第8話 一日目

 夕食は……確かに美味かった。ミートボールが山盛りのパスタに……キャベツのスープ。それからこの村で作られているという地ビール。つまみの山盛り各種ソーセージが絶品だった。

 食堂の片隅。バーカウンターの席でビールを飲みソーセージをかじりながら、ノートを広げた。前にも言ったがここに来てから手書きに凝っている。こういう媒体での気分転換というのは作家にとっては当たり前なので、パソコン、スマホ、ノート、手帳、それぞれに小説用のスペースというものを僕は設けている。


 探シテ……


 子鬼が言っていた。探す。四人の友達を。

 みんなが知る友達、秘密の友達、未知の友達、誰にも見えない友達。

 確か杏樹さんはそんな風なことを言っていたな。「みんなが知る」「秘密」「未知」「誰にも見えない」この分類、何かで見た気がする。何となく学生時代の記憶が疼くのだが、何だろう。高校の頃の思い出……? いや、大学の頃の心理学専攻……? 

 ノートにこれら四つを綴って眺める。それからさらに続ける。

 子鬼の友達。

 子鬼。

 禍魔の仮面。

 まだ綴る。

 演奏師。これも四人。

 月。

 子守唄。

 月の目。

 この村には謎が多い。

 ソーセージをかじる。僕はよく食べる方だ。酒も飲む。ビールも好きだ。ここのビールはあまりホップを使っていないのか苦味も少なく果汁みたいだ。フルーツとも合うだろうな。

 かなり遅い時間までノートに向き合い酒を飲んだがアイディアは何も浮かんでこなかった。仕方がないので、僕はさっさと引き上げて自分の部屋へ向かった。僕は角部屋だったのだが、途中、僕の隣の部屋の前で、立ち止まった。声が漏れていたからだ。

「うふ……ふふ」

「やだぁ、それホント?」

「アオイちゃんたら……」

「冗談やめてよ」

「いやだぁ」

「うふ……ふふ」

 野太い、男性の声。

 いわゆるオネエというやつか。

 まぁ、人の性的嗜好をとやかく言うつもりはないが、暗い廊下のドアの向こうでこういうやりとりが聞こえるのはある種のホラーに近いものがある。きっと暗闇の中の男の声で女言葉というミスマッチが起こす幻影だろう。アオイ、という名前も引っかかった。母から聞いた話なのだが、僕は生まれる一ヶ月くらい前まで女の子だと言われていたらしく、両親もそのつもりで名前を考えていたらしい。アオイ……葵は、その名前の中の一つだった。当時としては女性的な名前だったそうだが、ジェンダーレスになりつつある今は、男性の名前でも通用しそうだ。なのでドアの向こうのアオイさんが男か女かは分からない。まぁ、多分男で女だろう。女らしい男とでも言うべきか。どうでもいい話だが。

 しかしここの宿泊客は僕以外サーカス団の人間だと聞いている。サーカス。小学生の頃に父と観に行ったのが最後だな。そういえば女装したピエロが二人でお手玉をしていたような。



 翌朝、朝食前に顔を洗っていると、窓の外から軽快な音楽が聞こえてきた。うるさいな、と思って窓を開けてみると、赤い服の男と青い服の男が、お互いにボールを投げ合ってお手玉をしていた。音源は、どうやら謎の木箱のようだった。ゼンマイのようなものとラッパみたいなものがついた箱。ゼンマイがゆっくり回って、ラッパの口からオルゴールを大きくしたような音が響いている。と、青い服の方が僕に気づく。

「あらぁん、起こしちゃったかしら」

 赤い方も振り返った。

「ごめんなさいねぇ」

 こうまで分かりやすいオカマも珍しい。

「お構いなく」

 僕は手を振って二人に応えた。すると赤オカマと青オカマはにっこり笑い、その笑顔をそのままにまたお手玉を始めた。リズムよくボールが飛び交う。一、二。一、二。

 コンコン、とドアがノックされた。僕は振り返る。

「飯田様」

 杏樹さんの声だ。

「朝ごはんの支度ができております」

「今行きます」

 僕は窓を閉めると、再び窓ガラス越しにお手玉をしていた二人を見た。そして、凍りつく。二人はあの笑顔のまま、腰を屈めてじっと、こっちを見ていたのである。手には赤い球と青い球があった。



「ロールキャベツ……」

 カップの中に丸まった緑色の肉塊を見て思う。小さい。このくらいのサイズなら確かに朝食にいいかもしれない。タンパク質もとれるし。

 スプーンでつつき、崩しながら食べる。コンソメのスープが胃を温め、キャベツと肉を受け入れる準備をさせる。茹でられたキャベツはまだシャキシャキ感を残しており、包まれた肉も味がぎゅっと詰まっていて、美味い。朝食にしては満足度が高い。

 食べ放題のバゲッドをスープに浸し、かじる。これも美味い。小麦の香りとコンソメの濃い匂いが鼻腔にダブルパンチを叩きつけてくる。

 すごく昔……多分小学校低学年の頃、僕はコンソメスープに妙な憧れがあった。それは当時読んでいたファンタジー小説の中に出てきたスープのセットがとても美味しそうだったからで、当時の僕は作中に出てくるようなスープが飲みたいと熱狂的に思っていた。母はそれをよく知っていて、事あるごとにコンソメのスープを出してくれた。キャベツとベーコンのコンソメのスープが特にお気に入りだった。

 そんな思い出に浸りながらロールキャベツを食べ終えると、僕は立ち上がった。それからつぶやく。

「友達を、探そうか」



 まず村のことを知ろうと思った。情報を集めるには、図書館が一番だ。

 フロントにいた杏樹さんに訊ねる。「図書館はどこですか?」

 杏樹さんは返してくる。

「どうして図書館に?」

 どうもこうもないが、まぁ一応答える。

「子鬼の件で調べ物を」

「何を調べるんです?」

 余計な詮索をしてくる宿だなぁ。

「子鬼の友達について」

 と、杏樹さんの表情が曇る。

「駄目だわ。子鬼に関わるなんて」

「どうしてですか」

 僕が訊ねると杏樹さんはこの世の終わりとでも言うかのように体を震わせた。

「だって、子鬼に関わったら世界が滅びちゃう!」

「子鬼に関わると世界が滅びる?」

 創世の頃からいたとされる子鬼。世界が作れるなら壊すこともできる……のかもしれない。

「子鬼は『月の目』を開かせようとしているの。だから子鬼は、子鬼はこの世界を終わらせようと……」

 と、彼女が言いかけた時。

 地鳴りがした。遠い彼方から聞こえてきたそれは僕の腹を、肺を震わせ大地に響いた。少しの間、鳴っていた。

 やがて地鳴りは地響きに……地震に変わった。地面が揺れている。世界が揺れている! 僕はカウンターに掴まった。杏樹さんも掴まっていた。揺れるテーブルを掴んだ腕が、ガクガクとだらしなかった。

 少しして、地震は止まった。そして雨が降ってきた。

「駄目なんです……」

 外の雨音に混じって杏樹さんの声が聞こえた。

「探しちゃ駄目なの」



 駄目だと言われて「はい、そうですか」と引き下がる僕じゃない。杏樹さんには適当に「なら、やめておきましょうかね、雨も降ってきたし」と告げて去った。実際外では雨が降り始めていた。

「それにしてもひどい地震でしたね」そう微笑むと、杏樹さんは心底震えているような顔で「とても怖かったです」とつぶやいた。確かに大きな地震だった。ニュースになっているに違いない。

 しかし部屋にはテレビがない。ラジオもないし、Wi-Fiもない。外部と通信する手段は皆無だった。だから僕も、無理に集めないことにした。今、生きている。それだけ分かればいい。

 部屋に戻る途中、またあの部屋の前に来た。昨夜オカマたちの談笑が聞こえてきた部屋。今はこんな会話が聞こえる。

「馬鹿野郎! お前はもうおしまいだ!」

 記憶が蘇る。

 小さい頃、僕も父によく「おしまいだ」と叱られていた。いたずらなんかしたらおしまい。宿題しなかったらおしまい。遊んだらおしまい、勉強しなかったらおしまいと来て、最後は小説なんて書いてたらおしまいだと言われた。

 今、晴れて小説家になれて。

 母も父も喜んでいる。二人とも僕を誇りに思っている。だが僕は忘れない。僕の夢を「おしまい」と言った父のことを。

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