第6話 演奏師と子鬼

「カーニバルについてもっと聞かせてくれますか」

 昼間。多分十二時。多分、と言ったのは、この鎌延屋にある時計が少し変わっていたからだ。

 まず、針ではなく文字盤が動く。がたり、ごとりと音を立てて。十二角形の木の枠の中に丸い石板があり、その石板の中央に可動式の針が三本ある。外側の十二角形の木枠は、おそらく一秒ごとに時計回りに回転しており、どうもより細かい時間の経過について示しているようだ。実際木枠にはマークが刻まれていて、太陽、山羊、星、兎……と、ぐるり半周して太陽の向かい側に月、蛇、牛……と、おそらく星座が何かを意味するマークが描かれている。

 木枠に囲まれた中央の丸い石板の中にも文字が刻まれており、こちらは数字だった。ただ不思議なことに、「一」から始まり一周で「二十」まであった。これも常識的な時計の考え方からは外れる。

 最後に針。自動で動くのかどうか定かではない。ただ、僕が杏樹さんにカーニバルのことについて話を聞いた後に見てみると、三本の針の位置が変わっていたので可動式ではあるのだと思う。大中小それぞれの針が勝手な方向を指していた。これが意味するところは分からない。

 僕が時間を十二時だと推測ったのは外を見た時に太陽が南中していたからだ。スマホの時計は敢えて見なかった。理由は大したことじゃない。この人里離れた、自然豊かな場所にテクノロジーを持ち込みたくなかったからだ。僕は商売道具のパソコンさえ封印して手帳に調べごとのノートを作っていた。久しぶりの手書きは妙に新鮮で、何度も字を間違えたし何度も書き直した。だがそれも心地よかった。

「カーニバルは読んで字の如く『謝肉祭』です。この村は今でこそ高原野菜を主産業としていますが、それまでは畜産業が主でした」

 杏樹さんはフロント業務の傍僕に教えてくれた。

「通常の謝肉祭は太陽暦で言う二月頃。でも吾嬬村での謝肉祭の時期は、この村の時計で言うところの二月です。時計の読み方は……ちょっと教えられないです」

「教えられない?」

「ええ。余所者って言い方は悪いんですけど、口外するのは気が引けて。時計塔以外の時計は毎年村長が読み方を定義して各家ごとに置きます。なのでこの鎌延屋の時計は鎌延屋でしか通用せず、よそのお家に行くと時計そのものが変わります。時計の読み方、というのが、そうですね、冷蔵庫を覗かれるくらいの遠慮感があると言いますでしょうか……」

 なるほど。それは余所者には見せられない。

「ただ不思議なもので、どの家の時計でもカーニバルの日は分かるようになっています。毎年入れ替わる時計でも、不思議とカーニバルの日は分かるというか……。しかもそれで、よその家の時計とも一致するんですよね。不思議です」

 暦、引いては時間の観念が村長の一存で変わる、しかも村の人間がそれを受け入れている。時の支配は為政者だけが許される特権だ。つまり、この村の長はかなりの実力者ということになる。

「行政区分的にここはどうなるんですか?」

 僕が訊くと杏樹さんは首を傾げた。

「そのあたりは村長しか知らなくて……」

「宅配便なんかを送る時住所欄はどうしてます?」

「ポストマンがいるのでその人に頼んでます。なので何かを送る時に個人で手続きを踏むことはありません」

 そんなことってあるか? 

 そしてそのポストマンとは? 

「ポストマンさんは時間に細かい人です。毎日決まった時間に決まった場所のポストを覗いて郵便物を集める。そして決まった時間に荷物を持って各家庭に届ける」

「郵便局とは何が違うんですか?」

「分かりません。ごめんなさい、頭が悪くって」

「いや……」

「吾嬬村は室町時代にやってきた外国人が故郷を模して作った村だとされています。謝肉祭という異国の文化が根付いているのもそういうわけでして……多分、ポストマンという文化もその頃のがそのまま残ってるんじゃないかな」

 日本の中に薫る、異国の風。

 そういえば、禍魔の仮面も異国の風情漂う面だとされていたな……。

「あっ、そうだ。カーニバルでは花火を打ち上げるんですよ。村の花火師特製の花火です。とても綺麗で、近隣の村の人たちも楽しみにしてるくらいです」

「はぁ、花火……」

「『月の子守唄』のクライマックスで鳴らすんです」

 子守唄のラストに花火。何だかあべこべだが、ここにも何か深い意味があるのだろうか? 

「そういえばカーニバルには演奏師がいるとのことでしたね。時計塔を操作して演奏する」

「ええ」

 杏樹さんはにっこり笑った。

「実は、ちょっと自慢になっちゃうんですけど、私の婚約者が、この演奏師の一人なんです」

「それは……すごい」

 祭りの間だけとはいえ、一時的に時計塔の全権……引いては村の全権を握る存在だ。きっとかなり有力な人間しかなれないものなのだろう。

「演奏師にはどれくらいの人間がなれるものなんですか」

「四人です」

 杏樹さんは静かに答えた。

「村の男性から四人、選ばれます」

「じゃあ、フィアンセさんはその一人に?」

 村の全人口がどれくらいかは分からないが、その中から選ばれた人間。そしてその男に見初められた女性。

「そして、もうひとつめでたいこともあって」

 杏樹さんがさらに明るい表情を見せた。何だ、おめでたとかか?

「子鬼……」

 その言葉は僕に響いた。杏樹さんは続けた。

「大海村の辺りで、子鬼が出たって」

「大海村で出た子鬼……」

 僕が事故に遭う前、バスの運転手から聴いた話だ。鬼雲が出た。子鬼が出なけりゃいいが。詳しく、と僕は食いついた。杏樹さんは驚きながらも、楽しそうな顔をしてつぶやいた。

「大海村で珍しい仮面が見つかったそうです」

 禍魔の仮面だ。そうに違いない。ラジオでもそう言っていた。あれ? けどその後、何かが起きたようなことが……?

 杏樹さんは続けた。

「で、子鬼がそれをかぶったって」

「かぶった?」

 僕は思い出す。そうだ。仮面が見つかった後、何者かがどうこう。そのラジオを聴いている途中に事故に遭って……。

「ええ、かぶったのです。かぶったの」

 頭痛。疼痛だった。鼻の奥にかびが根っこを張ったような鈍い痛み。その痛みを飲み込みながら、僕は応じた。

「お面を……子鬼が禍魔の仮面をかぶったのですか?」

 おかしい。何かがおかしい。

 しかし杏樹さんの表情は明るいまま動かない。

「ええ! かぶったのです!」

「かぶった」

「ええ!」

 繰り返すが様子が……明らかに様子が、おかしかった。いや、何も杏樹さんだけがおかしいわけじゃない。僕もだ。何故か同じ問いしか口から出てこない。にしても何だ。かぶったって? 何でそこから話が進まない? かぶった、かぶったって何だ? 何かの隠語か? 

 杏樹さんが静かに続ける。

「その禍魔の仮面というのは、夢を見る仮面」

 夢を見る仮面? 

「夢を見せて心を動かし、その感動……感情の動きを喰らうのだそうです」

「何ですかそれ? 子鬼が禍魔の仮面をかぶったということは、子鬼が夢を……?」

「ええ、子鬼ですから」

 杏樹さんは首を縦に振る。

 と、その時だった。

「杏樹ちゃん、大変だ!」

 いきなり僕の宿泊部屋に入ってきたのは、禿頭の中年男性だった。こんな時期だというのにタンクトップに首タオル。しかしそんなことはどうでもよさそうに慌てている。

「演奏師たちが消えた!」

 演奏師たちが消えた……? 

「一彦くんも消えた!」

 その一彦という人物が杏樹さんのフィアンセであることは容易に想像できた。杏樹さんが数歩よろける。

「か、一彦が?」

 状況を理解しかねている顔である。しかし僕も理解してない。だから訊ねる。

「消えた、というのは?」

「村のどこを探してもいねぇんだ。おまけにこんな書き置きが」

 と、男性はメモの切れ端のような紙を差し出してきた。そこにはのたくるような字でこうあった。


〈四人の笛吹き 眠りの歌にて じわりじわりと死に至らしめる〉


「何ですかこれ?」

「こっちが聞きてぇ」

 男性も狼狽えていた。僕はつぶやく。

「演奏師の奏でる曲が眠りの曲? まぁ、そうっちゃそうだが……」

 演奏するのは子守唄だしな。でも死に至らしめるって……? 

「子鬼だ……子鬼のせいだわ」

 同じ子鬼の話なのに、杏樹さんが一気に陰った。彼女は目を淀ませながら続けた。

「子鬼の……子鬼が……」

「子鬼について」

 僕は口走る。今こそ好機だ。

「子鬼について、知っていることを話してくれませんか」

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