うそつき

武 頼庵(藤谷 K介)

うそつき




 私にはずっと好きな人が居る。


――でも、その人は嘘つきなんだ。


 私は、初めて自分が恋をしていると気が付いたのは、自分が女の子だと自覚し始めた頃の事。勿論それが初恋という事になるんだけど、それは小学6年生の時だった。


 ちょっとだけ家庭の事情で家事が得意な私、空野そらのすずめは、幼い頃に両親が離婚してお母さんと共にひっこしをし、それまで住んでいた所から少し離れた場所へとやってきた。


 もともと住んでいた所も関東圏ではあったけど、それほど都会という感じでは無くて、周りは自然もあったし、遊ぶところには困らなかったけど、引っ越した先は住んでいた場所から比べたら少しだけ寂しい感じがする街だった。


 引っ越してすぐにお母さんは仕事を探し始めて、それから夕方になるまではけっこう一人の時間も増え、自分で出来る事はしておこうという気持ちが芽生え始めた。実際にお母さんが働き始めたら、していたことが無駄にならずに済んだし、高校生になった今でも暮らしは変わらないけど、お母さんと一緒に楽しく暮らせているのだから無駄じゃなかったと思う。


 小さい頃は凄く辛かった。周りは両親がいる事が当たり前で、そんな中イベントがあるときは私にはお母さんしかいないから。それでも引っ越した家の近所に住んでいる同じ歳くらいの子達と仲良くなると、あまりそういう事を感じなくなったのだ。


――一番大きな事はに出会えたからかな?

 私の脳裏に一人の男の子の顔が浮かんできて、それだけでフフフって声が漏れちゃう。


 その男の事は引っ越してすぐに出会った。


「あれ?」

「え?」

 お母さんが仕事を探しに行っている間、私は一人で引っ越した家の近くにある公園で遊ぶようにしていた。家にいてもシンと静かな場所にいると、それまでは感じない『寂しい』という思いが溢れてしまうから。


 そんな思いをするのならと歩いて数分しかかからないので、一人で公園へと行き、その時に誰も遊んでいない遊具で遊んでいた。この時は文蘭子が丁度空いていたので、ぎぃぎぃと音を立てながら何を考える事もなくブランコを漕いでいた。


「おいおまえ……」

「ひっ!!」

 声を掛けてきたのは自分よりも体の大きな男子4、5人の集団で、引っ越してきたばかりの私にはもちろん知り合いもいないから、近づいてくル姿を見るだけで恐怖だった。


「ここは俺達の遊び場だぞ!! どっか行けよ!!」

「え!? で、でも……」

「あぁ? おまえ……見たこと無い奴だな……」

「…………」

 その中のリーダーと思われる男子がスッと集団から一人だけ早足で近づいて来る。私の恐怖が最高潮に達するかという時――。


「何やってんだよ……」

「あん?」

 男子たちのまたその後ろから一人の野球帽をかぶった男の子が出てきて、リーダーと思われる男子に声を掛けた。


「……健司か」

「何やってんだよ。ん? その子が何かしたのか?」

「あ、いや……」

 じりじりと後退していく男子と、いつの間にか私と男の子たちの間に入ってくれた男の子のやり取りが続く。


「そ、そいつが!! 遊ぼうと思ってたのに先に使ってるから!!」

「はぁ……そんな事かよ」

「し、知らない奴に先に使われてるんだぞ!!」

「……あのさぁ、お前ら明日も明後日もいつでも遊べるだろ? 俺は明日死ぬかもしれないんだぜ?」


――え? 明日……死んじゃうの?

 私はその時男の子がどんな表情をしながら言っているのか分からなかったけど、その言葉だけを聞いて心臓がドクンと強く打った。


「あはははは!! また嘘つき始めたな健司!! そんな嘘信じる訳ねぇだろばーか!!」

 リーダとの男の子が指をさしつつ笑いだす。それにつられて周りの子達も笑い出す。


「あはははは!! ばれたか!! まぁそう簡単には死ぬ訳ねぇだろ? そんな事よりも」

「な、なんだよ!!」

「女の子一人しかいないのに、お前達ちょっと情けないな」

「なんだとぉ!!」

「ばぁか。一緒に遊ぼうぜ!! その方が楽しいだろ?」

「お? お、おう……。まぁ、健司が言うんじゃ……」

「良し!! なら何する?」

 私が何も言わないでいるのに、淡々と決まって行く状態にちょっと驚いた。


「なぁ……」

「え?」

 リーダーを中心にして男子は既に何して遊ぶかを話し合っている。そして前を向いていた男子が私の方へと振りむいた。


「俺、斎藤健司さいとうけんじって言うんだ。君は……?」

「え? えっと……空野……すずめ」

「すずめ?」

「うん」

「あの飛んでる?」

「……うん」

「そっか……すずめかぁ……。可愛い名前だな!!」

「っ!?」

 野球帽から見える短く整えられた黒髪と、それまで大きくクリッとしていた黒い目を少しだけ補足しながら、私にニコッと笑顔を向ける。


「よろしくな!! すずめ!! いっしょに遊ぼうぜ!!」

「う、うん」

「おぉ~い!! この子すずめって名前なんだってさ!! いっしょに遊ぼうぜ!!」

「あ、ちょ、ちょっと!!」

 それまで座っていて、恐怖に震えながらブランコのひもを掴んでいた腕を掴むと、そのまま引っ張られながら歩き出す。


 それから男子たちに混ざって、夕日が沈むまで一緒に遊んだ。遊んでいる間に集団の人達から謝られたり自己紹介されたりして、その度に私も改めて自己紹介した。


――健司……君か……。

 そんな小さい時の出来事。

 

 私はこの時に健司に恋をしたんだと思う。




 転校した学校は楽しかった。偶然ではないよね。だってその辺りに住んでいる子達は皆近くの学校へ通うのがあたり前なんだから。そう、公園で遊んだあの男の子達も、勿論健司君も同じ学校で、歳もリーダーを中心にした子達は一つ上、健司君は同じ年だった。


 ただ健司君とはクラスが違うからなかなか話したりはできないけど、学校が終われば近くの公園で遊んだりすることが多いから、仲良くなるのにそんなに時間は必要じゃなかった。勿論一緒に遊べて嬉しかったのは言わなくても分かると思うけど。


 ただそんな中でも気になる事はある。

 それは健司君といえば、周りの人達から『嘘つき』が代名詞になっているかのように、そういわれる事が多いって事。

 頻繁に嘘を吐くからそういうあだ名がついたのかと思ったけど、ちょっと違っていて、逆にその事で大人気である。


「俺、将来のしゅしょうだからよぉ~」

「俺、社長の息子だからさぁ~」

「俺の知り合いの芸人さんに聞いたんだけどぉ~」

 等など。

 彼はをしょっちゅう口にする。でもそれを自慢するように言うんじゃなくて、笑いの間に挟んだりするから、それがウケてクラスの――いや、学年の近い子達から大人気なのだ。しかもいつも笑顔を絶やさないから私と同じクラスの女の子達からも人気がある。


  そんな話を聞くたびにドキリと胸の奥で何かがうずいちゃうけど、表面上は何も感じていないふりをする事が多くなった気がする。


――だって誰にも知られたくないもん!!

 奥へと仕舞った気持ちを隠すように、私は両手を胸の間でギュッと握った。





 中学生になっても健司の人気は衰える事無く、それ以上に上がって行った。勉強の成績は良いとは言えないようだけど、小学生時代は私の方が少し大きかった身長も、だんだんと成長期に入った途端にぐんぐん伸び出して、今では首が痛くなるほど見上げないと健司君の顔は見えない。


――残念ながら私は伸びなくなっちゃったんだよね……。

 ちょっと悔しい気持ちもあるけど、なんだか『男の子』から『男子』になっていく姿が、私にはひと際眩しく見えた。


 そんな健司君は女子にもモテ始めたんだけど、告白されたという噂は耳にするんだけど、実際に付き合い始めたという話を聞かない。

 ちょっと気になったから聞いてみた。


「彼女?」

「うん。告白されたんでしょ?」

 部活が早く終わって家の近くの公園の前を通り過ぎようとした時、ちょうどその公演のベンチに腰かけている健司君を発見した。

 まっすぐ帰る予定を変更して、健司君の側へと歩いていく。そして声を掛け健司君の隣に腰を下ろした。



「その話かぁ……」

 ため息をつきながら空へと視線を向ける健司君。


「彼女……できたの?」

「ばぁ~か。既に彼女いるからなぁ」

「え!?」

「ほら、俺って結構もてるじゃん? だから俺を好きな子皆彼女なんだよ」

えへへっと笑う健司君。


「もう!! そういう事ばっかり言って!!」

「あははははは。でもさ……」

「うん?」

「あした……なんて誰にもわかんないじゃん?」

「ん?」

「だから俺は彼女はまだいいかなぁ……なんて思うんだ」

「そう……健司君は、そ、その……ちゅきな人はいるの?」

 大事なところを噛んでしまった自分が恥ずかしくて、体がかぁ~っと熱くなる。


「ちゅきな人かぁ……」

「も、もう!! 忘れて!!」

 悪い悪いと両手を合わせながら謝る健司君に、プクッと頬を膨らませる私。


――もし居るって言われたら……。それは……。


「いないよ」

「え?」

「いない。俺にはちゅきなひとはいませぇ~ん!!」

「ま、また!? もう、健司君のばか!!」

「あはははははは……うん。好きな人はいないよ……」

 笑いながらまた空を見上げる健司君。それにつられるようにして私も空を見上げた。


――そっか……いないんだ……。いつかきっと……。

 少しの時間だったけど、健司君と一緒に夕日と共に暗闇染まっていく空を静かに眺めながら、私は心の奥でそう誓った。







 そして高校3年生になった私は、今絶望している。


「え?」

「だから……俺はすずめとは付き合えない……」

「……理由……聞いても良い?」

 悲しくてすぐにでも泣き出してしまいたい気持ちをグッと堪え、勇気を出して二人きりになれる場所として選んだ公園の先に有る小高い丘の上。

 街が見下ろせるその場所で、夕日を背にして立っている健司君をじっと見つめる。


「理由……かぁ」

「うん。有るなら聞かせて?」

 健司君は何かを考え始める。


――あ、この癖……。

 健司君が真剣に何かを考える時にする癖。顎に手を乗せながらちょっとだけつま先でリズムを取るのだけど、こんな状況になってもそんな癖を見れたことに少しだけ嬉しくなった。


 少しの沈黙が二人の間に流れる。


「考えたこと無いんだ」

「え?」

 いつもの陽気な健司君らしくない、少し低い声で、でも優しさがあるその声が聞こえてくる。


「俺がすずめと付き合うなんて考えたこと無い。いや、今まで女の子と付き合う事なんて考えたこと無いんだよ」

「ど、そうして? 私の事嫌い? 何か嫌なことしちゃった!?」

「ちょ、ちょっと落ち着けすずめ!!」

「え、あ、ご、ごめん」

 いつの間にか健司君の側まで詰め寄っていたことに気付いて、私は少しだけ下がる。


「ごめんなすずめ……。本当にごめん……。俺の事なんて忘れてくれていいから……」


 私の頭にポンと手を置いて、健司君は私の横を通り過ぎ、そのまま公園の方へと歩いて行った。


「うぅ……。うわぁ……。ぐぅぅ………」

 我慢していたはずの涙が、知らないうちにぽたりと地面に落ちる。そうするともう留めることが出来ず、その場から離れることが出来なくなった。





 それから私と健司君の生活は交わることが無くなった――。







それから7年の年月が経った。


大学を出て就職し、地元から離れて就職して既に3年。会社に近い場所での生活を求めて育った家を出て独り暮らしをしている。

一人暮らしをするにあたって、お母さんから改めて炊事洗濯や掃除を習い、何不自由なく暮らしていたわたしの元へ、お母さんからメッセージアプリに着信が付いた。


――何かしら?

 お母さんとはしょっちゅうメッセージのやり取りをして絵要るので、珍しい事じゃない。だから私は特に気にすることなく、そのメッセージを読み始めた。


 『近々、大事な荷物を送ります。しっかりと中を確認してください』


「え? お母さん文章堅いなぁ~」

 クスッと笑いながら『分かった』とメッセージを送り、それを気にも留める事が無かったけど、数日後私の住む部屋の前に荷物が届き、お母さんとメッセージのやり取りをしていたことに気が付く。


――これね……。

 少し大きめの段ボール箱に入った荷物を手にして部屋の中へ入り、仕事で来ていたスーツをババっとベッドの上に脱ぎ捨てて、いつも着ている部屋着に着替え、段ボール箱の前へと腰を下ろした。


――さてさて何が入っているのかな?

 カッターナイフで梱包されたテープを綺麗に切り、慎重にふたを開けていく。



「え?」

 中には2通の封筒と共に、見覚えのある荷物の数々が収められていた。


――これって……。


 封筒の一つ手に取り、その中から便箋を出す。そして何枚にもなっている便箋に目を通していくと、そこには信じられない事が書かれていた。


「う……そ……よね?」

 一人つぶやく言葉は誰もいない部屋で溶け消えていく。


 もう一つの封筒、震える手でどうにか掴み持ち上げる。静かに裏返した封筒に書かれた文字は――。



『すずめへ   健司』

 震える手はさらに震える。


――すずめへ。

 母さんに頼んで、すずめのお母さんに届けてもらった。

突然の手紙ですまない。


あの時、そうあの時はごめん。

すずめと付き合えないといったけど、本当は付き合いたかった。でもどうしようもなかったんだ。だからあの時はああいうしかなかった。


だって俺はいつ死んでもおかしくなかったんだから。


子供のころから俺は病気を患ってた。慢性的な物で治る見込みはないって言われてた。いつ死んでもおかしくないなんて言われてたんだ。だから俺はずっと誰も好きにならない様にしてた。


でもさ

でも

それは無理だったよ。

すずめ。俺はすずめの事が好きだった。本当は彼女になって欲しかった。一緒に笑って泣いて、ずっと一緒にいたかったんだ……。


でもそれは叶わないと知ってた。

あの時、そうあの時、俺は余命宣告をすでにされてた。


笑っちゃうだろ? 好きな子に好きだって言われたんだぜ? でもさそこに俺はいられないと知ってた。


どうしたらいい? 何を言ったらいい?

だからああいうしかなかったんだ。


ごめんなすずめ。すずめに言っていた事、あれ……全部嘘だったんだ。


俺は今も、そしてこれから先もきっとすずめの事が好きだ。


だから

だからこそ


どうか幸せになってくれ……。


俺は嘘つきだからさ……本音を言うのは、これ一回きり。すずめにだけにするよ。


じゃぁな。いつかまたどこかで出会えたら……。二人でブランコにでも乗ろうぜ。


                              健司――





「う、うそでしょ……。健司が……」

 流れ落ちた涙で少し依れてしまった手紙を握り締め、段ボールの中へと視線を送る。


 野球帽やノート、そして高校へ入学する時に撮った、健司と私の二人だけが写った写真立てなど、一つ一つ取り出しながら、私はまたあふれる涙で前が見えなくなってしまった。



「ばか……嘘つき……」




 私の好きな人は嘘つきだ。


 忘れる事なんて一生できないだろうな。だから私も私の心に嘘を吐く。


『私は健司なんか好きじゃない!! 絶対に忘れてやる!! いっしょにブランコになんて乗ってやるもんか!!』

涙が枯れるまで泣き続けた。





 私の部屋の真ん中に、私に嘘をつき続けた大好きな人と写った写真がある。


 初めて出会ったあの日と同じような、笑顔で映る二人の姿で。



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うそつき 武 頼庵(藤谷 K介) @bu-laian

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