後編
第16話 三日目
みんなが知る友達、秘密の友達、未知の友達、誰にも見えない友達。
みんなが知る、秘密、未知、誰にも見えない……やはり何かで見たことがある。何だ? こういう時は直感が頼りになる。思い出せ。何が連想される?
ふと、頭に浮かんだのは、大学四年の時に友達と行った就活セミナーだった。みんな上下真っ黒なスーツの中、僕だけピンクのポンチョにグレーのベレー帽という服装で行ったら笑われた。まぁ、こちとら冷やかしみたいなものだったので、笑われること自体に特にストレスはなかったのだが、何か……。
――適当なこと言いやがって。
そんなようなことを思った記憶がある。これはストレスだった。
だがこの思い出が何に繋がるのか、わからない。
モヤモヤした気分のまま、鎌延屋の外へ出る。薄暗い。夕方だろうか。時計の読み方がわからないので時刻がわからない。雲が霞んだ赤い空は朝方の可能性さえある。おまけに何度か意識を失っているから一日経ったのかどうかもわからない。何もわからない。僕は無力だった。僕はすっかりこの村に飲み込まれていた。
くそ、気がどうにかなりそうだ。
辺りを見渡す。何か情報は、何でもいい、手掛かりになるものはないか。歩き出す。だが彷徨う足取りに確かなものなどつかめるはずもなかった。ただ、歩く。とりあえず鎌延屋からは離れられた。しかしそうなってから気づく。並んだ家屋のどれが鎌延屋なのか、判別することはできるのか? 僕は帰ってくることができるだろうか? 不幸にも似たような建物ばかり。せめて看板は……と、軒先を見つめる。肉……らしき看板。肉屋か。となると隣は本屋で……やっぱり。本のマークがある。この辺りだ。この辺りに鎌延屋がある。看板に文字がないから探すのに本当に苦労する。次の店には……何だこれ、爆弾か? 爆弾屋なんてのあるか? 花火屋の間違いか? そういやカーニバルのラストには花火が上がるような話をしていたな。やはり花火屋か。しかし鎌延屋はどこだ?
こうしてみると、自分が北の屋敷からどうやって鎌延屋に戻ってきたのかさえもわからなくなる。よく戻ってこれたな。何かコツでも……? いや、一本道だったからわかっただけか。コツも何もなかったんだ。あれ? そもそも僕は何で迷子になってるんだっけ? 彷徨い歩いたなんて言ってもほんのちょっと進んだだけじゃ?
しかし現実問題として僕は迷子だ。どの建物が鎌延屋かわからなくなっている。何だか狐にでも化かされてるみたいだ。
しばらく当てもなく歩いていると、やがてハートマークが掲げられた家を見つけた。何だここは。ラブホか。そうは思ったが杏樹さんが言っていた。「この村では鎌延屋が唯一の宿だ」と。となると待合茶屋的な……いや、よくわからんな。
入って、みるか。
作家は特殊な職業だ。何事も経験。生きた取材は何にも勝る。面白そうと感じたことには飛び込んでみる。その度胸が大事だ。
ハートの看板が掲げられた建物のドアに、触ってみる。ドアノブを回す。開いた。ゆっくりと、開いてみる。
「フフフフフ」
「ハハハハハ」
……妙なところに出たな。
ドアを開けた先にいたのは、社交ダンスのようにお互いを抱き合う一組の男女だった。部屋一面ピンク。それこそラブホのベッドのような天蓋が部屋の四方から降り、ある種のテントのような雰囲気を放っている。問題の男女はお互いを熱く見つめ合い、そして時折キスをしている。これは、入ってはいけないところだったな……幸いまだ気づいてないみたいだしさっさと退散……。
「やぁ君」
と、いきなり男の方に、声をかけられる。僕はギクリと立ち止まる。男が……女と抱き合ったまま、にこやかな表情をそのままにこっちを見つめている。
「いやはや、お恥ずかしいところを見せてしまったね」
男の声に応じて女がささやく。僕のことなど眼中にないようだ。
「なによダーリン。恥ずかしいところって」
「この雰囲気は僕たちだけのもののはずだよ、ハニー」
「フフフフフ」
「ハハハハハ」
「あの……なんだ」
僕は最高に気まずい思いをしながら、それでも居住いだけは正す。
「いや、邪魔して悪かった。そういう場所とは知らなくてね。失敬するよ。できれば、鎌延屋の場所を教えてくれると嬉しいんだが」
と、女の方がようやくこちらを向いた。はにかむように笑ってから、口を開く。
「あら、あなたお客さん?」
僕は頷く。
「そんなところかな」
「フフフフフ」
「ハハハハハ」
何がおかしいんだこいつら。
「ねぇん、よかったら見ていかない? あと三日でカーニバルよ。カーニバルの前はこの店も特別料金でやってるのよ」
店……ここ店なのか? 男女がいちゃつくところを見せつけるちょっと特殊なお店なのだろうか。ストリップ劇場みたいな。
とはいえ、一応訊いてみる。作家魂を見せて。
「何屋なんですかねここは」
女が答える。
「ハート屋よ。ハート屋」
謎は深まるばかりである。
まぁ、とにかく。
女の方が「カーニバルまであと三日」と言った。つまりもう三日目だ。僕が意識を失っている間に日付は変わっていたらしい。
それだけわかれば儲けもんだな。僕は立ち去ろうとする。
「いや、せっかくだが僕は遠慮しよう……」
と、言いかけた時である。
「あなた時計は欲しくなくて? 飯田先生」
……時計、だと? そして何故僕の名前を?
いや、名前の方はまだ察しがつく。東京から来た小説家が鎌延屋にいるのだと噂が走っていたのだろう。狭いコミュニティだから異分子の話はすぐに広がる。僕の名前もその時知られた。だが。
時計だと? 確かに時計がなくて苦労していた。しかし時計を渡せるのは村長だけの特権ではないのか? 確か杏樹さんがそんなようなことを言っていた気が……。
「ここはハート屋なのさ。ハハハハハ」
男がすらっと手を広げる。それに合わせて女も背中を反らせた。まるで社交ダンスのキメのように。
「ハートから望んだものが手に入る」
「ハートから……心からか?」
「そうよ、ハートから。フフフフフ」
ならとっとと子供らに奪われた僕の荷物を返してほしい。そう念じてみたが目の前の二人に変化はなかった。と、女が告げた。
「ダメダメダメ。いきなりはダメ。ちゃんと手順を踏まないと」
「手順?」
「そうよ。女の子はね、複雑なの」
……腹が立つのは僕だけだろうか。
「ハハハハハ。駄目だよハニー。まだ難しい話さ」
「フフフフフ。そうかしら。うふん」
やっぱムカつくな……。
「で、どうだい? 買い物はしていくかい? ハートから望むもの、ここにはあるよ」
男がにこやかな顔のままこちらを向く。僕はその顔に向かって告げる。
「いいだろう。もらおうじゃないか。時計とやら。確かに欲しかった。いくらだね」
と、僕は自分が財布さえ持たずに外に出ていたことに気づく。くそ、買うと言ったのにこれか。するとる女が微笑む。
「いいわ。タダで。あなたお財布持ってないんでしょう?」
フフフフフ。女が笑う。
「そのようだね。進呈しよう」
ハハハハハ。男が笑う。
そんな都合がいい話あってたまるか。小説でこんなことやろうものなら読者が離れる。
「払う」
僕は断固としてつぶやく。
「払うぞ。待ってろ。財布を持ってくる」
「いいんだよ。ハハハハハ。第一、君は鎌延屋への帰り方が分からないみたいじゃないか」
男と女が連れ立ってやってくる。またも、社交ダンスみたいな足取りで。一二、三。一二、三。
「さぁ、これよ」
女の方が男の肩から手を離して僕に拳を差し伸べてくる。僕は受け取る。
ハート形の……懐中時計。掌に入る、ワイヤレスイヤホンのケースくらいの大きさの時計だった。
開く。そこには、文字盤があった。
〈三日目の朝〉
そう、ある。
文字の書かれた盤面が回転するタイプだ。並んだ文字〈三日目の朝〉の周りには、僕が鎌延屋で見た時計のミニチュア版があった。しかしこいつは……何も回っていない。回ってはいないが……耳を当てると、中からチクタクと音がする。
「残りの日数が出る」
男が笑った。
「ゼンマイ式よ。もっともカーニバルまでの間に巻く必要はないわ」
女も笑った。
「カーニバルまでに四人の演奏師を揃えるんだ。君はもう、一人見つけたね?」
菅のことか。あの不気味な長身の男。今あいつがどこにいるのかなんてこと、僕は知らないが。
「四人見つけないと大変なことになっちゃう」
女がまたフフフフフ、と笑う。
「月の目が」
男がハハハハハと続く。
「開いちゃう」
「それは大変だねハニー」
「ホントね、ダーリン」
僕は口を挟む。
「何で僕がそこまでしないといけないんだ」
すると男と女がいきなり真顔になった。僕の方を見る。それからつぶやく。
「この世界が終わったら、困るだろう。ハニー」
「ええ、困るわ。ダーリン」
「本気で終わると信じてるのか?」
しかし男女は真顔のまま応える。
「終わるさ」
「終わるわ」
「朝が来たら夜が来るように」
「雨が降ればいつか晴れるように」
「世界は終わる。終わってしまう」
「それを止めるには、月の目を閉じたままにするしかないの」
「大丈夫。君ならできるさ」
男が首だけにゅっと伸ばして僕の方を見る。すると女もそれに倣った。二つの顔が、僕の目を覗き込む。
「大丈夫。君はリラックスしていればいいんだよ。ねぇ、ハニー」
「そうよ。女性の胸に抱かれるように、ゆっくり、ゆったり。大きく深呼吸をするのよ」
すーっ、はぁっ、と女が息をする。
「最高よね、ダーリン」
*
ハート屋を出るともう日が昇っていた。明るい。何時だろう。太陽の傾き具合だと九時か十時くらいか。
……なんだ、さっきもそうすればよかったじゃないか。太陽が南中にどれだけ近いかで判断すれば……そう思って、気づく。さっきの僕は東西南北さえ分からなかった。だが今は分かる。鎌延屋の入り口真正面が南……あれ? 鎌延屋?
あんなに探した宿屋鎌延が目の前にあった。ちょうど南西の方角から宿の入り口を見ている形になる。ほっ、と一息つく。迷子になったかと思った。きっと起き抜けのさっぱりしない頭でうろついたからよくなかったんだ。
まるで幻を見た後のようなふわふわした頭の中だった。だが、確かなものがひとつあった。
ハートの時計。そこにはやはり〈三日目の朝〉とあった。
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