第12話 思い出

〈屋敷に一人 いる〉


 杏樹さんのフィアンセ、一彦さんが残したというメッセージを思い浮かべる。

 そのまま受け取るなら「屋敷に(演奏師が)一人いる」という風に捉えることは可能だろう。実際行方不明になって困っているのは演奏師の方たちなのだし。ただ僕に都合よく解釈するなら「屋敷に(子供が)一人いる」だ。まぁ、こっちの解釈はほぼ不可能だろう。だが気になるのが……。

 杏樹さんがあそこまで子供たちを忌避する理由、だ。

 懲らしめろ。殺してしまえ。

 杏樹さんはそこまで言っていた。そして僕にこの裁ちバサミを持たせた。同じような憎悪的感情がこの村にあるとしたら。子供たちに、いやに向けた悪意が村全体の共有事項なのだとしたら、「屋敷に(子供が)一人いる」の解釈も不可能ではない。

 と、僕は手を見る。手首を、見る。

 裁ちバサミ……。

 そうだ。この道具にも思い出がある。

 思い出。そう言うにはちょっと、汚れているかもしれないが。



 高校時代、付き合っている彼女がいた。常陰つねかげ深月みづきさんという女の子だった。一つ上の先輩。クラスはもちろん、部活や委員会でさえ一緒じゃない彼女と付き合えたのは、小説があったからだ。

 彼女は文芸部だった。部誌ということで、年に二回、同人誌を発刊していた。僕は一年生のある日、彼女の『陰らぬ陽』という作品をその部誌『羅針盤』で読んだ。素晴らしい作品だと思った。

 僕は初めてフィクションで涙を流した。言っちゃあれだが、僕は幼い頃「ガキは泣けば済むと思っている」という父親の思想で泣くことが許されなかった。だから泣かなかった。何があっても涙だけは隠していた。そんな僕が、彼女の作品を読んでボロボロ泣いた。まったく、自分でもみっともないくらいに。

 ――欲しいです……あなたの全てが。

『陰らぬ陽』の名台詞だ。意中の男性に向けて主人公が精一杯に告げる愛の言葉。これがどうしようもなく胸に響いた。僕はもう、夢中になっていた。

「ファンです」

 高校二年になってすぐ。三年生になったばかりの深月さんのクラスを探し出して、僕は挨拶をした。自分とは何の関係もない後輩の突然の訪問に、深月さんはひどく驚いたらしかった。

「は、はぁ」

「ファンです。『陰らぬ陽』。すっごく面白かったです」

「それはどうも、ありがとう」

 そう、にっこり笑う深月さんは僕にとっての太陽だった。『陰らぬ陽』を読んだ時、僕は彼女を何か尊いものとして感じていたのだが、いざ対面で話してみるとそれは神々しさの中に人間性も感じられて、僕は余計に好きになってしまった。推し活界隈で言うところの「ガチ恋」という感情が近いかもしれない……というか、まさにそれなのだが。

 それから僕はほぼ毎日深月さんに会いに行った。元々深月さんは人づきあいが苦手そうなところがあったので、昼休みに一瞬、五分だけでも共に時間を過ごそうとした。その昼休みの一回も、深月さんは友達とご飯だろうから、と三年生の教室の入り口まで行き「せんぱーい!」と挨拶をしてから帰ることにしていた。先輩を怖がらせたらいけないので無理なく、自然に、それとなく。一度熱するととことん熱くなる僕は先輩への気持ちを密かに、だがアツアツのやかんくらいには熱く、燃やしていた。

 そんな風に、「尻尾ガン振りだがいい子にしている犬」くらいのスタンスで接していると、ある日深月先輩が、僕に手招きをしてくれた。三年生の、昼休みの教室。いつものように「先輩こんちわ!」と挨拶をした時に深月さんが手招きをしてくれた。

「飯田くん……だったよね」

「はい!」

「おいで。よかったらご飯食べよう」

「はい! 三秒でサンドイッチ買ってきます!」

 さてそういうわけで僕は三年生の……三年五組の教室でお昼をとるようになった。最初の内、先輩諸氏は僕のことを「何だこいつ」くらいに見ていたのだが、やがて「常陰の彼氏」と認識し始め、先輩自身もそれがまんざらでもないらしく……という、自然消滅ならぬ自然発生的に僕たちは付き合うことになった。だが先輩は、やがて大学受験を迎えた。僕はおとなしく待つことにした。

「私なんかのために時間使ったらもったいないよ」

 夏休み。深月先輩はそう僕に別れを告げてきた。だが僕は食い下がった。

「半年待てばいいんですよね」

「長いよ。半年なんて」

「待てば認めてくれますか?」

 僕は先輩に一歩迫って真っ直ぐに目を見た。先輩は目を伏せた。

「悪いから」

「俺が使う時間です」

 僕はまた一歩、深月さんに迫った。

「俺が自由に決めます」

 俺は、と僕は続けた。

「深月さんといたいんです」

 そしてその熱意に、ほだされたらしい。

 先輩が大学受験を終えるまで僕は待った。そして僕たちは晴れて再び、付き合うことになった。だが今度は僕が大学受験だ。また一度距離を置こう。深月さんはそう告げてきた。

「やっと会えるようになったのに」

 僕が不貞腐れると深月さんは笑って僕の頭を撫でてくれた。

「大丈夫。今度は私が待つよ」

 今でも、思い出す。

 僕が思い出す深月さんの笑顔は、この時の、この僕の頭を「いいこいいこ」と撫でてくれた時の笑顔だ。大学生になったばかり。化粧も覚えたて。でもいつにも増して綺麗な深月さんが僕の頭を撫でてくれた。そのことが、嬉しかった。

 深月さんと同じ大学に行く。

 そう決めて僕は勉強した。九カ月ひたすらに勉強した。そうして受かった深月さんと同じ大学で、僕はもう一度深月さんに会いに行った。

 実はこの時点で、少し嫌な予感はしていた。

 僕は合格の報せを親でも先生でもなく真っ先に深月さんに伝えていた。同じ大学に受かりましたよ。同じ大学で学べますよ。そう、送ったメッセージに対する返信はこうだった。

〈おめでとう〉

 春休み。僕は何度も先輩に連絡を取った。だが先輩は「バイトだ」とか「ゼミだ」とか言って会ってくれなかった。春休み中、少なくとも僕は片手では数えきれないくらいにデートのお誘いをしたと思う。しかし駄目だった。どれも駄目だった。

 そうして迎えた四月の入学式。

 僕は今度こそ先輩に会うんだと心に決めていた。構内。スーツ姿でひたすらに歩いて、大学の文芸サークルを探した。新入生歓迎会のシーズン。二年生なんて真っ先に駆り出されるだろう。そう思って深月さんを探した。だが見つからなかった。

〈先輩、会いたいです〉

 その日の帰り。僕は真っ直ぐな気持ちを伝えた。でもやっぱり、先輩はもう、僕のこと……。そう思っていた時だった。

〈会おう〉

 僕はすぐ、先輩のいる町へと向かった。

 それからどうやって先輩と会ったか、覚えていない。

 ただ僕は先輩の実家の、先輩の部屋にいたことだけは覚えている。僕は先輩の家を知らないから、行くとしたらまず間違いなく先輩の案内がないといけないのだが、それでも僕は、どうにかこうにか、先輩の部屋についていた。そして、驚いた。

 ものが、ない。

 真っ白な壁。真っ白な壁紙。

 唯一の異色は机だった。だが上には何もない。

 クローゼットがあったが中は怖くて見られなかった。そして、先輩の表情。

 何日も眠ってないみたいに、隈だらけ、顔面蒼白、肌荒れ、とにかくひどかった。化粧はしているらしかったが却って痛々しかった。僕は静かに先輩の傍に寄ると、頬を撫でた。

「何かありましたか」

 僕が訊くと、先輩は笑った。

「ううん。何も」

 何もないわけがない。こんな様子なのだ。

 だが僕は、先輩が話しだすまでは、と黙っていることにした。時間にしてどれくらい経ったか分からない。ジャケットを脱ぎ、第一ボタンを外し、ネクタイを解いて待っていた。

 やがて先輩は震える息で涙をこぼすと、僕にスマホを見せてきた。そこには信じられない映像があった。

「欲しい……ですっ、あなたのっ、全てが……」

「オラもっと言え」

「欲しい……ですぅ……」

 金髪の男。裸の先輩を、抱いている。

「笑えるよなぁ? 自分が書いた小説のセリフで犯される気分はどうだ?」

「うう……」

「オラもう一回言えっ」

「ほっ、欲しいっ……うぐっ、ぐうう……あなたのっ、すべてっ、がっ……」

 先輩が、僕の愛する深月先輩が、自分の小説のセリフで、自分の作品のセリフで、無理矢理に愛を告げさせられている。屈辱的な格好で、屈辱的な体位で、屈辱的に、辱められ、踏みにじられ、蹂躙され、犯され……レイプされている。

 多分、気が狂っていたと思う。

 叫んでいたかもしれない。

 ただ気が付けば、先輩は僕の腕を取って、静かに「サークルの先輩なの」とだけ告げていた。それから、どこから取り出したのだろう。家庭科の授業で使う裁ちバサミを取り出して、つぶやいた。

「死んで」

 それから続く言葉も、僕は分かっていた。

「私と一緒に、死んで」

 泣いていた、と思う。

 泣いてはいけない僕が。

 そして僕は、涙もそのままに、告げたと思う。

「喜んで」

 手首を切った僕たちが見つけられたのは翌日のことだった。血だらけの部屋。そりゃそうだ。二人分の血が流れていたのだから。それを見た常陰夫人が救急車を呼んだ。僕たち二人は運ばれ、そして……。

 僕だけが、生き残った。

 この時からだと思う。

 僕がいわゆる「尊厳破壊」を創作の性癖として抱えるようになったのは。



 僕の両手首には傷がある。

 片手だけじゃ死ねないかもしれない。そう思ったのだ。

 先輩が左手首を切ってすぐ、僕も左手首を切った。だが確実に先輩と添い遂げたい。そう思った僕は右手首も切った。なのに生き残った。僕は……僕は、どうしようもない、醜い、男なんだ。

 裁ちバサミを見ると思い出す。

 あの時の、狂いそうなくらい燃え盛る、憎しみの炎を。

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