第14話 みんなが知る友達
「演奏師……」
行方不明になったとかいう。なんだ、簡単に見つかるじゃないか。
「あなた方を探して村が大騒ぎですよ」
僕が迷惑そうな雰囲気を隠さず告げると菅さんはえへへと笑った。
「いやぁ、ご迷惑をおかけしております」
「別に僕は迷惑じゃないんですがね」
しかし菅さんは笑って訊ねてきた。
「ところでお兄さんは、どうしてこんな辺鄙な村に?」
今はどうでもいいだろそんなこと。
しかしまぁ、答える。
「取材旅行の途中で事故に遭いましてね」
「そらぁ、大変だ……」
他人事みたいだな。まぁ、他人事なのだろうが。
実際、菅さんは「そんなことはどうでもいいのだが」とばかりに続けてくる。
「ところでお兄さん。子鬼の行方に心当たりはありますかい?」
「子鬼って何のことです? 僕が探しているのは子供なんですが」
「子供も子鬼みたいなもんでさぁね」
意図するところが全然わからない。
この間、菅さんはずっとしゃがみ込んだままである。脚と脚の間に頭を埋めるような恰好のまま、僕とやり取りしている。いくらか麻痺していたがこのポーズで会話するのもなかなか奇異だろう。
「いいでしょう、わかりました」
僕は一歩、部屋の中に入る。
「子鬼だかなんだか知りませんが、僕もこの屋敷に用がある。一緒に中を調べませんか」
すると菅さんは埋めた頭をそのままにニタっと笑った。
「それあ、いいですね。そうしましょう」
すっと立ち上がる。その上背に僕はびっくりした。百八十以上は余裕である。僕と頭一個近く違う。さっきまで蹲っていたから全然気づかなかった。
と、脳裏にある光景がちらつく。
小学生の頃。
先生に反抗的な態度をとっていたとはいえ、心は寂しかった。
味方になってくれる親以外の大人がいない。
先生に対し反抗的な態度を取る僕を面倒くさがる同級生もいる。
僕は孤独だった。孤独だったから、学校の砂場で遊んでいた。
ちょうど、あんな恰好だったな。
脚と脚の間に頭を埋めて、ただずっと、足元の砂を弄っている……。
*
ドアを通り抜ける時、菅さんは屈まなければならなかった。
この屋敷は全体的に低い。天井も、菅さんの頭すれすれくらいまでしかない。刈り込んだ頭はひどく窮屈そうだった。そういう意味では、さっきのあのポーズは理に適っていたのかもしれない。
「飯田先生はどちらからいらしたんですかい」
歩きながら訊かれる。いつの間にか先生呼びだが、それはさておき。
「東京ですよ」
「ははぁ、それは立派なところから」
なんだか皮肉っぽく感じる。
「菅さんは生まれた時から吾嬬村なんですか」
「あたしだけじゃないでしょうねぇ」
菅さんはねちっこくつぶやいた。
「村にいる人間はみんな村で生まれたんでさぁ。それに村から出ていくこともありませんしねぇ」
「外から人が来るということは?」
「ないですねぇ。これまでもこれからも」
……これまでもこれからも?
しかしそれ以上に気になることがある。
全員村で生まれ村から出ない。となると必然的に近親相姦が発生する。近親姦のデメリットは奇形が生まれやすくなることだが、菅さんもそうした経緯で生まれてきたのだろうか……などと妙な気分で彼のことを見てしまう。いや、それだけじゃない。杏樹さんと一彦さんも遠い親戚関係で繋がっていることになる。
と、僕が思案にふけっていると、いきなり。
地震が起こった。地面がグラグラ大きく揺れた。かなり大きい。大丈夫か。この屋敷古そうだが倒壊のリスクは……と思ったが、しかし意外にも建物自体は大丈夫そうだった。
「大きかったですね」
僕がつぶやくと、菅さんが何事もなかったかのように微笑んだ。
「月の目でしょうね」
「月の目」
またそれか。
「月の目が開こうとしたんでさぁ」
えーっとなんだ。月の目が開くと世界が滅びるんだっけか。
しかしまぁ、さっきの地震と月の目との間に因果関係があるなら確かに日本どころか地球の一つや二つ滅んでしまいそうだなとは思った。
月。
この単語を見ると、僕は必ず思い出してしまう。
深月先輩。僕が愛した、唯一の人。
*
裁ちバサミは尻ポケットに入れていた。別に杏樹さんに倣ったわけではないが、なんとなくそうしていた。深月先輩のことを思い出して、ふと、裁ちバサミに触れたくなる。刃の先を指ですっと、撫でたくなる。指の腹にその先を埋めたくなる。そのまま裂いてしまいたくなる。
「いけませんぜ」
菅さんの声でふと現実に戻ってきた。僕は菅さんを見上げた。
「先生、それあ、いけませんや。自分で自分を傷つけるもんじゃないです」
「……僕がそんなことをするとでも?」
へ、へ、へ。
菅さんはそう笑った。
「しようとしていたくせに」
……ますます不気味な奴。
しかし菅さんは続けた。
「先生に死なれちゃ、あたしたちも困るってもんでね」
「困る?」
「先生には元気でいてもらわないといけないんでさぁ。元気でここに……」
なんだこいつ。孫の健康を祈るじじいみたいなこと言いやがって。
しばらく屋敷の中を歩いた。延々と続く廊下。暗闇の中だから先が見えない。壁には燭台があり、蝋燭の火は灯っているのだが、かろうじて菅さんの顔が分かる程度で、前方なんか見えやしない。ずっと廊下が続く。ずっと廊下は続く。
「こりゃ、だめですな」
ふと、菅さんが立ち止まる。僕も止まる。
「子鬼めに嵌められとる」
「嵌められる?」
まぁ、ずっと続く廊下、というのは確かに奇異なものだが。
「あっしを近づけたくないんでしょうね」
菅さんは急に下を向いた。それから、僕に向かって告げてくる。
「先生、すみませんが別行動をしましょうや。あたしはここで待ってるんで、先生はずっと、先の方に進んでおくんなまし」
……どう返すのが正解なのか分からない。
イエスともノーとも言い難い。はいそうですかと先に進むのには度胸が要るし、かといっていいえここにいますと言いたいほどこいつは気持ちのいい相手じゃない。僕はしばし考えた。考えたのち、物事を先に進めるには自分が前に行くしかなかろうと結論付けた。菅さんに背を向ける。
なにかあったら声を上げろとも、どこどこで待ち合せましょうとも言われない。ただ、僕が歩く。
暗い廊下。湿り気がある。足音は相変わらず絨毯に吸い込まれていた。自然と息を潜める。なんだか嫌な夢でも見ているみたいだ。
と、変化は唐突に現れた。
目の前に壁が……ドアが見えたのである。
いきなり。何だこれ。さっき菅さんが言ってた「嵌められてる」って本当に……?
蝋燭の薄明かり、そっとドアノブに触れてみる。ひんやり冷たい。開けて、みる。
風がぶわっと吹き抜けた。顔を煽られ思わず目を細める。明るい。急に眩しい。どうやら外に繋がっていたみたいだった。バルコニー? 乾いた瞳を瞬きで湿らせて、何とか前を見る。大理石でできている手すり。そしてその手すりの向こうには、崖。さらにその彼方には山が見える。空は……曇っていた。そういえばここに来る時の天気はどんなだったっけ、と考えて、胸の奥に穴が開いたような気持ちになる。思い出せない。どんな天気だったか。
ゆっくりと、バルコニーに出る。壺を抱えた女性の像が立っていた。大きい。三メートルはないが二メートル以上はある。
前に進んで手すりの向こうを覗き見た。深い谷の奥。川が流れている。そういえば水の音がしている気がした。僕は首を引っ込めると再び女性の像を見た。この手の像はえてして半裸だったり全裸だったりするものだが……目の前の像の女性は、ゆったりとした衣裳を見に纏っていた。どこか……似ている。先輩に。深月先輩に。僕は回り込んで再び正面からこの像を見つめようとした。
と、その時視界の端で何かが動いた。反射的にそっちの方を見る。小動物みたいななにかだ。僕がいる場所から離れた、バルコニーの対岸とでも言うべき場所。そこで何かが、跳ねた。
女の像と対になる像がそこにはあった。男の像だ。手には……筆? いやペンだ。僕がそれを見つめながら前に行くと、像の後ろにそいつはいた……今朝の子供だ。僕の荷物を奪っていった、あの憎たらしいクソガキがそこにいた。
「ヒヒヒ」
子供は満足げに笑う。僕は鼻から息を吐く。
「返せ」
僕は掌を出した。子供は勿体ぶるように腰をもじもじさせる。
「ねぇ、ねぇ」
子供は口を動かした。よくよく見てみるとこいつ、目が大きくてほっぺが丸くて、なんだか小さい頃の僕みたいだ。
「ねぇ」
三度目の呼びかけ。子供は無邪気に笑って、僕の顔を見ている。
それから、口を開く。
「ねぇ、キミはどんな人? キミが思ってるように、みんなには見えているのかな」
なんだその、問いは……?
僕がぽかんとしていると、子供はまた勿体ぶったような顔をして、それからすぐに僕の手にペンを渡してきた。高校時代の先輩からもらった、大事なボールペンだ。ウォーターマンの、小さいやつだ。
……深月先輩の、形見だ。
「ヒヒ、ヒヒ」
子供は嬉しそうに跳ねる。それから、バルコニーの手すりの近くまで走っていくと、振り返った。
「みんなが知る友達」
子供の言葉に聞き覚えがあった。なんだっけ、それ……。
「ボクはみんなが知る友達」
友達……トモダチ。
そうだ。みんなが知る友達……。
と、その時だった。
誰かが僕にぶつかった。僕は前のめりに倒れた。足音。荒っぽくて大きい。尻ポケットに感触があった。直後に、聞こえる。
「ぎゃあっ!」
悲鳴。そして、目の前にはあの、巨躯……!
手にあったのは、裁ちバサミ……?
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