。







俺は…

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