最終話.ツンデレ

 二杯目のコーヒーを淹れてテーブルに戻ると、ピロンっとスマホが鳴った。


拓也

『終わったのか?』


 先ほど打ったメッセージへの返信のようだ。


大和

『うん、おかげさまで。改めて拓也たくやには感謝感謝』


 手を合わせて猫が拝むスタンプを入れる。


拓也

『ならよかった。あとで話聞かせろよ。それと、約束通り焼肉な!』


大和

『もちろん。臨時収入があったから期待しといて』


拓也

『マジか!? 食べまくるぞ!』


 うーん、一万円もあれば足りるよね?


 豪快に肉を喰らうライオンのスタンプを見て少し心配になった。先ほど文奈あやなの紹介の通り、拓也は体が大きいせいかよく食べる。


◇◇◇◇


 一ヶ月前、文奈のアパートから戻った後、僕は彼女が使っていたマッチングアプリに、『ヒロ』という名前でアカウントを作った。


 ちなみに、大和がヒロカズとも読めるのでヒロとしている。アイコンは戦艦のイラストにした。そして、この『ヒロ』から一日一通、『フミ』にメッセージを送った。


 彼女の趣味趣向は把握しているので、興味を持ちそうな文章はそんなに難しいことじゃなかった。まぁ、一般的な女性が好みそうな事柄については、中田に協力してもらったけど。


 「一ヶ月後、私は必ず連絡するから」、力強い目でそう決意を述べた彼女のことを、僕はもうあまり信用していなかった。それに、彼女の行動に違和感を感じていた。


 違和感の一つは、マッチングアプリを削除したこと。そもそも、僕が別れ話をしなかったら消さなかったんじゃないだろうか。それに、最初からもうやるつもりがないのなら、警察署のベンチで僕に見せた後すぐに消したはずだ。


 また、アプリを消したからといって、普通アカウントまでは消えない。彼女がアカウントを削除した素振りはなかった。


 ただあの時は、事件の証拠の一つとしてアカウントまでは削除してはいけないのではないかと思っていた。でも、冷静に考えれば、警察がスクショなりデータの吸い上げなりして証拠は確保しているはず。それに、もし警察からアプリやアカウントの削除を止められていたのであれば、その旨を僕に伝えただろう。


 とはいえ、あれだけ痛い目を見たしすごく反省もしていたので、僕が心配性なだけ、さすがにもうやらない、そう思っていた。いや、そう願っていたというのが正しい。


 そして、送り始めてから三日目、――僕の願いも虚しくフミから返信が来てしまった。僕はこの時、人生で一番大きなため息をついたと思う。


 その後、数日やり取りして彼女の信頼を得ると、すぐに会う話になった。指定されたのはやはり例の駅。


 そういえば、なんであの駅だったのか聞けなかったな……。


 待ち合わせ場所に僕が現れたら、きっと彼女は驚愕するだろう。そして、また泣いて許しを請うか、もしかしたら逆に開き直るかもしれない。どちらにしろ、僕はもう交際を続けていく気はない。今度こそ完全に別れてやる。


 そんなことを思い描いていたところ、このことを相談していた高校時代の友人の拓也が、焼肉をおごってくれるなら自分が行ってもいいと言い出した。少し迷ったけど、そっちの方が面白いと思い代理をお願いすることに。彼は背が高くイケメンで、僕と違って昔からモテていた。


 そして、以前と同じように例の駅で会うと、彼女は一目で拓也のことが気に入ったようだった。キラキラした目で拓也を見上げる彼女の姿に、僕はかなりショックを受けた。もう僕に気持ちがないことは、彼女の表情から一目瞭然だった。


 初デート後、拓也と中田の二人は騙されている彼女のことを笑っていたけど、そんな二人とは対照的に僕はかなり複雑な気持ちだった。まぁ、僕も少しは胸がすっとしたけどね。


 その後、二人は何度かデートを重ねた。会う度に彼女がヒロに夢中になっていくのが分かった。


 デート中、中田と少し離れた位置から二人の様子をうかがい、メッセージで指示を送る。さながら、おとり捜査のよう。


 最初は自分の恋人が他の男にのめり込んでいく姿を見るのは辛かったけど、途中からは僕も楽しんでいた気がする。特にイケメンの拓也に変なことを言わせた時は大いに笑った。文奈もいい反応してたし。まぁ、趣旨が変わってしまっているのはご愛嬌。


 しかし、デートしている姿やヒロに送られてくるメッセージを見ているうちに、僕は彼女のことが可哀想に思えてきた。何故なら、そこには純粋にヒロに恋をする女性がいたからだ。


 悩んだ末、僕はもうやめようと二人に相談をした。ところが、二人は僕の意見に反対。浮気している彼女をもっとどん底に突き落とした方がいい、そして、その計画もあるという。


 僕は彼らに自分の想いを語った。なんだかんだいっても、彼女にまだ情があったんだと思う。


 必死に説得する僕を見て、二人は優しすぎると呆れていたけど、最終的には分かってくれて復讐計画は中止された。ちなみに、二人がどんな恐ろしい計画を立てていたのかは知らない。


 そして、お詫びや、はなむけというわけではないけど、彼女が次の恋愛に向けて自信を持てるよう色々と改善することにした。


 拓也はデート中に、僕はメッセージで、髪型やメイク、服装なんかについてそれとなくアドバイスをしていった。彼女はヒロに夢中なので、それらを素直に聞き入れた。ちなみに、監修は中田と拓也の彼女がになった。


 そして出来上がったのが先ほどの文奈である。僕と付き合っていた頃より格段に綺麗になった。


 ただ、見た目はうまくいったけど、性格まで変わってしまった気がする。まぁ、さっきは僕に復讐するため、無理に演技をしていたところもあっただろう。きっと店を出た後、「ちょっとやり過ぎた。大和ごめんね」なんて思っている……、うん、きっとそうだ、そうに違いない。うーん、ちょっとポジティブ過ぎかな、僕は。


 三杯目のコーヒーを飲み終えると、マッチングアプリとメッセージアプリの『ヒロ』のアカウントを削除した。僕にはもう必要ない。


 ヒロのアカウントが消えたことを知った彼女は、きっと振られたと思い傷つくだろう。しかし、彼女がヒロと付き合ってると思っていなくてよかった。もし、もう恋人だと思っていたらダメージが大きかったと思う。僕は彼女に、ざまぁを仕掛けたいとはもう考えていない。まぁ、結果的にはそうなっちゃうけど……、多少は仕方ないよね。


 でも、あの感じなら、さほど気にせずまた新たな恋を探しに動き出すだろう。モテるというほどじゃないけど、あの容姿なら言い寄ってくる男性もいるんじゃないかな。だから、そんなに心配はしていない。


◇◇◇◇


 僕は何も食べず、ドリンクバーだけ支払うとファミレスを後にした。


 あと数日でクリスマス。各店舗のショーウィンドウは、競うようにきらびやかに飾り立てられている。見上げると、薄暗くなった空に街路樹に飾られた色とりどりのイルミネーションが点灯し始めていた。


 瞳に映る楽しげな街の雰囲気に遠い目になる。


 今年のクリスマスは文奈と過ごすものだと思っていた。数ヶ月前、どこのレストランが良さそうか、どんなプレゼントなら彼女は喜んでくれるのか、彼女の笑顔を思い浮かべながらそんなことを悩んでいたことが遠い昔のよう。


 僕は小さくため息をついた。その息が寒さで白くなる。


 ……帰ってゆっくり本でも読むか。


 寒空の下、イルミネーションを横目に僕は駅へ向かった。


 寒さに震えながら電車を待つ。今日は少し風が強い。ホームに間もなく電車の到着を告げるアナウンスが響き渡ると、遠目に馴染みの電車がやって来るのが見えた。


 百回近く来た駅、百回以上乗った電車。考えてみれば、この駅に来るのも、あの電車に乗るのも今日で最後かもしれない。そう思うと感慨深い。


 ホームに入ってきた電車が、勢いよく僕の前をどんどん通り過ぎていく。少しずつ速度を落とし、ゆっくり停止するとドアが開いた。流れに乗って乗車する。車内は思ったほど暖かくない。


 すると、不意にピロンっとメッセージが入った。


 見ると中田……、いや『しおり』から。名字で呼んだらまた怒られるけど、ずっと中田と呼んでいたので、まだ栞と下の名前で呼ぶのに慣れていない。


『ムケッカ作り過ぎた。勿体ないから食べに来い。別に最初から大和の分を作ったわけじゃないからな』


 どうやら新しいお姫様は僕に会いに来てほしいらしい。


 フフッ、相変わらずだな。素直じゃないところがまた可愛い。……てか、ムケッカってなに? 栞の料理はなんか尖ってるんだよなぁ。普通に豚の生姜焼……、まぁ、いっか。いつも美味しいし。


 栞のメッセージを眺めながら一人ニヤニヤする。周りの人からは、危ないやつだと思われているだろう。


 しかし、これで二人きりになると、すっごいデレデレになるんだから人って、いや、女の子ってわからないものだ。


 もし文奈と別れていなかったら、この世に実際にツンデレがいるなんて一生わからなかっただろう。だから、文奈には本当に感謝しかない。


 急いで馴染みだった電車を降り、栞にメッセージを送る。スマホを仕舞い顔を上げると、僕は別の電車に乗るため歩き出した。

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それでも僕は彼女に感謝している 瀬戸 夢 @Setoyume

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