第27話 夢の世界

 目を、覚ました。

 足元がガタガタと揺れている。そして僕は椅子に座っている。バスの座席だ、と思った。カタリと何かが落ちる。それは禍魔の仮面だった。不気味な一つ目が足元から僕を見つめている。と、いうことは。

 ラジオの雑音が聞こえる。

〈ハルニレテラスで開かれた観光客歓迎イベントでは地元マスコットキャラのルイザちゃんが参加し、集まった客に手を振っていました……〉

 平凡な、極めて平凡な内容。

 夢、だったらしい。いや夢だった。僕が見ていた吾嬬村は。世界の終わりは、禍魔の仮面は。

 いいや、足元のこいつは……。

 僕はそれを拾い、振り返る。

「杏樹さん」

 声を飛ばす。このバスに乗っていたのは、僕と、それからカップルが一組。

「杏樹さん、そこにいるんでしょ」

 僕は手にしていた禍魔の仮面を振った。バスの座席の向こう。顔を沈めていた女と男が背筋を正した。一人は……当然、杏樹さん。ショートカットのかわいらしい女性だった。

「一彦さんもいたのかな」

 男の方の顔にも見覚えがあった。砦で僕に話しかけてきた演奏師。一彦さんそのものだった。

「単刀直入に言おう」

 僕はまだチカチカする目の奥を瞬きで誤魔化しながら話し始めた。頭のどこかの片隅で、深月先輩の声が、顔が、ぬくもりが、残っている気がした。

 だが、今は迷っている場合じゃない。

「君たちは……そう、君たちは僕に、禍魔の仮面を被せたな」

 座席から立ち上がる。

「『潮の亥』に記載があった。この記載はあくまで僕の夢の中で見たものだが、現実の方の『潮の亥』にも同様の記載があったことを記憶している。多分記憶が見せた簡略版があの夢の『潮の亥』だな。何なら今ここで該当箇所を見せようか?」

 僕はトランクに手を伸ばすと、中に資料として入れていた『潮の亥』を手に取る。

「『吾嬬面により導かれた眠りの底では隠し事ができない』。これだ」

 僕は静かに続ける。

「吾嬬面、ひいては禍魔の仮面によって見た夢の底では。そして『吾嬬面はかつて拷問に使われた』。まぁ、考えてみればそうだよな。この仮面は自白に使われたんだ。夢は潜在意識の現われと捉えることができる。頭の中で嘘をつくのは難しいだろうよ。隠し事だってできない」

 それから僕はノートをトランクから取り出した。僕が常に携帯している、モレスキンのノートだ。

「これには僕の小説のアイディアがまとまっている。君の……君たちの本来の目的はこいつだろう。このノート、すなわち僕の小説のアイディアを盗もうとした。それもただアイディアを盗もうとしたんじゃない。僕の頭の中を覗いて、より純度の高いもの、それかまだ芽生えたばかりのものも奪おうとした。理由は……まぁ後述しようか。もっとも考えるまでもなく、小説のアイディアを盗もうとしたということは目的もおのずと分かるだろうけどね」

 杏樹さんと一彦さんは黙っている。杏樹さんの方は唇を噛みしめていた。

 僕は杏樹さんたちのいる座席に近づいた。それからその目の前の席に座り、振り向きながら話を進める。僕は禍魔の仮面を二人にかざした。

「『吾嬬面をかぶせればその妖力により全てを眠りに伏す。そして眠りを、場にいる者に共有させる』とあるな。つまり禍魔の仮面をかぶせられて眠ると、そこで見た夢は場にいた人間に共有されるんだ。まず僕に仮面をかぶせる。仮面の力で僕は眠る。そして君たちも一緒に眠れば、僕の見た夢を君たちが見ることになる。君たちはこうして僕からアイディアを盗もうとした。『吾嬬面により導かれた眠りの底では隠し事ができない』ともあるからな」

 ここに来て、ようやく僕の中の深月先輩は薄くなり始めた。立て直さなくては。体勢を、立て直さなくては。

 僕は続ける。

「道具には持ち主がいるんだよ。その持ち主が君たちだ。君たちは禍魔の仮面を使って僕からアイディアを抜こうとした。僕が夢の中で襲われた頭痛は、君たちが頭の中に無理矢理入ろうとしたから起こった頭痛だ。ひどい頭痛だったよ。彫刻刀で刻み込むような頭痛だったり、脳みそに注射針を打たれるような痛みだったり、神経を裂けるチーズみたいに裂かれるような痛みだったり」

 僕はため息をついた。しかし杏樹さんたちは息を潜めていた。

「四人の友達について話を戻そう」

 僕は鼻から大きく息を吸った。

「四人の友達の内、『誰にも見えない友達』だけ特殊だった。『みんなが知る』『秘密』『未知』。この三人が死んだ途端彼のところにワープさせられた」

 夢というのは不思議なものだ。目覚めた瞬間どんな内容だったか忘れてしまう。僕のこの、「未知の友達」が死んだ後に一気にスキップが入ったことも遠い昔のことのようだった。だが続けた。

「『誰にも見えない友達』は、ジョハリの窓の中でも『みんなが知る』『秘密』『未知』の三つが決まらないと決めることができない特性だ。だから夢の中でも三人目、『未知』の友達は自ら命を絶った。が『誰にも見えない自分』だもんな。ここに子鬼の策をうかがい知れる」

 遠い夢の彼方。禍魔の仮面をかぶった子鬼が「ヒヒヒ」と笑った。

「四人の中には『誰にも見えない自分』が含まれる。これは文字通り。かろうじて評価を受けた自分だけが『ああ、この特性は自分には当てはまらなかったんだな』と客観視できる。つまりギリギリ僕には見えるが、第三者にはわかりようがない。君たち第三者に『四人目』は決して見つかることがないんだよ。そしてなら、誰か一人でも隠しきれば、守りきれば僕の勝ちだ。子鬼=僕の防衛本能は僕にとって大事なものを隠すことで僕の精神への致命傷を避けた。僕の大切な品々を隠すことで、僕の心のコアを守ったんだろうな。子鬼は、僕の潜在意識の防衛本能は禍魔の仮面をかぶせられた時に咄嗟にこういう行動に出た。『潮の亥』にもあるな」


 ――眠りし者の中にいる「何か」は常に眠りし者を守る。

 ――「何か」は眠りし者が持つ心象に起因する。

 ――吾嬬面を用いて心から何かを引き出そうとする時、この「何か」は抵抗してくる。


「このゲームは僕の勝ちだ。ひいては僕の潜在意識の勝ちだ。君たちがどこまで僕の頭の中からアイディアを引き出せたか知らないが、夢の中ではこんなセリフがあったな」


 ――安心して 守っておくから。


「これは子鬼のセリフだ。僕を守っていた僕の潜在意識の言葉だ」

 ガタリ、と車体が揺れた。もうお気づきの方もいるだろうが、このバスにはおかしなところがある。

「さてさて、まだ忘れている記載が『潮の亥』にはあるな」

 僕はページをめくった。それから見つけたものを二人に見せる。

「『吾嬬面はその妖力により全てを眠りに伏す』。まぁこれはわかりやすいな。僕に禍魔の仮面をかぶせると、この場にいた全員が夢の世界に落ちるんだろう。『吾嬬面をかぶり、使者に話しかけると、吾嬬面の妖力は、使者にも及ぶ』。こんな記載もあるな。だがおかしい点が二つ、ないか? 一つは『吾嬬面をかぶり、使者に話しかけると、吾嬬面の妖力は、使者にも及ぶ』だ。思い出す限り、僕は。かぶってない。かぶって話しかければその妖力は相手にも及ぶのに、どうして? 二つ。『吾嬬面はその妖力により全てを眠りに伏す』。おかしくないか? 僕がこの仮面をかぶったことで杏樹さんと一彦さんが眠りに落ちる。これは納得できるが、ではバスの運転手は? おかしいだろう。この場にいた全員が眠りに落ちるというなら、バスの運転手さんも眠らないとおかしい」

 それから僕はさらに『潮の亥』をめくった。

「ここにはさらにこんな記載もあるな。『吾嬬面は眠りの底にも存在する』。そう。そのまさか、だ」

 僕は禍魔の仮面を手に取るとヒラヒラと振った。そして座席から立ち上がると、ゆっくり歩いて運転席の方へと向かった。

「運転手さん、ここは今どのへんだい?」

「どのへんって、大海村まで後少しってところですがねぇ」

「僕らの今の話は聞いていたかい?」

「はい。聞いちゃいましたが何が何だか……」

「……さて、思い出してほしいんだが」

 僕は今度は座席に座っている二人に向けてしゃべった。不思議だったと思うのだが、二人はさっきからずっとしゃべらないでいた。しゃべれなかったのか? いや……。

「しゃべるとボロが出そうだったか?」

 僕は笑った。

「まぁ、いい判断だったな」

 すると、今度は……。

 杏樹さんが笑った。ニタっと笑った。隣にいた一彦さんも笑った。ニタっと笑った。二人揃って同じような笑顔、いや、二人とも同じ顔をしていた。二人とも全く同じ顔。双子のような、鏡映しのような同じ顔。

「わかってたんだ」

 杏樹さんがつぶやく。すると、一彦さんもつぶやく。

「わかってたんだ」

 僕は返した。

「まぁな」

 すると二人がまた続けた。

「さすがだね、飯田太朗」

「さすがだね、飯田太朗」

「お褒めにあずかり光栄だよ」

「ハハハ」

「フフフ」

「おっと。それは予想外だ」

 僕はおどけて見せた。

「ハート屋は君たちの化身だったのか?」

 すると杏樹さん……そして一彦さんは答えた。

「まぁ、良心の呵責だったかもね」

「まぁ、良心の呵責だったかもね」

 僕は笑って、それからため息をついた。手には禍魔の仮面があったが……あったはずだが、いつの間にか消えていた。まぁ、仕方ないだろう。

「善人の心も残っていたか」

 車の振動が大きくなり始めた。まるで悪い道でも走っているかのようだ。だが面倒くさくなったので僕は決めた。運転席に行くと、ハンドルを強奪する。

「またな」

 それからハンドルを大きく切った。とんでもない音がして、僕は……僕たちは、事故に遭って意識を失った。

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