抑制
三鹿ショート
抑制
私が抱いている欲望は、危険なものだった。
それが萌芽する切っ掛けとなったものは、幼少の時分に目撃した行為である。
学校からの帰り道に存在する空き家から物音が聞こえてきたため、内部の様子を窺ったところ、とある男性が女性に暴力を振るっている場面を目にした。
女性は猿轡の影響で叫び声を発することは叶わないが、夥しい量の血液や体内から顔を出した臓器の数々から察するに、生命活動を終えた方が幸福だと感ずるほどの激痛を覚えているに違いなかった。
男性は私が見ていることに気付かず、手にした刃物を使って女性の身体を切り刻んでいった。
笑みを浮かべていたため、その行為に喜びを見出しているのだろう。
その光景を目撃した私は、その場から逃げ出すことができなかった。
男性に己の存在を気付かれれば、口封じのために生命を奪われる可能性が高かったが、私は動くことができなかった。
何故なら、その光景に興奮を覚えていたためである。
まるで体内を熱湯が駆け巡っているかのように、私は身体が熱くなっていた。
同世代の人間たちが夢中になったものを目にしても感ずることの無かった想いに、私は支配されていたのである。
行為に満足した男性が立ち上がったとき、私は金縛りから解放され、物陰に隠れた。
男性が去ったことを確認すると、空き家に入り、変わり果てた女性を見下ろす。
抜き取られた歯は眼窩に突っ込まれ、腹部の穴には肩から切り取られた腕が植え替えられていた。
体内から伸びる腸は首に巻かれ、肛門には女性の殺害に使った刃物が突き刺されていた。
気が付けば、私は陽が落ちるまで女性を眺めていた。
それ以来、私は眼下の女性をこれほどの目に遭わせた男性と同じように、他者を傷つけたい欲望を抱くようになったのである。
だが、実行すれば徒では済まないことは理解していたため、私は危険な欲望を抱きながらも、それを発散することができない悶々とした日々を送るようになった。
人間としては正しい選択なのだろうが、私はこの欲望を捨てることができなかった。
***
肉体的に成長していくと、私の欲望は更に強まった。
今の私ならば、簡単に相手を組み伏せることができ、例の男性のような行為に及ぶことも可能だろう。
ゆえに、私は背中を押されれば、即座に傾いてしまうほどの危うい状態だった。
そんなとき、私は一人の女性と出会った。
能力が低く、外貌も魅力的ではないためか、彼女は常に自信が無いような態度だった。
多くの人間から見下され、罵詈雑言や暴力を振るわれることは日常茶飯事である。
それでも生き続けることを選んでいる彼女を、私は密かに応援していた。
他者からどれだけ虐げられようとも負けることなく生きる彼女と、手を伸ばせば即座に欲望を叶えられるにも関わらず実行をしない私は、方向は異なるものの、何かに負けないように生きるという境遇が似ていたからだ。
そこで、私はふと気が付いた。
自身の欲望を叶えてしまえばその時点で人生を諦めたようなものだが、私が存在しなければ一人で生きることなど不可能だと考えるような守るべき存在を得ることで、罪を犯そうなどという愚かな感情が無くなるのではないだろうか。
人間は自分以外の何かのために生きることで活力を得るものだと、私は考えている。
だからこそ、私はそのような存在を得るべきなのだ。
では、誰を選ぶのか。
即座に彼女の姿が思い浮かんだ。
彼女には異性として特段の魅力を感じないが、人間としては興味深かったからだ。
ゆえに、私は彼女に偽りの愛の告白をした。
当然というべきか、彼女は私の告白に困惑した様子を見せたが、私が口説き続けると、やがて首肯を返してくれた。
それから私は、彼女を甘やかし続けた。
落ち込むことがあれば何時間も慰め続け、何かしらの手柄を立てれば、阿呆のように喜びを示して祝った。
そのようなことを続けているうちに、彼女は私に対して、明らかな依存を見せるようになった。
そのため、私の計画は上手く進んだということになる。
彼女は私が存在しなければ生きることに耐えることなど出来ないため、私は罪を犯すことで捕まるわけにはいかなくなったのだ。
私は危険な欲望を抱いていることを忘れることはなかったが、以前よりもその感情は鳴りを潜めるようになった。
これは、人間として選ぶべき道だったに違いない。
***
老衰で彼女がこの世を去ってしまったが、今の私には危険な欲望など存在していなかった。
彼女と生活を共にしたことで、治療が完了したといえるだろう。
何時になれば彼女と再び会うことができるのだろうかと考えながら散歩をしていると、道端で倒れている女性を目にした。
貧血か何かで気を失ったらしく、呼吸は続いているようだ。
私は然るべき機関に連絡をしようとしたが、そこで、女性の無防備な姿から目を離すことができなかった。
そして、近くに割れた硝子が落ちていることに気が付くと、それを拾い、再び女性に目を向けた。
生唾を飲み込み、呼吸を荒くしながら、私は女性に近付いて行く。
人間の欲望に終わりは無いのだと、女性の腹部に手を突っ込みながらそう考えた。
抑制 三鹿ショート @mijikashort
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます