傷鬼

るーと

第一傷 もし生まれ変わるなら

『もし、生まれ変わるなら』


そこまで綴ってから筆を置く。

少し見つめてから、再び思案し、溜息を吐く。


気づけば原稿用紙をクシャクシャに丸めて横に置いた。


昔から執筆が趣味だった。

思いや考えを綴ることが大好きだった。


けど俺は、その思いだけで物書きを始めた訳ではない。


というのも俺は気持ちや考えを口にするのが苦手で、自分の考えや言葉で相手を傷つけてしまうのではないかとずっと思っていた。


蝋についた火はメラメラと揺れ、時に隙間風が火を強めて音を立てる。


「はぁ…」


眼鏡を外し、机へ置く。

顔を覆い隠し、また溜息を吐く。


「疲れてるな、俺は。」


俺は他人が怖い。他人が何を考えているのか。

他人が自分のことをどう思っているのか。

自分という存在が迷惑では無いのか。

そんなことばかり考えてしまう毎日だ。


もちろんそんなことが杞憂で無駄な思案であるなんてのはわかっている。


けれど、昔から考え出すと止まらないたちなもんで…。


そんな俺は、もちろん行商人や技術者にもなれるわけもなく。



『男のくせに。情けない。』


なんて村の人たちに何度言われたことか。


『大人なんだから』


大人ってなんだよ。


筆を置き、天井を仰ぐ。

落ち着かなければ。



一昨日、金は尽きた。

全て自分の金というわけではなく、父の残した遺産がほとんどだ。

父はこの村の医者だった。だから多くの人に好かれ、頼られていた。

そんな父も辿った結末は死だった。

それも寿命なんかじゃない。自殺だ。


原因なんて知らない。けれど、この一家の辿る道はきっとそれというだけなんだろうな。

母も、父も、そして俺も。


蠟燭の火をふっと吹き消せば、途端にそこは月明かりだけが頼りの暗闇となった。


そんな暗闇の中でしばらく呆けていた。


盗みや人殺しができたなら、もっと汚い生き方が出来たならどれほど楽だろうか。


月明かりに微かに照らされた棚へと目を向ける。


「…いや、もういっそやってしまうか。」


隣の家へ盗みに入り、見つかってしまったら全員殺し、次の家へ。朝方になる頃には別の村へと走り、盗んだものを全て質屋へ入れる。そしてその村で飲み食いし、別の村へ。


体に黒い蛇のようなものが這い上がる感覚。

腹の中で大量の灰が舞い上がる感覚がする。


「…ははっ。」


なんてな。


そこまでして生きたいなんて思ったこともない。

だいたい、なぜ俺は生きているんだ。

産まれてしまったから生きているだけじゃないか。

みんなのように高尚な理由があって息をしているわけじゃない。


なら、そうだとするなら、きっと殺されるべきは…


まぁ、やり残したことも、未練もないのだから、まぁそれしかないわな。


立ち上がり、暗闇になれた目で手探りで棚を漁る。


その他多くを売り払っても、筆とこれだけは売らなかった。


それを手に取り、縁側へ向かう。

障子を開き、縁側に座り込む。

それを鞘から引き抜けばいやらしくつややかにきらめいた。





___俺はその日、自殺を決意した。





俺は、人間として群れて生きるのが難しかった。

産まれてからずっとそう信じてやまない。


人というのはきっと他人と接して生きていかなければ生きていけない。

他人に迷惑をかけ、かけられ。

そういうことを繰り返し縁を持ち、互いに助け合う。

人間とはそんな生き物なのだ。


そして俺はと言えば、人間のなりそこないの生命だ。

人と関わることが苦手、人と話すことが苦手。

傷つくのが怖い、傷つけるのが怖い。


だからこそ死んでしまって、次の世に。いや、次の自分に期待しようと思う。


一張羅の羽織を纏い、草鞋を履く。


門番も知らぬ隠れ道を通り、魔物を避けるための木造の壁を抜け、静まり帰った村を抜け出す。


月の綺麗な晩に、光も届かない森の奥へ赤髪は走った。


少し遠いが、この森の奥には死ぬのにいい社がある。


静かに人としての生を終え、誰にも見つからず、それ故に誰の迷惑にならない。


なんどか下見にいったが、あそこにはどんな魔物も寄り付かない。

だから自分の意思で死を選択することができる。



今まで、鳥居の前までは何度か立ち入っては居たが、毎度毎度思いとどまってしまい先へと進めなかった。


しかし、今日やっとその決心が着いた。


自分の歩の音と葉の擦れる音だけが静かな夜に鳴り響く。

気配を感じては避け、進む。


薄暗い森を進むと木々はいつからか晴れ始め、やがて石段の先に月に照らされた真っ赤な鳥居が見えた。


1歩、また1歩と石造りの階段を登り、鳥居の前に立つ。

苔に塗れ、ヒビの入った石畳の先に今まで何度も見た古びた社の全貌が見える。


何十年。いや、何百年と人が出入りした痕跡は感じない。


____こんなところにも神様がいたのだろう。


一礼し、鳥居を潜る。


信仰を失った神の末路を、この社は物語っていた。

境内には今にも崩れてしまいそうな拝殿が佇んでいる。


そこまで歩き、また一礼。


風化し、所々に穴の空いた障子の縁に手をかける。

木のザラザラとした感触が指に伝わり、気持ち悪い。


拝殿の中へ、開いた障子から薄暗い室内に月明かりが差込む。

障子を空けたせいで溜まっていた埃が舞い上がるのが月明かりに照らされてよく見える。


その光の先、部屋の中央に豪華さを失った埃まみれの灰色の祭壇が照らされている。


一歩踏み込むとギィと床の軋む音に、何かの鳴き声のようなものを連想してしまい少しばかり恐怖を感じる。


その祭壇の上には1つの木箱。

積もった埃が数百年という長い時間を物語っていた。


何故かは分からないが中央に置かれたその箱が異様に気になってしまい「どうせ死ぬのだから」と罰当たりなことを承知で箱を持ち上げた。


もしかすると、箱の中に自分を助けてくれる神器なんかが入っていて、村一番の魔物狩りになれるのではないか。

なんて、浅はかな期待を抱いていたかもしれない。


箱にまとわりついていた紐は箱が開けられないように括っていたと言うよりは装飾のように巻き付けられていただけのようで厳重なように見えた箱は案外簡単に音を立てながら開いた。


箱の中には月明かりを反射しているのかキラキラと光る石が見える。


宝石…というにはあまりに不格好。


どちらかと言うとその辺の岩から削り取ったばかりのような歪な形をしている。


箱から取り出してみると、随分長い間箱に閉じ込められていたはずのそれは先程まで誰かが強く握っていたかのような暖かさを保っていた。


「なんだ、これ…」


おかしなことに先程取り出すまでは鈍い青い色をしていたそれは瞬く間に赤色へと変わった。見間違いだろうか。

いや、しかし先ほどよりも熱が増したような錯覚すら感じる。


これがこの社で祀られていたものなのだろうか…?


「ん…?」


視界が揺れる。

何かがおかしいと思った時にはもう遅かった。


くらりと体から力が抜け、その場へ膝を着いて受け身も取れぬまま布切れのように倒れた。


体の感覚が鈍いのか勢い付いて床へ激突したと言うのに少しも痛くない。


「はっ…は…あ…」


声も出ない。呼吸すらままならない。

意識も段々と遠のいていくその感覚に俺は恐怖を感じていた。


死のうだなんて大層なことを言った割にやっぱりこういう突拍子もないことは怖いんじゃないか。


魔物にも襲われていない。他人に殺されたわけでもない。しかし、この奇っ怪な石のせいで…自分の意思で向こうの世界に行けないのは、少し悔しくもあるが…まぁいいか。


そうしてゆっくり微睡みに落ちていく意識の中、俺はとあることに気がついていた。







___何かに睨まれている。





視線がまるで熱線の如くこちらへ向けられているのを嫌というほどに感じる。


こんな真夜中、それにこんな場所だ。

人間がいるわけがない。


居たとしたらそれは恐らくそれはきっと人では無い。魔物はこの場所に入れないんじゃなくて、入らないだけだったのか。この視線の主を恐れて…?


黒く霞んでいく視界に映るのは、自分の掌から落ちた例の石が月明かりを反射する赤黒い煌めき。

そして、石を拾おうとする大きな手。


それを目にして俺の意識は蝋に灯された火のようにふっと消え去った。









「___お前のせいで、父上は!!」


絶叫。咆哮。

圧迫感と焦燥感に駆られるような雄叫び。


辺りに広がる生臭い血の香り。と土に塗れた絹の香り。


俺は咄嗟に口を塞ぐ。


が、しかし覆った手からも鉄のような香りがする。

それが血であるとわかった時にはもう遅い。


『喰え。』


まるで何者かに強要されているような。

まるで自分の体が自分のものでは無いような。


『喰え。』


「俺は…俺は…!!」


『喰え。』



一度ひとたび、絶叫を聞いた。

汗が滲み、なにか行動を迫られるその声。


二度ふたたび、思案した。

俺は?俺が何ぞと自身へと問いかける声。


三度みたび、囁きを聞いた。

食するという人としての概念を書き換えるその声。






「_____頼むからもう、やめてくれ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る