第26話 四人目
「まず何から話そうか。ここは僕の夢の中だからな。僕が知っていることは大方君も知っているだろうが……」
僕が杏樹さんに語りかけると、しかし彼女はそんなことはどうでもいいと言わんばかりに、「月を止めて!」と叫んだ。だが、止めない。僕は続ける。
「よしいいだろう。まずは禍魔の仮面について話そうか。そこの子鬼がかぶっているお面だよ」
と、僕は頭上を示した。迫りくる月と、僕たちの間。宙に浮かんだ子鬼が、じっと仮面越しにこちらを見ていた。
ヒヒヒ……
もう散々聞いたこの笑い声も、今になっては意味がわかる。
「禍魔の仮面は『夢を固めるお面』だそうだ。『夢を叶える』という意味もあり、君が言うところによれば『人に夢を見せてその感情の動きを喰らう』仮面なんだそうだな? また古代インドで宗教的異端者とされた『マースティッカ』という集団が祈祷に用いた道具としても知られている」
杏樹さんは震えていた。ほとんど地面にしがみつくような形になって、ただただ怯えている。
「マースティッカが儀式に用いる仮面は三つあり、それぞれ『覚醒』の仮面と『昏睡』の仮面、そしてその中間にある『夢中』の仮面とがあった。『覚醒』と『昏睡』はそれぞれ既に発見されていたが、『夢中』の仮面だけ見つかっていなかった。この『夢中』の仮面こそが禍魔の仮面ではないか。そうした研究はある」
仮面の特徴を言おう。
僕はそうつぶやいてから続ける。
「『二つの角、涙を流す大きな一つ目、緩んだ口元』」
僕は頭上にいる子鬼を示す。
「仮面には二つの角があるな? 大きな一つ目があり、涙を流している。口元は緩んで開いている」
あれが禍魔の仮面だ。
僕がそう断じても、杏樹さんはただ震えていた。ほとんど悲鳴に近い「月を止めて!」を繰り返していた。
しかし構わず僕は続けた。
「その禍魔の仮面は、僕が
僕は月を背に浮かぶ子鬼を見上げた。それから再び杏樹さんに目線を戻すと、続けた。
「『子鬼が仮面をかぶった』。この意味が最初わからなかった。だが君はとても嬉しそうにこのことについて話した。そりゃそうだよな。子鬼が仮面をかぶっていてくれないと君はこの世界にいられない」
ヒヒヒ……
頭上から笑い声。そうだ。そうだろうとも。君は満足だろうさ。だって僕が……僕が満足しているのだから。
「子鬼は僕だ」
僕は断言した。
「子鬼は僕の具現化だ。僕の中にいる僕自身の像だ。『ひねくれ者』の代名詞、『天邪鬼』だと言えばイメージしやすいか? これは『鬼』だな」
ヒヒヒヒ……
子鬼の笑い声が大きくなる。
「『子鬼が仮面をかぶった』。これの意味するところは『僕が仮面をかぶった』だ。僕が禍魔の仮面をかぶった。僕は禍魔の仮面によって半眠半覚の状態、すなわち夢中の状態にさせられた。君たちは……君たちとこの世界は全部僕の夢の中の存在だ。いいか、包丁を持ったコックも、オカマのサーカス団員も、バー『ラッテ』にいたお客もそれから四人の演奏師も全て僕の心の中にいた存在だ」
だが……と、僕は話を続ける。
「禍魔の仮面で強制的に夢を見せられている僕の中では争いが生じていた。すなわち『禍魔の仮面対飯田太朗』の戦いだ。禍魔の仮面が僕の精神を蝕む過程で、僕の精神はそれに対抗していたんだ。だから……」
僕は唇を舐めた。この乾燥も、夢の中の話なのだが。
「四人の演奏師は夢の中の住人かつ禍魔の仮面の使者だ。僕の精神を蝕もうとしていた張本人。そしてその四人の演奏師が封じようとしている月の目は……」
僕は頭上の、もう目前にまで迫っている月を示した。そこには大きな目玉があった。二十五メートルプール一杯分はありそうな、巨大な、巨大な、目玉焼きのような……。
「月の目は僕の目と同期している。月の目が目覚める時というのは僕が目覚める時ということなんだ。だから夢の住民たちである君たちは月の目が開くことを恐れるんだ。だって目が覚めてしまったら君たちは……君たちのいるこの世界は消えてなくなってしまうのだから! これで『四人の笛吹き 眠りの歌にて じわりじわりと死に至らしめる』の意味は分かったな? 演奏師に限らない。みんな月の目が開くことを怖がっている。『月の子守唄』。言い得て妙だよ。子守唄で僕を眠らそうとしていたんだよな? そして『月の子守唄』と対義関係にある『おはようの唄』のメロディは、与謝野くんのあれだろう? 巷で流行りの目覚まし時計。眠りを妨げるのにちょうどいい音楽。特殊な音と特殊なメロディで人を覚醒に導くっていうやつだ。あれは三拍子。そういえば『おはようの唄』を初めて聞いた時、僕は『ワルツみたいだ』と思ったんだったな。演奏師たちの行う演奏というのはこの『おはようの唄』にマスクをかぶせて『月の子守唄』に変えてしまうことだ。目覚ましをより深い睡眠に導く道具にしてしまう。思えば、二度寝をしてしまう時というのは目覚まし時計の音さえ夢だったりすること、あるよな。あれと同じ現象を引き起こさせようとした。目覚ましさえ睡眠導入にしようとしていたんだ」
それから僕は時計を取り出した。ハート屋で手に入れたあのハートの懐中時計だ。
「最初は『二十』の表記だったものがだんだん『二十四』に近づいていった。この時計が意味するところは『就寝時間』、つまり『夢を見始める時間』についてのことだったんだ。僕は小学校低学年の時八時に就寝するよう言われていた。これは『二十』だな。次に小学校高学年。『九時』だ。『二十一時』。『週刊ストーリーランド』が見られるギリギリの時間だ。中学校の時は『二十二時』、そして高校生の時『二十三時』。僕が会いに行った『四人の友達』ひいては今頭上にいる子鬼を庇ったとされる『四人の子鬼』もそれぞれ成長段階に合わせて見た目を変化させていたな。そして今は『二十四』。大人になった僕は平気で日付を跨ぐようになった。演奏師と子鬼の戦いはそのまま禍魔の仮面と僕との戦いだったんだな。演奏師が四人の友達を始末して回っていたのは僕を永遠の眠りに就かせるため。だがな、そう上手くいくと思うなよ」
僕は『潮の亥』を取り出した。南の学校の図書室で手に入れたものだ。
「ここにはこうある。『眠りし者の中にいる「何か」は常に眠りし者を守る』。そして『吾嬬面を用いて心から何かを引き出そうとする時、この「何か」は抵抗してくる』。子鬼が四人+一人に分かれたのは子鬼なりの戦略だったんだ。子鬼は『自分』を四つに切り分けた」
僕はさらに続けた。
「僕はジョハリの窓に従って自分を分けたのだろう。『みんなが知る友達』『秘密の友達』『未知の友達』『誰にも見えない友達』。この分類は、ジョハリの窓で分類するものにそっくりだよな。自分が評価した自分への特性。そして他人が評価した自分への特性。これらを四つに分けるんだったな。四つに分けた特性分類の内、『自分も他人も評価している自分』。これは『みんなが知っている自分』だ。次に『自分は評価しているが他人は評価していない自分』これは『自分しか知らない』つまり『秘密の自分』だ。そして『自分は評価していないが他人が評価している自分』。これは『自分は知らない自分』、つまり『未知の自分』だ。最後に『自分も他人も評価していない自分』。これは『自分も他人も見えていない自分』だから『誰にも見えない自分』だ」
ヒヒヒヒヒ……
宙の子鬼が満足そうに笑った。やはりな。正解、なんだろう。
「村の中で時計の概念が曖昧だったのは眠っている時に時間を気にすることができないからだ。あるいは夢の中で時計を見るという行為はあるにはあるかもしれないが現実の時間からはかけ離れていたりする。奇跡的な一致を見せるのは稀なんじゃないか。四日目から五日目の夜、すなわち現在まで時間をスキップできたのもそのせいだ。夢の中で流れる時間をコントロールしてみたんだ。村の中を決まった時間で駆け抜けるポストマンは僕が郵便局のバイクに憧れを持っていた時の名残だ。子鬼が『昼に太陽を遮った』話は昼寝のことだろうな。眠りと子鬼がリンクする昼間の現象と言ったらそれだ。一彦さんが子鬼に憑りついたというのはそのままだな。禍魔の仮面の化身たる演奏師が僕の心の化身に憑りついた。笑い合うオカマ、アオイちゃんは僕が生まれる直前まで女の子だと思われていたことの名残。サーカス団は僕の処女作や父親と一緒に見たサーカスの名残。ロールキャベツとコンソメスープは僕が小学校に通っていた頃に憧れていたものの名残だな。『馬鹿野郎、お前はもうおしまいだ』は昔僕が父に言われた言葉。夢の中だからスマホみたいな精密機器は再限度が低い。だから使えなくなった。バー『ラッテ』で出会った人たちはみんな僕の記憶に紐づいている人たちだ。路地裏の婆さんは『週刊ストーリーランド』の思い出だな。四人の友達を傷つけるよう渡された道具はいずれも深月先輩と関連性が深い道具。菅尚人は小学校の頃、担任の先生にいじめられていた時の記憶だな。『みんなが知る友達』が菅を遠ざけていたのは僕の防衛本能のひとつ。菅が僕に『死なれちゃ困る』と言ったのは『夢の中で死んだら目が覚めてしまうかもしれないから』。ハート屋は判断に困るな。だが僕の力になるところを見ると僕の防衛本能の一種。いじめる側といじめられる側が逆転した嗜虐関係は、いよいよ僕と禍魔の仮面の関係がひっくり返り始めたから。夢を見ている主体が僕から禍魔の仮面に移り始めていたんだろうな。そして、さぁ。ここからはより深い話になっていくぞ」
僕は一歩前に出た。
すると、不思議なことに。
さっきまであんなに怯えていた杏樹さんが、ふらりと立ち上がった。
「ねぇ、どうしてそんなこと言うの。ねぇ、どうして」
甲高い、非難するような、声。
「このままずっと眠っていたらいいのに。ずーっと、眠っていたらいいのに。眠っていたら、ほら、こんなことも……」
ふらりと、陽炎のように、杏樹さんの像が揺れた。崩壊する世界の中でそれは、何だか美しい絵画のようにさえ見えた。
そしてその後に……杏樹さんがいたその場所に、立っていたのは。
「ねぇ、飯田くん。私と一緒にいよ。ねぇ……」
深月先輩だった。常陰深月先輩。僕の愛しい先輩。僕の愛した女性。たった一人の、淡く深く、恋をした……。
「ねぇ、眠っていましょ。ずっと寝ていたらいいの。寝ましょ。ねぇ」
「……そうはいかないんですよ、先輩」
不思議だった。この時僕は、何でだろう、泣いてはいけないのに、涙を、流していた。僕はそれを必死に堪えたので、鼻の奥が、じわっと滲んだ。
「もう起きなきゃ」
「どうして」
先輩が縋りつくような顔になる。その顔が……その美貌が歪むさまが、堪らない。
「どうして。ずっと一緒にいましょう」
「そうしたい。そうしたいです」
「なら……」
「でもできない」
「何で」
「だって先輩じゃないから。この先輩は先輩じゃないから。これは僕が見ていた先輩で、先輩そのものじゃないから。僕は先輩そのものを愛したんだ。僕が作った先輩は、先輩じゃないんだ」
僕はぐっと喉を鳴らしてから気を引き締めた。
それに、そうだ。
今目の前にいる先輩。
それは、禍魔の仮面が見せているだけの、幻影にすぎないのだから。
心の中にしまったかげが見えているにすぎないのだから。
だから、覚悟を決めた。
それから、こう告げた。
「ノートについてだ。僕のアイディアをまとめておくノート」
僕は四つの持ち物の中からアイディアをまとめておくモレスキンのノートを取り出した。考えてもみてほしい。四つの持ち物の中でこれだけ性格が違う。ペンも本も栞も深月先輩の記憶と結びついたものだが、これだけ、僕のアイディアについて関連している道具だ。
鼻がぐずつく。くそ、泣きそうだから……。
「この夢の中で僕が度々襲われた頭痛について、言及しよう」
その問題の頭痛は、今は鳴りを潜めている。
「これについて語るにはまたこの『潮の亥』が重要になってくる」
僕は『潮の亥』のページをめくる。
「『吾嬬面により導かれた眠りの底では隠し事ができない』。これがすべてだ。これが頭痛の原因、そしてノートだけ性格が異なったことについて言及している」
世界の崩壊がいよいよどうにもできないレベルにまで達し始めた。
終わる。この世界が終わる。
それはすなわち僕の目覚めを意味していた。意識が遠のいていく中、僕はつぶやいた。
「道具には、持ち主がいる」
それから真っ直ぐ立ち尽くしている杏樹さんに告げる。
「なぁ、杏樹さん」
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