第19話 門

 やはりこの村の連中は妙だ……何かがおかしい。何かが狂ってる。さっきの連中は何なんだ? いじめられている方が主導権を握っている、ってことか? 鞭打たれていた女の方が男二人を支配していた。。何だ? 何だったんだあいつら。

 混乱する思考をそのままにとにかく前へと進んだ。石畳の道をひたすらに歩く。それが見えてきたのは、五分ほど進んだ先のことだった。

 まず石畳の道がだんだん草に覆われはじめた。目に見えて村が寂れてきている。空き家らしき建物も増えてきたし、窓ガラスの割れた建物も増えてきた。壁にツタ、屋根にコケ、だんだん古びて、廃墟のようになってきた。

 そして、それはあった。

 古びた門。

 西の門。



 門とは言っても、ちょっとしたドームのような造りになっていた。僕はゆっくりとそれに近づいた。目の前に来てみると、その門は学校の体育館くらいの規模を持っていた。山型食パンのような見た目の屋根が、ずーっと向こう、三十メートルほど先まで続いている。中は空洞。入って正面にひたすら真っ直ぐ進めば出口に行ける。ドーム自体はレンガ造りになっており、中に入ってみると、吹き抜けを通じて二階構造になっているらしかった。村を囲っている城壁と同じく、やはり外部からの敵を想定している設備なのだろう。ドーム壁の側面には物見やぐらのようなもの……張り出し歩廊ほろうまである。

 二人目の子供はここにいる。そして、そう。二人目の演奏師もここに来ているはずだ。

「おおい」

 時間がない。丁寧にこの建物中を探している余裕がない。僕は大声を上げてみる。声は反響し、妙な余韻を残して消えていった。この建物の規模にしては反響がでかい気がする。もう一度声を飛ばす。反響。しかし返事はない。

 まぁ、そう簡単に済むわけがないか。

 僕は素早く一階のフロアに目を走らせた。薄暗い。隅の方までは見渡すことができない。だが目に付く範囲に人影はなかった。となると、二階か。僕は二階へ行く方法を探してみる。

 門のドーム内をゆっくり歩く。やがて、左手壁の一部のレンガが一定間隔で外されていて、即席の梯子になっていることに気づいた。これを上ればいいのか? 実際レンガの梯子は天井の穴に続いていた。僕はゆっくりと手をかける。この寂れ具合にしては不思議なくらいに、手に埃がつかなかった。ということは、誰かが既に使っている……? 

 とはいえ、抜けてるレンガだ。どこかが緩んでいたり壊れていたりしては上るのにも難儀する。僕は手にしていたバットで壁をコツコツ叩いた。乾いた音。大丈夫そうだ。だが上るにはこのバットが邪魔だった。こいつを持っていてはこの小さな梯子もどきは上れない。やむなく、僕はバットを足元に置いた。それからゆっくり、苦労して上に行く。歯抜けのレンガは手元も足元も心もとなかった。行く先は一階の天井。歯抜けレンガの壁の真上に穴が開いており、それがそのまま二階の廊下に繋がっている。上り切る。二階に着く。そして、見つける。

 床に、足跡。

 埃の上を踏んだから、というような。いや、汚れた足で歩き回ったからこそできる足跡だろうか。サイズ的に……子供か。子供の足跡。俄然期待が膨らむ。二人目の子供。二人目の子鬼。


 ヒヒヒ……


 声がした。僕は素早く周囲に目を走らせる。どこからだ。どこで笑った。

 かつん、と何かがレンガに当たる音がした。それは僕の頭より下の方から、おそらく床から聞こえた。このフロアに誰かいる。誰か……吹き抜けの縁をフラフラ進む。誰だ。どこから。そして少し進むと、ようやく気付く。

 張り出し歩廊の方からだ。

 門の外壁には穴があり、そこから人が二人縦に並んで立てるくらいの足場と、胸壁きょうへきとが突き出していた。張り出し歩廊の一種だ。外部の様子を目視できる造りになっている。僕はすぐ目の前にある歩廊の入り口に入り、そこから身を乗り出した。そして、見つけた。

 今、僕がいる歩廊からもう一区画先に進んだところにある張り出し歩廊。そこで、人の頭らしき黒いものがひょこひょこ動いていた。子供か? 子鬼か? 僕は慌てて引っ込むと、すぐさま、ほとんど走って次の歩廊へと向かった。そして、出会った。

 歩廊の胸壁、一か所のレンガが抜けている。

 それは大きな塊のレンガだったようで、抜けたその場所はちょっと大きな穴になっていた。

 そこに頭を突っ込むようにして、何かをしている。

 子供……ではない。大人だ。僕は苦い気分になる。だって、子鬼がいるであろうこの場所にいる大人、推定村人は間違いなくあれだからである。

 行方不明になった、四人の演奏師の一人。

 僕の存在に気づいたからだろうか。

 狐を想像させる吊り目の、がりがりに頬がこけた男が、こちらを振り向く。右手にはペン。鷹か鷲かを思わせる茶色の羽の羽ペンを持っていた。そしてその手元に。

 僕のノート……モレスキンの、僕の黒いノートを広げていた。



「返せ」

 開口一番、僕はそう発した。相手が子供じゃないと分かれば、それは一気に危険性を孕んだからだ。僕の思い出の品を持っているのが演奏師なら、僕のミッションはひとつ難易度が上がったことになる。

「返せってさぁ」

 狐目の男が呆れたような顔をした。それから続ける。

「これは俺っちのなんだが」

 低い、濁声。僕は彼の手元のノートを見る。ページの撚れ具合。僕のっぽい。

 とはいえ根拠には欠ける。僕は提案する。

「最初のページを見せてほしい」

 モレスキンのノートには大抵最初のページに「もし見つけたらどこどこに送ってくれ。謝礼はいくら払う」という趣旨の記載がある。僕はこのページに謝礼金を書いている。四十万円。僕のアイディアをまとめてあるこのノートを拾ったラッキーマンが受け取る金額だ。下手な人の月収くらいはある。ノート一冊にここまでの額を設定しているのなんて僕くらいだろう。だから最初のページに四十万とあれば間違いなく僕のだ。

「嫌だね」

 しかし狐目の男は拒絶した。手元をずらし、ノートを僕の方から遠ざける。手に持った羽ペンからインクが垂れて歯抜けレンガの机に落ちた。それは染みを作った。

「見せてくれれば疑いは晴れる。本当に君のものなら僕は素直に引き下がる」

「じゃあ、俺っちと勝負しろ」

 勝負しろ?

 待てよ、おい。そんなこと前にも……。

 と、僕が思っていた時だった。男がすっくと立ち上がる。意外にも背が低かった。小柄な彼は、ニヤッと笑うとその場で一周ターンした。

 そして、すぐに。

「ヒヒヒ」

 子供になった。子鬼になった。僕の目の前にいた狐目の男は、くるっとターンするうちに一人の子供に化けた。

 子供は、心底嬉しそうな甲高い声でこう告げた。

「びっくりした?」

 だが……何だろう。少なくとも僕からノートを奪った子供は本当に幼稚園生くらいの豆粒ちびすけだったのだが、今目の前にいるのは小学三、四年生くらいの少年だった。顔に見覚えがないようで、ある。見たことあるような気もするし、見たことないような気もする。

 僕は小さく笑う。笑うしかない。何だこれ。何なんだこれ。まるで、本当に、狐にでも、化かされているみたいな……。

「ここでは自由に変われるんだよ」

 子供の、幼い声。

「自由なの。思うがまま!」

「思うがままって……」

 僕がじりじり後ろに下がると、子鬼は……少年は僕の前に一歩進んできて、それから手渡してきた。ノートを。一冊のノートを。

 モレスキンを。

「ヒヒヒ」

 それから少年は、いきなり弾かれたように駆け出した。僕は彼を一瞬、呼び止めようとしたが、やめた。まだ脳が追いついていなかった。目の前のことに。目の前で起こったことに。



 どれくらいの時間茫然としていただろう。

 多分、数秒のことだろうが、僕にはとても、長く感じられた。目の前で大人が子供に化ける……いや逆か? 大人に化けた子供が再び子供に戻る様を見て、僕は、自分の頭を疑った。やっぱりどこか打ったか? それとも何か飲まされた? あるいは、僕はまだねむっ……。

 その瞬間、目の奥を縫い付けられるような激痛が走った。痛い! 頭が……痛い! 

 フラフラと前に進み、壁に手をつく。やばい。これはやばいやつだ。痛い。痛すぎる。蹲る。少しの間歯を食いしばっていると、やがて痛みが引いてくる感じが、あった。僕はまたフラフラと立ち上がる。

「くそ、ガキといい頭痛といい……」

 僕は頭を振る。まだ視界がチカチカしている気がした。

 僕の周りで何が起こっているのかはわからない。

 わからないどころか意味不明だ。平気で子供を殺す奴がいたり、大人に化ける子供がいたり。ハート屋とかいう訳のわからん店もあれば、自分を鞭打たせる女も、それに従う男も、それに村の時計のことだってまだわかってないし……。

 時計。

 僕はポケットからハートの時計を取り出してみる。蓋を開く。そこには〈三日目の夕方〉という記載があった。もう夕方? しかし僕は、それ以上に妙なものに気が付いてしまった。

 二十一だ。二十一ある。

 時計の文字盤に書かれていた数字である。

 おかしい。僕がこの村に来て初日、杏樹さんにカーニバルの説明をしてもらいながら見た時の時計は二十までしか数字がなかった。いやでも待てよ? この村の時計はそれぞれがそれぞれの特徴を持つんだっけな。村長が年に一度時計を配るとかいう……でもハート屋のこれは非正規品みたいな扱いじゃなかったか? どうなってるんだ? 何で僕の時計には二十一までの数字が? 

 と、脳裏にさっきの少年がよぎる。ニヤッと笑う彼。いたずらっ子。

 それから、週刊ストーリーランド。

 もしかして……いや、そんなはずは……。

 などと思っていた時だった。

「ぎゃあぁっ」

 耳をつんざくような悲鳴が聞こえてきた。子供の声、少年の声だ。僕は慌てて声のした方へ走る。見えてきたのは穴だった。僕が一階から二階へ上がってくる時に通った穴だ。声はこの下から聞こえた。一体何が……僕は身を乗り出し、穴の中を見る。

 そこに、いたのは……。

 頭蓋骨の砕かれた少年。

 そしてその脇に立つ、バットを持った……狐目の男。

「俺っちに化けるたぁ、いい度胸だ」

 男がつぶやいた。

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