第13話 屋敷

 裁ちバサミ。

 使わないだろう。使ってはいけない。

 なのに捨てられなかった。ひとつに杏樹さんの私物だからという理由があったかもしれない。もうひとつ、理由を挙げるとすれば……やっぱりあの思い出、だろうか。

 とりあえず、「北の屋敷」とやらを目指す。そもそも子供たちから僕のものを取り返す必要がある。演奏師のことは……まぁ、考えねばならないだろう。なにせこのままでは世界が滅びるらしいのだから。まったく以って意味がわからないのだが、しかしこれを理由に村中が騒ぎになっても面倒くさい。集団パニックは避けたいものだ。探すだけ。それなら目下のところ問題にはならないだろう。

 石畳の細い道を歩く。気のせいだろうか、足音がひとつ多い気がする。



 北の屋敷、というのは探すまでもなかった。村を出てすぐ。遠い丘の向こうにそれは見えた。

 鎌延屋から歩いた細い道はやがて大きな門に繋がっており、その向こうはどうも村の外らしかった。村の中と外は城壁で明確に区分されているのだ。ここにも僕は異国情緒を感じた。他国や他民族の侵入が想定された大陸では、国はもちろんのこと、町や村、そうした集団の単位で「敵と戦える」装備をする。城壁なんていうのはその最たる例だ。ヨーロッパの古い街並みを歩くと、外との境界線にはこういう壁や門、砦がある。あれは「外からの敵」を想定した設備なのである。

 これから行くのは村の外。城壁の外だった。

 守衛のようなものはいないが、警備室らしきちょっとした部屋が――外壁の一部を削って空洞を作ったようなものだが、それが門のすぐ脇にあった。誰もいない。空っぽだ。だから目の前を素通りする。気のせいだろうか、鎧ががちゃりと鳴るような音がした気がした。

 細い道は門の外、草原へと続いていた。石畳は村を出てすぐに途切れた。道の両サイドには背の高い草が生えているが道そのものには何も生えていない。馬が通って踏み鳴らしたのだろうか。そういえば吾嬬村で交通インフラらしきめのを見たことがない。電車はもちろんバスやタクシーもない。あるのは石畳の道、それだけ。車道かどうかも怪しい道だ。村自体が歩いて回るので十分な規模だからだろうか。馬にでも乗った方が様になりそうではあるが。

 何もない道をひたすら歩く。屋敷は遥か前方に見えていた。無心で、歩く。意外に距離がある。道も傾斜がついているのか、地味に疲れてきた。やがて屋敷に着く。巨大な塀の真ん中に大きな門扉があった。その向こうに建物がある。

「ごめんください」

 言っても無駄だろうなと思いつつも声を上げる。やはり返事はない。

 まぁ、当然かと門に手を伸ばしてみる。引っ張る。開いた。僕は一瞬躊躇ったのち、門の向こうへと進むことにした。

 屋敷の玄関。大きな扉に、実物大くらいあるんじゃないかという巨大な獅子の頭。口には金の輪。どうもノッカーらしい。鳴らす。返事はない。

 ここも開いてるのか? と思いドアを押すとやはり開いた。不用心、というべきか、シンプルな問題、というべきか。

 玄関ホールに入る。すぐに思い出す。

 ルイージマンション。

 任天堂のキャラクター、マリオの弟、ルイージがお化け屋敷を冒険するテレビゲーム。お化けを掃除機で吸って退治するホラーゲームだ。その世界が目の前にある……気がした。屋敷入ってすぐに両サイドに伸びた階段。その階段は吹き抜けの二階部分で一つに合わさりそこからまた左右両サイドに伸びる廊下に繋がっている。その股の下には大きな扉が一つ、ある。隣には姿見。やっぱり、懐かしい。子供の頃に遊んだゲームそのままの世界だ。キノピオさえいれば完璧な再現と言えるだろう。

 あの頃、僕たちはゲームに夢中だった。スマッシュブラザーズも美麗なCGに変わり、これまでポリゴンだったそれが妙にかっこいい仕様となった。テレビの中、目の前でリアルな熱い戦いが繰り広げられるようになった。リアリティに一歩近づいた分、理想が現実に固まってしまったことへの失望もあっただろう。そんなゲームの世界で唯一みんなの世界観を守ったマリオシリーズには敬意を払わねばならない。ある意味で、みんなの夢を守ってくれたと言えるのだから。

 屋敷の中に入る。声を出す。「ごめんください」

 しかし返事はない。燭台の様子から洗濯物の匂いまで、およそ人が住んでそうな気配はひと通り揃っているのだから誰かいてもおかしくはない。そんな雰囲気はずっと漂っているのだが、誰もいない。誰も来ない。

 ゆっくり、進む。柔らかい絨毯が僕の足を包み込んだ。


 ヒヒヒ……


 声がしたのは唐突だった。子供の声……子鬼にも、似ているが。どこからだ……二階からか。僕は左右ある階段のうち右手側の方を上る。ここでもふかふかの絨毯が僕の足音を吸い込んだ。廊下にはドアが三つ。左、真ん中、右。

 どこから声がした? 二階に着くなり僕は周囲を見渡す。廊下にはいない。誰もいない。僕は左右に目線を走らせる。狭い廊下だ。隠れる場所はない。僕は再びドアを見た。どこかにいる、のか? 

 こういう時は正面突破だ。

 僕は真ん中のドアを選ぶ。ノブを掴んでゆっくり回すと、やはりそれは簡単に開いた。部屋の中の闇が漏れ出てきたような錯覚があった。こちらの明かりが差し込むのではなく、ドアの向こうから、ぬたりと手が出てくるかのような……。

 室内に一歩、進む。暗い。暗い部屋だ。

 応接間か? ソファが三つ。一人がけのものが手前にひとつ。奥に三人がけくらいのものがひとつ。その隣にまた一人がけ。壁には風景画があった。湖畔の絵か? ボートらしき長い影が描かれている。右手には窓。薄い生地のカーテン。気のせいか、揺れた気がした。

 と、部屋の中央に妙なものを見つけた。丸い、岩のような……? いや、大きい猫のような……。

 びくり。

 僕がドアを開けたことで差し込んだ光が当たると、その謎の物体がびっくりしたかのように動いた。目を凝らして、よく見てみた。動く。もぞもぞと。この頃には僕の中でもようやく当たりがついていた。こいつ、人だ。これは人の背中だ。

 ……まぁ、人だと分かったところで何も解決しやしないのだが。これが人ならば次は「人がなぜこんなところで?」という疑問につながるだけだし、そもそも僕は子供の笑い声を探してきたのだからここにいるこいつは――まぁ、見た感じ大人の背中のこいつには、用はない。強いて言うなら「得体の知れないこいつと関わり合っていいのか?」という命題は残るが僕の知人にはアルゼンチン生まれの宇宙人を名乗る鷹がいる。何を言っているのか分からないだろうが、まぁ慣れているということだ。

「おい……おい」

 声をかけてみる。闇の中で丸まった背中が震えた。

「おい」

「はいぃ……」

 背中が応える。よく見ると、そいつは燕尾服を着ていた。随分おしゃれしてるな。しゃがみ込んでさえいなけりゃ様になるだろうに。

「どっ、どちら様でしょう……」

 背中が振り向いて、訊ねてくる。なんだろう、座頭市みたいだった。刈り込んだ頭に、無精髭。服装の割に汚らしい男がそこにいた。どちら様でしょう、か。こっちのセリフではあるが、まぁ僕の方が立場的に客人ではあるわけだしな。僕は喉を鳴らしてから応じる。

「小説家の飯田太朗という者です。外から呼びかけたのですが返事がなかったので、失礼かとは思いましたが入らせていただきました」

 このくらいの誠意を見せておけば十分か? 僕が向こうの出方をうかがっていると、丸まった背中はしゃがんだ姿そのままにずりずりとこちらを向き、それからモゴモゴと口を開いた。

「あたくしは、かん尚人なおとと申します……吾嬬村の肉屋でございまして、店長も務めております……」

 かんなおと……。嫌な名前だ。

 小学生の頃僕をいじめてきた教師の名前と同じだ。僕は一時期大阪に住んでいたことがあり、学期の途中で東京に来たのだが……その転校先の東京教師は「大阪弁は汚い」と僕の言葉を直そうとしてきた。ムカついたのでコテコテの大阪弁で毎日しゃべっていたら心底嫌われ、嫌がらせを受けるようになった、という次第である。

 あいつは校長や教頭にへこへこする癖があった。ちょうど今、僕の目の前にいるこいつみたいに、腰を低くして、へえこらへえこら……。

「お兄さんは、どんな御用でこんなところに……」

「いや、人を探していましてね」

「人、とおっしゃいますと?」

「子供なんですが」

 と、思い出す。そうだ。僕はあのガキどもの特徴を把握していないんだった。

「膝くらいの高さの身長しかない、男の子を見ませんでしたかね」

 菅尚人氏は首を捻った。

「いやぁ……うふふ。見ませんでした、ね」

 含みのある言い方をする野郎だ。

「吾嬬村の子なんですがね」

 こちらも棘のある言い方になる。真っ暗な部屋の中を見渡しながら僕は続ける。

「この屋敷に逃げ込んだような話を聞いたのですが、ここで見ませんでしたか」

 すると男は笑った。乾いた声で。いやらしく。

「いやぁ、実を言うと、あたくしもそれなんでございますよ……」

 くそ、いちいち持って回った言い方してムカつくなこいつ。初対面なのにこんなネガティブな感情抱くことも珍しいぞ。

「それ、というと?」

 しかしまぁ、いきなり喧嘩するわけにもいかないので僕は丁寧に訊ねる。男は……菅さんは微笑む。

「あたくしもその子供を……子鬼を探しにきたんでさぁ」

「子鬼……?」

 僕がじっとしゃがみ込んだ菅さんを見つめると、彼もこちらを見て、切り込んだように細い目をニタッと歪めて、こうつぶやいた。

「あたくしは演奏師でしてねぇ……」

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