第25話 砦
「やぁ」
僕の後にここへ来た男は快活にそう叫んだ。僕がいる砦から少し離れた場所。風に撫でつけられる草原の中にそいつはいた。
「君は飯田太朗くんだね」
「そうだが」
僕はこいつを知らない。知ってはいるが知らない。
「僕のフィアンセが君の面倒を見たと聞いたよ」
ハハ。僕は息を吐いた。
「なるほど。じゃあ君は演奏師か」
「そうなるね」
「一彦さん?」
「そうだね」
僕はしばらく彼を見ていた。それから、意を決して、話し始めた。
「何か探しに来たのかな」
「ああ。人を探していてね……人、という表現が正確かはわからないけど」
ここに来て僕は気づいた。この一彦という男。どこか、話し方とか態度とか、目の瞑り方とか歯の見せ方とか、僕に似ている。
「子鬼を探しているんだろう」
僕が訊くと一彦さんは笑った。
「よくわかったね」
僕も笑う。
「君たちには先手を打たれてばかりだったからね。背が高い菅くんには『みんなが知っている友達』を、狐目の武原くんには『秘密の友達』を殺された。それからダサい眼鏡をかけた演奏師の一人には『未知の友達』が死ぬところを見届けてもらったな。残った一人を君たち演奏師が狙うことくらい想像に難くない」
ハハハ、と一彦さんは声を上げた。
「で、今度は君の方が先手を打つことにした、というわけかい」
僕も努めて笑顔でいた。顔にスマイルを貼り付けたまま、僕は栞を取り出した。
「回収には成功している」
一彦さんの顔が固まった。それから彼は、まるで大福でも頬張るみたいに口を開いた。
「それが持つところの意味を僕はまだ知らなくてさ」
彼の言葉に、僕は笑顔のまま返した。
「知らなくていいさ」
僕は歩き出した。そうして、真っ直ぐに砦から出た。砦の影から出るとまた薄明りが僕を照らして、少し眩しい気がした。風が僕の横っ面を撫でて、それから向こうへ飛んでいった。
僕はまっすぐ歩いて一彦さんの隣まで来た。一瞬立ち止まって、彼の耳に告げる。
「探し物、見つかるといいな」
だが捜索が無駄に終わることは知っている。
だって誰にも、見えないのだから。
*
草原を通り抜け、
目を閉じる。それから大きく深呼吸をして、今度は時計を見る。
〈五日目の朝〉
文字盤にはそうあった。眩しい日差しが空から僕を突き刺していて、足元の草も瑞々しく輝いている。
これで僕の仮説はある程度立証されたことになる。時計の数字は二十四になった。僕はため息をついた。
「道具には、持ち主がいる」
独り言ちる。風を首筋で感じながら、さらにつぶやいた。
「誰が犯人だろう」
歩きながら思考を巡らせる。散歩をしているとアイディアが出やすいなんて研究はどこの大学がしたんだっけか。まぁ、今はそんなことどうでもいいか。だって実際は歩いてなんかいないのだから。
「あの人、と考えるのが妥当かな」
再び目を閉じる。
それからまた深呼吸をして、目を開ける。
時計を見る。文字盤には。
〈五日目の夜〉
気づけば周囲は真っ暗だった。明かりはほとんどない。唯一、空から注ぐものを除けば。
空を見上げた。夜だから、月があった。満月。僕はそれを凝視した。
月の目。
吾嬬村の人たちは月に目があると言った。僕は最初わからなかった。だが今は別だった。僕には見えた。月の、表面に。
大きくくっきりとした、二重の瞳が。睫毛に縁どられた大きな一つ目が。
細められていたそれに、僅かに光が宿る。
地響き。地震。足元が揺れて、僕は膝をつく。
よし。五日目だ。
カーニバルが、始まる。
*
吾嬬村に帰ってきた。
東の砦から村へはほとんど道がなかった。草原の中をひたすらに歩く他なかった。村を囲う外壁が遠方に見えたのでそこに向かって歩けばいいことはわかった。黙々と足を動かしていれば辿り着けた。城壁の近くに行くと、人に踏み固められたのであろう、僅かな道が草原の中にできていた。
門をくぐり、村へと入る。
上空に風が吹いていることを肌で感じた。漠然と空気の流れる感じがするのと同時に、空の雲がものすごい速度で流れていた。まるで早送りみたいだった。
村の中央に向かって視線を投げる。時計塔がある。鉛筆のように尖った屋根の先から、注射針のようなものが伸びていた。演奏、か。急がなくては。
速足で時計塔へ。ドアが開いていたので中には簡単に入れた。蝋燭の明かりがチロチロと闇を舐めていて不気味だった。時計塔一階フロアは礼拝堂か何かになっているのか。まるで教会のようにベンチがいくつか並んでおり、その足元は完全な闇のビロードが覆っていた。蛇の舌みたいな蝋燭の明かりじゃ照らしきれない闇だ。
僕はベンチの間を真っ直ぐ通り抜けて階段を目指した。時計塔機関部。そこに、用がある。
手には、いつの間にか四つの持ち物が握られていた。
ペン……これは深月先輩からもらったペンだ。
ノート……これは僕がネタを書くために使うノートだ。
本……深月先輩から送られた言葉が載っている本だ。
栞……その言葉を示すための栞だ。
それらは本来、本と栞を除けば宿に置いてきたはずのものだった。だが今は僕の手元にあった。それは僕が望んだからで、そう、この空間は……この吾嬬村は、僕が思うままにできる空間だった。だから、ほら。こんなこともできる。
気が付くと僕は時計塔機関部の最深部にいた。歯車の音。ガタン、ゴトン。正面にはドアがあった。あるだろうなと思った。だってあるように作ったのだから。そしてその先にある景色も、僕にはわかっていた。
ドアを開ける。
時計塔の展望台に、出る。
*
「いい景色ですね」
歯車の轟音を背後に感じながら。
僕が開けたドアの先。円形の展望台の真ん中に、彼女がいた。
「ここからなら村が一望できる。ガス灯の明かりがこんなに綺麗だなんて知りませんでした。ほら、あそこに鎌延屋も見える……」
「杏樹さん」
僕が声をかけると、彼女はまるで舞台上の女優のように華やかに振り返った。途端に僕の背後から、聞こえてくる。
鐘の音。
カラン。コロン。
十二点鍾だ。だから……。
カラン。コロン。
これがもう三セット、ある。鐘が鳴っている間は声を出しても掻き消されてしまう。僕は黙る。杏樹さんも黙る。
やがて、鐘が鳴り終えた頃。
ぼうっと浮かんでいる満月に、重なるようにそれは現れた。蜃気楼のように、幽霊のように、空に浮かんで、此方を見ていた。
ヒヒヒ……
杏樹さんが声を上げる。
「子鬼だわ!」
僕は杏樹さんに近寄る。空に浮かんだ子鬼は……
「役者は揃ったな」
と、僕の言葉を合図にしたかのように、地響きが始まった。杏樹さんが小さな悲鳴を上げる。地響きはどんどん強くなった。杏樹さんが不安そうな声を上げる。
「ど、どうしましょう……月! 月の目が!」
彼女が見上げる先には満月があった。その中央にある目が、だんだん、ハッキリしてくる。
月の目が、開き始める。
「え、演奏師を! 『月の子守唄』を……」
「そうはさせるか」
僕は背後のドアを示した。戸板をバン、と叩き、それから杏樹さんに告げる。
「鐘がある時点でわかるだろう。僕はもう気づいたぞ。笛の音なんか霞むくらい大きな音を立てる鐘だ。『月の子守唄』は演奏しても意味がない。そして……」
僕はポケットに手を入れた。そうして取り出したオカリナをそっと自分の顔の横に持っていって、杏樹さんに見せつけた。
「こういうこともできる。オカリナじゃなくてもいいぞ。リコーダーでも……」
オカリナはリコーダーになる。
「トランペットでも……」
リコーダーはトランペットになる。
「吹奏楽器じゃなくてもいいな。例えばドラム」
トランペットは手持ちの太鼓になった。
「さらにはギター」
太鼓はギターになった。
これらの楽器のラインナップは気まぐれじゃない。
『ジェーンと奇妙なサーカス団』
これに出てくるキャラクターが演奏する楽器だ。
だがそんなことはどうでもいい。
僕は続ける。
「僕は音楽的センスが皆無だからどれも演奏はできない。リアルではな。だがここならできるんじゃないか? 試しに吹いてみようか? 君はオカリナで演奏してみせたよな。僕もそうしようか?」
「ダメ!」
杏樹さんが叫んだ。彼女はもう、僕が何をしようとしているか理解できたらしい。
「『おはようの唄』は演奏しちゃダメ! そんなことしたら、世界が滅びちゃう!」
「滅びてもいいさ、こんな世界」
僕は小さく一歩踏み出した。それに呼応して、地響きが強くなり、そして、月の目は開き始めた。
やがて蒸発していくように。
世界の端が崩壊し始めた。村の外が……屋敷が、門が、学校が、砦が、見る見る崩れ、天に吸い上げられていき、村を覆う壁がボロボロと消し炭のようになり、目を開こうとしている月は、徐々に徐々に、こちらに落ちてきた。いや、もう眼前にまで迫っていた。月の落下だ。
世界が終わる轟音の中、僕は小さくつぶやいた。
まず、このように。
「ここは夢の世界だろう」
杏樹さんの目が見開かれた。僕は続ける。
「ここは僕が見ている夢の世界だ。僕は眠っているんだ。そして僕は今、目覚めようとしている。だからこの世界は終わる」
「やめて!」
杏樹さんが叫んだ。
だが僕には、まだやることが、ある。
揺れる世界、終末の世界の中、僕は真っ直ぐに立った。それから告げた。
「始めようか。推理を」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます