第11話 頭痛
「ああああっ」
痛みのあまり声が出る。しかし何も起こらない。目の前の老婆ですら何も言わない。
「くそ……何だこれ……」
ふらふらになりながらも立ち上がる。どこかで……どこかで休まねば。横になりたい。いっそ意識を失いたい。寝よう。寝るしかない。ガキどもは後でいい。どうせこの村からは逃げられやしないのだ。後でゆっくり探せばいい。今は、今はとにかく、この頭痛をどうにかしなければ。
壁に手をつきながら必死に歩く。頭が痛すぎて吐きそうだ。途中何度か蹲りながらもなんとか鎌延屋に辿り着く。フロントにいる杏樹さんに話しかける。
「申し訳ない。少し具合が悪くて……作原さんを呼んでもらえますか」
「大丈夫ですか?」
杏樹さんがフロントから出てきた僕を支えてくれる。僕は目を白黒させながら応じる。
「作原さんを……医者を……」
「お部屋まで連れていきます」
「医者を……」
しかし、僕の言葉などどうでもいいかのように、杏樹さんは僕を部屋まで連れていった。鍵でドアを開け、ようやく辿り着いた安息地に、僕は倒れ込む。しかしそのままではと、杏樹さんが僕を起こしてベッドへと導いた。それからのことは、よく覚えていない。
*
目を覚ました。汗だくで、まるで悪夢の後みたいだった。
「おや」
柔らかい声。それにどきりとする。
「目を覚まされましたか」
杏樹さんだった。彼女はタオルを持って僕の枕元に立っていた。
そこは僕の部屋だった。鎌延屋の僕の部屋。サーカス団の隣室で、二階の。
「ココアがあります。飲まれますか?」
「あ、ああ」
やっとのことで僕は頷く。差し出されたカップに一口つけたところで、杏樹さんが口を開いた。
「作原さんがおっしゃるには、標高が高いところで激しく運動をしたために起こった症状だろうとのことでした」
と、僕は思い出す。そうだ、僕は激しい頭痛に襲われてここに……。
「何やら
「譫言」
「ペン、とか、ノート、とか」
大切なことを思い出した。そうだ。ガキどもに荷物を盗まれた!
こうしちゃいられない、と僕はカップを返し立ち上がる。と、長いこと寝ていたのだろうか、足がふらついた。すかさず杏樹さんが支えてくれる。
「大丈夫ですか」
落ち着いてください、とも言われる。そうして僕は再びベッドへと押し戻され、何とか腰を掛けたところで、訊かれる。
「何があったんですか」
「ガキど……子供に、荷物を盗まれまして」
お恥ずかしい、と俯いた僕に、杏樹さんは「それは大変」とつぶやいてから、こちらに身を乗り出してきた。
「どんな子たちでした?」
「どんな子たち……」
と、言われて思い出そうとしてみる。だが、思い出せない。ただ漠然と、「自分の膝くらいの身長しかない子供に物を盗まれた」ことだけ記憶しているのだが、どんな見た目をしていたか、話そうとしてもイマイチ釈然としないというか……。
その旨、杏樹さんに伝えてみると、彼女は「先程の頭痛がまだ影響しているのかもしれませんね」とだけつぶやいて、こちらを見てきた。僕は鼻から息をついた。
「そういえば」
と、僕は路地裏で老婆に声をかけられたことも話す。やはり杏樹さんは「どんな人でしたか」と訊いてきたので、僕はぼやぼやする頭を何とか働かせて答えた。
「ほら、一昔前『週刊ストーリーランド』って番組ありませんでした?」
「ありましたね」
杏樹さんがくすくす笑う。こんな田舎でもあの番組やってたのか。
「あれの『謎の老婆シリーズ』ってあったじゃないですか」
「ありました」
「あの婆さんみたいな……」
と、思い出して我ながら納得する。そういえば既視感のある婆さんだった。なるほど、あの番組に出ていた婆さんに似ていたからか。
『週刊ストーリーランド』を見ていたのは僕が小学生の頃だったか……当時から「物語を作ること」に興味があった僕は、あの「視聴者から物語を募集してアニメにする」という番組の形式がとても興味深いものに感じられた。
当時、飯田家は子供は夜九時に寝ることになっていた。八時から九時まで放送しているあの番組はまさに一日の締めくくりだった。
あれを見てから、布団に入る。夢の中で、枕の上で、あの不思議な物語の登場人物たちが、様々な人生を歩み、終わらせ、そして……。
「飯田さん?」
どうもぼうっとしていたらしい。杏樹さんに声をかけられようやく現実に戻ってくる。僕はため息をつく。
「その謎の婆さんに、『子供たちの居場所』を教えてもらったんです。それが妙で」
「子供たちの居場所?」
杏樹さんの目の色が、変わった気がした。
「ええ。確か『北の屋敷、東の砦、西の門、南の学校』……」
「よく覚えていますね」
言われてみると確かに。何でこんなにハッキリ覚えているのだろう。
「北の屋敷ならここからすぐです」
杏樹さんが静かに告げる。
「その先に『子供』がいるのですね?」
「そういうことになるのかなと思います」
「実は……」
と、杏樹さんが言いにくそうにエプロンのポケットに手を入れる。その頃になって僕は初めて、彼女がアイボリーのエプロンを身に着けていたことに気づく。
「一彦さんの部屋にこんなメモがあって」
と、彼女は紙切れを見せてきた。そこにはこうあった。
〈屋敷に一人 いる〉
「屋敷に一人いる」
いや、厳密には「一人」と「いる」の間に謎のスペースがある。
「『屋敷に(いなくなった)一人(が)いる』なのか、『屋敷に一人(で)いる』なのか……」
「飯田さん」
独り言ちる僕に、杏樹さんが畏まった様子で向き合う。
「この村では四日後に、カーニバルがあります」
「ええ」僕は何事だろう、と杏樹さんの方を見る。
「その時までに演奏師が帰ってこないと、大変なことになります。『月の目』が開いてしまう」
月の目。
そう、それも謎なのだ。月の目が開く。月の目が開くと世界が滅びてしまう。子鬼はその月の目を開かせようとしている。つまり、子鬼は世界を滅ぼそうとしている。
「月の目が開くと世界が滅びる」「子鬼は月の目を開かせようとしている」故に「子鬼は世界を滅ぼそうとしている」
この論理に破綻はない。子鬼の目的としてはやはりこの世界を滅ぼすことなのだろう。だが「滅ぼす」って何だ? 核兵器でもぶち込もうってのか?
民間信仰における「滅ぼす」の定義について考えてみた。ラグナロク、世紀末思想、どれをとっても大抵「地獄の門が開く」だの「神の鉄槌が下る」だの理由をつけて現世の終末を主張する。「地獄の門が開く」と「月の目が開く」に共通項を感じた。どちらも「開く」という比喩表現だ。「月」は地獄の暗喩なのか? 「太陽」を天国とすれば対比関係にある「月」は確かに地獄と捉えられなくもない。
つまり子鬼は地獄からの使いだということか?
しかし……と僕は思い出す。時計塔の中で会ったあの子鬼。禍魔の仮面をかぶった子鬼。寂しそうだった。トモダチを探して。そう言っていた。地獄からの使い。イマイチ、重ならない。
「『月の子守唄』が演奏されないとこの世は滅んでしまうんです」
必死な面持ちの杏樹さん。思えば彼女の振る舞いもどこか奇妙だ。まさか「この世が滅びる」なんて伝承を本気で信じているわけでもあるまい。でも彼女の振る舞いは、まさに「これから第三次世界大戦が起こるんです」くらいの危機感を持っている。何だ? この世が滅びるとは一体何の例えなんだ?
「あの、さっきから言ってる『この世が滅びる』って……」
と、言いかけた時だった。
いきなり、脳みそに針金でも突っ込まれたのかというくらい鋭い痛みが走った。思わず声が出る。
「いったぁぁぁ」
「どうなさいました?」
「ず、頭痛が」
「それはいけません。もう少しお休みになって」
「ああ、ああ」
ベッドに倒れるが痛みは引かない。僕は悶える。
「なっ、何だこれぇ」
「やっぱりどこか打ったんだわ」
それならそれで早く大きな病院に行きたい。これが事故の後遺症ならかなりやばい部類のものだ。
「それか、もしかしたら……」
杏樹さんが考え込むような顔になる。僕は訊ねる。
「何ですか」
「『月の目』が開きかけているのかも」
また「月の目」か?
「うん、きっとそうだわ。間違いない」
しかし杏樹さんは何やら納得できたようである。と、僕はいきなり腕をつかまれ信じられない勢いで立たされた。ふらふらする僕を、杏樹さんが無理矢理立ち上がらせる。思わず悲鳴が出る。
「ぐっ、いたた」
「今すぐ一彦さんたちを探してください」
「か、一彦さんたちって」
演奏師のことか?
「それより僕はガキ……じゃなくて子供たちを探して僕の荷物を……」
「一彦さんたちを探すついでに手荷物を回収なさればいいわ」
むしろ、ついでに、と、杏樹さんは勢いづく。
「ついでにその子たちを懲らしめてしまえばいいわ」
「こ、懲らしめる?」
「ええ。いたずらをしたんですもの」
と、彼女はいきなり思い立ったような顔をして、尻ポケットの方に手を伸ばす。そして戻ってきた彼女の手に握られていたのは、何と大きな裁ちバサミだった。
「これで殺してしまってください」
「は? こ、殺す?」
「ええ。ひと思いに」
「ひと思いに?」
「ええ」
なんだなんだ? 話がどんどん訳の分からない方に……。
「今すぐ。今すぐ行ってください」
杏樹さんが僕を急かす。背中を押された僕は大した抵抗もできないままに鎌延屋の外に出された。手にはハサミ。そして激しい頭痛。
「北の屋敷はあちらです」
杏樹さんが、僕の右手に続く通路を示す。石畳。細くて僅かにくねくねしている道だ。
「ご安全を」
ご安全を、って言ったって。
僕は手を見る。
信じられないくらい大きな、裁ちバサミ。
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