第21話 二人目
キミのなりたいものはキミのなるべきものか……?
秘密のトモダチからの言葉を僕に置き換える。
僕は小説家になりたかった。だからなった。だがこれが、僕がなるべきものだったのか?
多分この村に来る前なら簡単に頷いていただろう。僕は小説家になるべくしてなった。これ以外の道はなかったし、これこそが正解だ。そう、断言できただろう。
だが今はどうだ? こうして何重にも重なる夢の世界を見せられて、今いる自分の次元が絶対だとは言えなくなっている気がする。多元的並行世界の中で、僕のいるバースはひどく矮小で……。
いや、何を言ってる。何を言っているんだ。
僕は首を横に振った。おかしい。おかしいぞ。何かが揺らいでいる。僕の中の何かが、確固たる何かが……。
待てよ。僕は何で小説家になりたいって思ったんだ? 何で僕は、今の仕事に、この職業に、作家に、なろうと思ったんだ?
記憶をたどる。僕が「小説家」に憧れた、一番古い記憶。
*
転校が多くて退屈していた。
友達なんか作ってもすぐお別れになる。
だから無駄だと思った。どうせ一緒にはいられないんだ。友達なんて、作るだけ、無駄だ。
その点、本はいい。どこにでも持っていける。一度所有すれば自分のものだ。
貸さない。人には貸さない。だって僕の友達だから。本は僕の、友達だから。
だがこの考えも、小学校を卒業したあたりから風化し始める。
別にこの世にある本全てを読み切ったなどとは思っていなかった。
だが気の合う本と気の合わない本とがあることは分かってきていた。
気の合う本を探すのは難儀だと思い始めた。思考がより省エネ化してきたといったところか。
そうして僕は「本を作る」ことに目覚めた。難儀ならこちらで作ればいい。そう思った。僕は小説を書くようになった。中学生の頃。僕は受験に差し掛かった頃に初めて小説を書き始めた。
そしてそれが「楽しいこと」であることに気づき、どうやらこれを職業にしたら毎日楽しく過ごせそうだぞということに気づき、そして高校に行き、深月先輩と出会って、それから本格的に書き始めて、それで……。
「飯田くん、これ面白いよ」
春だったと思う。いや夏か? 梅雨だった気もしてきたな。
先輩と付き合うようになってすぐ。
先輩に僕の小説を読んでもらった。
タイトルは『夢追い人』。小説家になれなかった男が小説家ばかりを殺す殺人犯を追いかける話だ。
「よくこんな話思いついたね」
褒められる。僕は嬉しくて、先輩の目を見つめる。
「ありがとうございます! 嬉しいです! 僕、……………………」
あれ?
「僕、……………………」
この時僕は、何て言ったんだっけ。
「僕、……………………」
僕、……………………。
*
気づけば、寝落ちていた。
朝が来ていた。それは窓の外が明るいから気づいた。僕はいつの間にかベッドの上で猫のように丸くなっていて、体がバキバキに固まっている痛みによって目覚めた。
呻く。体を少し動かすと、硬直していた筋肉が音を立てた。ああ、とまた呻く。ひどい朝だ。一日の始まりとしては最悪の部類だろう。
目の前にモレスキンのノートが置いてあった。僕のノートだ。手に取る。妙に軽い気がする。ぱらりとページをめくる。そして硬直する。
ページが……ページが真っ白だ。
ノートの角は凹んでいるし、ページの端は破れているし、このくたびれた感じ、間違いなく僕のノートのはずなのだが、どこをめくってもページは真っ白、何も、一文字も書かれていない綺麗な紙がただひたすらに続くだけ……。
ふと、最初のページを見てみる。
返してくれたら四十万円進呈する旨、書いてある。
何でこれだけ書かれてる? とりあえずこれでこのノートが僕のノートであることは確定したわけだが、どうしてこの文面だけ、そしてそれ以外の文面は綺麗に消えているんだ? 何があった? 僕のネタは? ページをひたすらにめくり続ける。そして、最後のページに、見つける。
〈安心して 守っておくから〉
*
適当に身支度をして、食堂へ行く。
時間帯的に遅かったのだろう。サーカス団と思しき人たちが食堂を占拠していた。
空いている席はなさそうだ。
僕が入り口で足踏みをしていると、ふとカウンター席の向こうからあのボールみたいに太ったコックがやってきて手を振った。片手にはやっぱり肉切り包丁が握られていた。
「お客さん、今朝は遅かったね」
「どこもいっぱいかな」
僕が室内に目線を投げるとコックは笑った。
「サーカス団の朝稽古の後だからね。人でいっぱいだよ」
僕はサーカス団の面々を見つめる。
子供みたいに小さい男がいた……それが成人だとわかったのは、口周りに立派なひげが生えていたからだ。それに子供にしては肩回りの体格がいい。多分小人症だろう。サーカスみたいに見せ物をする事業ならああした病気を持つ人間も個性を活かせる。まぁ、この言論は様々な方面から集中砲火を受けそうな気はするが、僕は障害を障害として受け入れる姿勢も、障害を個性として受け入れる姿勢も、どちらも尊重したいと思っている。人生持っているカードで勝負するしかないのだ。そのカードをどう使うかはプレイヤーたるその人次第。
小人の隣には大男もいた。でっぷりした腹を持っていたが、今ここにいるコックとは太り方が違う。相撲取りのような、体幹がしっかり作られているからこその肉のつき方だ。あれはビールか? その大男は朝っぱらからジョッキを傾け何かを飲み、豪快に笑っていた。談笑する声も大きい。聞こえてくる。
「ここの温泉は最高だ! 熱い! とにかく熱い!」
どうも熱い風呂が好きなようである。
その横にいる、線が細くてすらっと背の高い男はずっとギターをいじくり回していた。軽やかなリズム、そして小さな歌声がこちらの耳に届く。
「
「出直すよ」
僕は太ったコックにそう告げた。コックは笑った。
「お客さんのためにひとつ大きなロールキャベツをとっておくよ」
また、ロールキャベツか。
「ありがとう」
僕は片手をあげてその場を去った。
*
今見かけたサーカス団の面々が何かに似ている気がする。
部屋に戻る途中、僕はそんなことを思った。まぁ、サーカス団なんてリアルでそう目にするものじゃない。察するにあれに似ているのはフィクションの中のサーカス団だろう。映画か、それとも漫画で見たに違いない。それこそあれだ。なんとかの奇妙なサーカス団……。
『ジェーンと奇妙なサーカス団』。
そうだ。そんなタイトルだ。何だっけこれ。深月先輩関連でなかったことは確かだが……。
あれ、何だっけ?
本当に忘れている。タイトルだけ頭に浮かんで肝心の中身が全く思い出せない。いつ、どこで、何で知ったタイトルかも、そもそもそれが映画なのか漫画なのかさえも、全く、綺麗に、頭の中から……。
モヤモヤしながら部屋に帰る。とりあえず浴室に行って軽く手を洗い、顔に冷たい水をかけて、タオルで拭いた。刺激を変えても思い出せない。じゃあ何だ? あの『ジェーンと奇妙なサーカス団』って話、一体何で……。
そう考えながら、乱れたベッドを見た時だった。
弾かれたように思い出す。そうだ。何でこんな、大切なこと、思い出せなかったんだ?
『ジェーンと奇妙なサーカス団』
僕が初めて書いた小説じゃないか……。
*
ジェーンと奇妙なサーカス団。
孤児のジェーンが施設から脱走し、紛れ込んだ山の中で、奇妙なサーカス団に出会う。
小人のモリット、大男のゴロロ、ギタリストのソラだけで結成された奇妙なサーカス団。
ジェーンとのその三人は「興行」という名の旅に出る。世界各地で、様々な「謎」と出会いながら……。
意外に思われるかもしれないが、僕の処女作……と言っていいのかわからないくらいの手習い作は児童文学だ。
一応ミステリーっぽさもある。ファンタジーの世界で出会った謎を、孤児のジェーンがサーカス団三人の個性と、ジェーン自身の発想と機転とを武器に解決していくというようなストーリーなのだが、この小説は日の目を見なかった。
当たり前だ。書いてすぐ燃やしたのだから。
中学三年の頃、ノートに綴った小説モドキだ。受験勉強の合間、コツコツ書いて、そして合格発表が終わり志望校に受かった途端、急に陳腐に思えてノートごと燃やして捨てた、そんな小説なのだから。
何でだ? 何で今まで忘れていた? こんな大事な思い出、どうして、今に至るまで?
……秘密の友達が死んだことに関係しているのか?
直感的にそう思った。そういえば、みんなが知る友達が死んだ時も奇妙なことがあった……僕がこの吾嬬村の出身であるかのような夢を見た。僕がこの村の出身でないことはみんなも、それから僕自身もよく知っていたはずなのに、急にその前提が崩れた。
もし、『ジェーンと奇妙なサーカス団』の記憶の喪失が、秘密の友達と関係しているのなら。
考えろ。みんなが知る友達が消えた時、みんな……つまり僕とその他にとって自明であった「この村の出身ではない」が揺らいだ。となると秘密の友達が消えた時は……?
僕にとっての「秘密」が消えるのか?
モレスキンのノートに書いていた小説のネタは「秘密」だ。間違いない。『ジェーンと奇妙なサーカス団』も僕だけが知っている「秘密」だ。つまりそうか。秘密の友達が死んだ今、僕にとっての「秘密」がやはり消えているんだ。
しかし。
僕の脳裏に、再び浮かぶ。
ノートの後ろ。一番最後にあった記載。
〈安心して 守っておくから〉
あれは誰の、書置きなんだ?
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