第10話 二日目

 朝。時計塔の音で目が覚めた。巨大な音。ベルの音。うるさい音。不躾な音。そんなの、昨日は聞かなかった気がするのだが。ベッドから体を起こし、ふらふらする頭を押さえているとドアが叩かれた。最低限の身支度をしてドアを開ける。朝ごはんを知らせに来た杏樹さんが、顔をしかめていた。

「昨日はお楽しみだったみたいですね」

 お楽しみ? お楽しみって何だ? 

 酒場でビールを飲んだことしか覚えていない。いや、その後店を追い出されたことも……。

 で? 

 その後どうした? どうやってここに辿り着いてどうやって……寝た? いや、寝たことを思い出すのも変な話だが、しかし、記憶が、ない。

 そういえば、頭痛がする。もしや二日酔いになるまで飲んだか……。

「頭の怪我が心配されているのに、よくないと思います」

 確かに。

「面目ない……」

「朝ごはんは食堂にございますので」

 嫌味なほど丁寧に、一礼。朝から虫の居所が悪いのか。それとも昨晩、僕はどうしようもないほどの迷惑をかけたのか。

 階段を下りて食堂へ。この間のボールみたいに太いコックが笑いながら立っていた。

「お客さん。今日のロールキャベツは美味しいよ」

 内心、またロールキャベツか、とは思った。まぁしかしここの名産だと言うし、ひとつ飽きるまで食べてみようか。二日連続朝にロールキャベツという生活もなかなか送れまい。そう思ってテーブルに着く。四角いテーブルの誕生日席。ふと思い出す。

 実家での僕の席もこんな感じだったな。

 僕は上に姉と兄がいる。両親と兄姉は、長方形のテーブルの長辺に座っていた。末っ子の僕は短辺。つまり誕生日席。今日のような具合に……。

「お待たせしました」

 丸いコックが僕の前に皿を持ってくる。ロールキャベツ。気のせいか、目の前のコックもロールキャベツみたいに、見えた。



 朝の吾嬬村は静かだった。僕はいつもの荷物を持って朝の村へと散歩に出ていた。ペンにノート、栞を挟んだ本が入った、革製のカバン。これもトランクに入れておいたものだ。

 どこかでトンカチの音がしていた。早朝の静けさの中、その音だけがリズミカルに響いていた。

 鎌延屋のフロントにあった地図を見てから来たので、ここが村の中央広場、タナミル広場だということは分かっていた。中央には噴水。そのさらに中央には翼を広げたフクロウの石像。水はフクロウの足下からこんこんと湧いている。

 広場の脇にポストがあった。いや、赤くて四角い箱だからポストと断定しただけで、実際それが何かは分からなかった。何せ時計も暦も独特な村だ。僕の常識が通用するとは……と思っていると、赤い帽子を被ったタンクトップの男が走ってそのポストもどきにやってきた。もしかして彼が杏樹さんの話していたポストマンとやらか。すると案の定、彼は赤い箱の側面に開けられた四角い入り口を覗き込むと、そこから手紙と思しき数枚の書類を引っ張り出し、碌に宛名も見ずにまたパタパタと走り出した。妙な走り方をするな。何だか幼稚園児みたい……。

 そういえば。

 幼稚園の頃、僕は郵便局員が乗っているスーパーカブが好きだった。あのどこか丸っこい見た目というか、質素で最低限の機能だけを有しているあの姿が……。

「おい」

 ぼやぼやしていたからだろうか。いきなり話しかけられて僕はひどくびっくりした。振り返る。だが誰も……。

 いや、いた。

 足元。僕の膝くらいの高さ。

 何歳くらいだろう。推定五歳程度の小さな男の子たちがそこにはいた。四人。四人の子供が僕を見上げていた。

「お前、暇だろ」

 ……随分と態度がでかいガキどもだな。

「お前、暇だろ」「そうだそうだ」「絶対暇だ」「暇に違いない」

「悪いがクソガキどもに割いている時間はない。ママのところでおっぱいでもしゃぶってろ」

「おっぱいって言った」「おっぱい」「おっぱい」「おっぱい」

 何だこいつら。

 ガキは続ける。

「おい、お前。俺たちと勝負しろ」

 僕はじろりとガキどもの一人……僕に勝負をふっかけてきた子を見る。

「勝負しろ」「しろ」「しろ」「しやがれ」

「さっきも言ったがガキどもに割いている時間はないんだ」

 僕は静かに歩き出す。バカなガキンチョどもだ。

「しょうぶ」「ぶしょう」「ぶうよし」「かちまけ」

「いいから帰れ。僕は行く」

 と、肩に担いでいた荷物を背負い直す。が、その時。

 ……妙に軽いな。

「これ」「これ」「これ」「これ」

 ガキどもが急に言葉を揃えてきた。僕はすぐさま振り返る。と、そこには……。

「ペン」「ノート」「本」「栞」

 ガキどもが、その一人一人が、それぞれが。

 僕の大事な持ち物を手にしていた。ペン……それは高校の先輩から譲り受けた大事な品だった。ノート……いわずもがな、僕が小説のネタを書き留めておくものだ。本……『My Little Mare ~私の小さな夢魔~』というタイトルの、僕が小説家になるきっかけになった本だ。栞……死んだ叔父の形見だ。

 それぞれがそれぞれ、僕の大切な持ち物だった。肌身離さず持ち歩いているものたちだ。咄嗟にカバンに手を伸ばす。中を見る。ない。

「勝負」

 四人の子供が口を揃える。僕は怒鳴る。

「返せ」

「しょうぶ」

 四人のガキどもが一斉に散らばる。すぐさま一人だけでも捕まえようとしたが足元をくぐられて見事に逃げられてしまった。こっちは大人だ。ナメるなよ。と思い全力で走って捕まえようとしたが、子供とは思えない速さでガキどもは逃げる。逃げる。逃げる。逃げる。

 やがてガキどもはそれぞれ四方に散らばり始めた。一人は広場から北に伸びている通路へ。もう一人は東、もう一人は西、もう一人は南……。

「くそっ」

 僕はほとんど叫びそうになる。しかし子供たちは、僕の声などお構いなしに遠くへ、遠くへ、遠くへ、遠くへ……。



 しばらく、闇雲に探す。子供の足だ。そう遠くには行くまいと思って村の中を走り回ったのだが、どこにも、全く、いくら探しても、子供たちの姿は愚か影さえも見つからなかった。息を切らす。肩が上下する。汗だくだった。十月の山の中とは思えないほどに。

「どこだ……どこに行きやがった」

 気のせいか、頭がフラフラした。軽い頭痛。またか。この村に来てから頭痛ばかりだ。やはり事故でどこか痛めたか……あるいは高山病の類か。

 痛みのあまり、座り込む。道の真ん中だとあれか、と思い、ガス灯の傍の、端っこの方へ。石畳の地面に膝をついて歯を食いしばった。頭痛はひどくなっていた。

「もし」

 声をかけられたのは、さっきのガキどもと同じように突然のことだった。声のした方を向く。僕がしゃがみこんでいたのは建物と建物の境界線、すなわち路地裏の入り口だった。彼女はそこにいた……いや、そこで店を構えていた。

「もし……もし……」

 見るも無残な……老婆か。まるで皮膚病にでもかかったみたいに肌はぼろぼろ、あばただらけ。鼻や耳は枯れた枝のようで、指なんかは筋張っていて手羽先の骨を想像させた。着ているのはほとんどボロ布みたいな穴だらけ、破れまくりのローブ。首から下はよく見えなかった。そんな老婆は路地裏の真ん中で小さな露店を開いているらしく、サテン生地をかぶせたおそらく段ボールか何かの箱を目の前に置いて、ふひふひと笑っていた。段ボールの上にはいくつかの品が並んでいた。削られたえんぴつ、古ぼけて変色した紙、ボロボロになった革の手帳、それに……あれはなんだ? ねずみか何かの尻尾か? 

「お客さん、具合が悪そうだね」

「客になんてなった覚えはないのだが」

「ふひひ。強気でいらっしゃる」

 ちっ。今日はなんて日だ。ガキどもに荷物を奪われるわ、妙な婆さんに絡まれるわ。

「探し物か……探し人か……」

 しかし続く婆さんの言葉に僕は飛びつく。そうだ。探し物だ。探し人だ。

「子供を四人見なかったか?」

 僕が訊ねると、婆さんはまたふひふひ笑った。

「この村を北に行くと、大きな屋敷がある。一人はそこへ」

 質問に対していやにあっさりと回答があったからだろうか。僕は少しきょとんとしながら話を聞いた。

「東へ行くと砦がひとつ。もう一人はそこへ」

「砦……?」

「西には大きな門がひとつ。三人目はそこへ」

「待ってくれ。あんたどうしてそんな細かく……」

「南には学校があるさね。四人目はそこ」

「待ってくれ。何でそんなに……」

 と、訊いた傍から婆さんは目を閉じてしまった。まるでシャットダウンされたロボットのように。項垂れ、目を閉じ、息をしているかも怪しいくらいに、静かに。

「おい、おい」

 話しかける。懸命に、懸命に。しかし返事はない。応えない。少し嫌だったが、僕は老婆の肩を叩いて揺さぶった。しかし起きない。起きない。起きない。

「何なんだ?」

 僕は声を上げる。

 と、直後に。

 頭を彫刻刀で削られるような、鋭い、痛み……。

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