第23話 学校

 コックに教えてもらった通りに道を進んだ。途中、ハート屋でもらった時計を見る。〈四日目の朝〉。時間はない。

 と、盤上の数字を見て、あることに気づく。

 二十二、とある。昨日は二十一だった数字が二十二になっている。

 この数字が意味するところもさっぱりわからない。そもそも文字盤の上の表記がどのようにして変化するのか、その仕組みさえわかっていない。この手の時計には盤面上の切れ目さえもわからないくらい精巧な仕掛けがあったりするのだが、そういうものだろうか。

 ただ、そう、この二十二という数字には少し思い出が、ある。

 中学生になった頃の話だ。

 小学校低学年までは八時就寝、高学年からは九時就寝だった僕は中学生になって十時就寝となった。遅くまで起きていられることに大人の世界を感じたものだ。

 手に入れたばかりのケータイで友達と遅くまでやりとりしていたり、夢中になって本を読んだり、テストに備えて勉強したり、年頃の学生らしいことをしていた。あの遅くまで起きていられる時間、二十二時の不思議な高揚感が僕は好きだった。

 今や二十二時なんて特段どうと思いもしない、そんな時間になってしまった。それでも二十二という数字にはあの頃の高鳴りを感じずにはいられない。

 何でこんなことを思い出したのだろう。と、考えてふと目の前を見る。

 南の学校。村の外れにある学校だった。

 たどり着いた先で目に入った校舎の見た目はとてもよく似ていた。僕が昔通っていた星見野ほしみの中学校に。

 嫌な思い出もいい思い出もごちゃごちゃになっているのが中学校の頃の記憶だ。多分みんなもそうなんじゃないかな。一般的に黒歴史と言われるものの多くは中学時代に生成される。大人になろうとしているサナギの中で、体も心も大きく変化しようとしている時期だから、だろうか。

 南の学校は廃校になったというだけあって、誰もいないし手入れもされていなかった。そこかしこに背の高い雑草。校舎の壁もひび割れだらけ、割れた窓ガラス。ひどいものだった。星見野中学校に似ているだけあって何だか僕の母校がめちゃくちゃにされている気分だったが、不思議と不快な気持ちはなかった。どこか清々している節さえある。

 校門入ってすぐ目の前に校舎。仮にこれが星見野中学校と同じ造りなら、校舎は上空から見て「コ」の字になっているはずだ。「コ」の下辺が今目の前にある校門に面した校舎。渡り廊下が北に伸びていて、「コ」の上辺が新校舎。図書室は最上階にあったとコックが言っていた。とりあえず目の前の校舎から当たるか。

 半開きになっている校門から侵入する。傾いた門扉が時代を感じさせた。いつ頃からある学校で、いつ廃校になって、そして今いる子供たちはどこの学校に通っているのだろう。

 そんなことを気にしながら敷地に入ると、一気に空気がむわっとした気がした。風が止まっているというか、ここだけ凪いでいる気がする。嫌な空気の中を突っ切って校舎へ向かった。中はもっと凪いでいた。

 空気が微動だにしてない。まるで時が止まったかのような錯覚までする。僕は周囲を睨め付けた。何かいるか……いや、ここに子鬼が。

 下駄箱の狭間を通り抜ける。奥に進めば進むほど、何かに飲まれる感覚があった。階段を目指す。やはり、というべきか。記憶の中の星見野中学校によく似ている。問題なのは、僕がもう星見野中学校の内部構造を忘れていることで、すなわち今目の前にあるこの校舎と星見野中学校の校舎とがどれだけ一致しているのかわからないということだ。

 階段を上る。踊り場の壁、上部につけられた窓から陽光が差し込んでいる。止まってしまった空気の中、光だけが唯一真っ直ぐに進んでいた。僕は階段を上り続ける。

 やがて、最上階に着く。廊下は左右に続いていたが本能的に右手に出た。真っ直ぐ進んだ向こうに白い引き戸があって、そこが図書室だと本能的にわかった……いや、表札には薄っすら「図書室」と書いてあったのだが。

 廊下を進んで図書室へ。ドアには鍵が……かかっていなかった。

 建て付けの悪い引き戸を開けて中に入る。一瞬、風が吹いた気がした。


 ヒヒヒ……


 笑い声だ。子鬼がいる。僕は耳を澄ませ周囲に目を走らせた。どこだ? どこにいる? 目につくもの。貸し出しカウンターが右手にあって、左手には閲覧室。閲覧室の奥には書庫。コックのやつ、「空き教室に本棚を詰めただけ」なんて言ってたが結構しっかりした図書室じゃないか。僕は慎重に歩を進める。ふと、貸し出しカウンターに目が行く。

しおいのしし』それが、あった。

 何でこんなところに? 疑問符が頭の中で沸騰する。『潮の亥』。『潮の亥』だ。だがこれは僕が秋海しゅうかい堂で買った古書とは違う。まるで有志が地元の歴史を本にまとめましたというような、商業出版にしては程度が低く、かと言って同人誌としては上等な、そんな造りの本だった。手に取り、ページをめくる。魚京うおぎょうの話も、吾嬬わがつま面の話もある。

 内容も、文章が平易になり、しかし細かい項目まで触れるようになっていた。例えば以下だ。


 ――吾嬬面は眠りし面、目覚めし面。

 ――吾嬬面をかぶり、使者に話しかけると、吾嬬面の妖力は、使者にも及ぶ。

 ――吾嬬面をかぶせればその妖力により全てを眠りに伏す。そして眠りを、場にいる者に共有させる。

 ――吾嬬面は眠りの底にも存在する。


 上記のいずれも、僕が持っている『潮の亥』にもそれとない記載はあった。だが僕が持っているのは古語で書かれたものなので、僕が現代語訳する過程で解釈が抜け落ちたり本来の意図とは違う伝わり方をしていたりする可能性が大いにあった。その点、今目の前にある『潮の亥』は要点をわかりやすくそれも現代語でまとめてあった。僕はページをめくり続けた。特に、「吾嬬面」に関する記載を。


 ――吾嬬面により導かれた眠りの底では隠し事ができない。

 ――吾嬬面はかつて拷問に使われた。

 ――眠りし者の中にいる「何か」は常に眠りし者を守る。

 ――「何か」は眠りし者が持つ心象に起因する。

 ――吾嬬面を用いて心から何かを引き出そうとする時、この「何か」は抵抗してくる。


「おい」

 いきなり背後から話しかけられた。僕は振り向く。

「それ、読んだな」

 振り向いた先にいたのはブレザーに身を包んだ少年だった。どうしてだろう、一目で「子鬼だ」とわかった。

 男の子は閲覧室の中にいた。背後のカーテンが窓の外からの光を吸収していたが、それでも眩しかった。

「もう、わかったな」

 男の子がニヤリと笑う。僕はたまらず声をかける。

「待て。君たちは一体何が目的なんだ。僕から大事なものを奪って、一体何が……」

 すると男の子はチラリと目線を閲覧室の机に落とした。そこには本が一冊置いてあった。よく見なくてもわかる。あれは『My Little Mare ~私の小さな夢魔~』だ。紫色のカバーに赤い毒々しい文字があるので間違いない。僕は慌てて閲覧室のドアを開け中に入った。

「おい、君らの目的は何だ。僕からこれらを奪って何がしたい? そもそも君たちの存在は、君たちは何が目的で月を……」

「ヒヒヒ」

 男の子が笑う。

 それから彼は僕を見つめたままゆっくり歩いて窓際まで行った。そこでようやく気付く。窓が、開いている。さっきまで微動だにしなかった空気が微かに揺れている気がした。実際、カーテンはふわふわと風を孕んで膨らんでいる。

「僕は、未知のトモダチ」

 男の子がまた笑う。その後に続く展開が見えた気がして、僕は彼に手を伸ばした。だが彼は、まだ笑う。

「僕が消えれば見えてくるものもある」

「待て! 君、一体何を……」

「じゃあね」

 と、男の子は、顔に笑みを貼り付けたまま、そのまま……。

 後ろに向かって倒れる。窓際にいた彼はそのまま膨らんだカーテンに飲まれていった。そうして沈んだカーテンの先には、奈落の底が……。

 そう、彼は最上階から、我が身を、転落させたのだった。



 砂袋が地面に叩きつけられたような音が後から聞こえた。

 僕は思わず首をすくめた。が、それからすぐに窓に駆け寄り、カーテンを取っ払い窓の外を見る。

 遥か下方。

 コンクリートの地面の上。

 水風船を破裂させたように血をばら撒いた死体があった。さっきの、男の子の死体だった。

 が、その傍に。

 一人の男が立ち尽くしていた。くたびれたワイシャツに袖を通したその男は、血飛沫を散らした男の子の死体を、何だか新種の虫でも見つめるかのように興味深く、見つめていた。僕は声を飛ばした。

「お前、演奏師だなっ!」

 すると男はひょいと顔を持ち上げて僕の方を見た。丸眼鏡がいやらしい雰囲気を醸している、妙な男だった。

「そう、なんですがねぇ……」

 男は首を傾げた。

「子鬼を成敗しようと思って来たら、これなんでさ」

 やっぱり奴らの目的はそれらしい。

「どうしたもんですかねぇ」

「お前、お前そこで待ってろよ。今行くからな」

 そう、叫んでから僕は図書室を飛び出す。手に『My Little Mare ~私の小さな夢魔~』と『潮の亥』を持つことを忘れない。

 大急ぎで下りた階段は、さっきまでと違って一気に埃臭くなっていた。下駄箱を飛び出て、裏手に回る。「コ」の字の上辺と下辺の間にあるスペースに奴はいた。全速力でそこを目指す。角を曲がった先。奴はいた。もちろん、死体も。

「おかしなもんでさぁね」

 眼鏡の男は首を傾げていた。

「自分から死ぬたぁ、奇怪だ」

「待て。何だ。何の話をしている」

 僕が声を荒げると、男は急に後ろを振り返り、それからそのままフラフラと歩き出した。まるでもうここに用はない、とでも言いたいかのように。

 僕は彼の背後に近寄り肩を掴もうとした。奴から話を聞かなければ。そう思って踏み出した時だった。

「あっ、いっ、いたああ」

 頭痛だった。また脳神経を裂けるチーズみたいに裂いているんじゃないかというくらいの、ビリビリと剥がされるような、そんな痛みだった。思わず蹲る。すると、今度は。

「大丈夫。守るから」

 死んだはずの男の子の声だった。思わずそちらを見る。男の子は虚ろな目に急に光を灯して僕を見ていた。

「ねぇ、キミはどうしてそうなの? キミがどんな風に見えているか、キミにはわかっているのかな」

「お……おい、何だそれは、どういう意味だ。何が言いたいんだ!」

 しかし男の子は力なく笑った。

「自分の力を、信じて……信じて……信じて……」

 そう言われた直後。

 僕は意識を失った。

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