第17話三方ヶ原を戦い抜け!

 半月後のことだった。

 武田家がいきなり遠江国を攻め始めたのだ。

 こちらの準備ができる前の奇襲というべき進軍だった。


 武田家の進攻は凄まじいもので、鉄鋼騎馬兵団を中心に、一気呵成に遠江国の諏訪家の支城を攻略し始めた。その攻略速度も本当に人間が行なったものかと思うぐらい、まるで神の速さだった。日に日にこちらの不利が伝令によって伝われた。


「おのれ……武田家! この進軍速度は予想外だわ!」


 浜松城の評定の間の上座に座っているかえでが腹立たしく怒鳴った。

 遠江国の北部を守っていた二俣城が落ちたときは怒り心頭に発していた。

 明らかに冷静さを欠いているな……


「征士郎! 織田家の援軍はまだなの!?」

「無理を言うな。かの家は畿内を攻略中。それに大軍を出陣させるには時間がかかる」

「――っ! その間に私たちが滅んだらどうするのよ!」


 かなりヒステリックになっている。

 僕は黙って評定の間の床に置かれた地図を見た。

 相手は二万五千から四万以上の大軍勢と聞く。

 対してこちらの兵力は二万だ。


 相手の兵が少なければ勝てない戦ではない。

 最も大事なのは武田家を倒す作戦だ。

 この圧倒的不利な状況から諏訪家を救うには……


「今回ばかりは根性だけでは勝てぬな。ま、根性が一番大事なのは分かっているが」

「然り。最も重要なのは武田家の動きだ」


 利家さんと忠勝が話し合っている。

 まあ武田家の動きを予想出来たらいいんだけど。


 唐突だが僕は忍びたち命じて『ある作戦』を行なっていた。

 武田家自慢の鉄鋼騎馬兵団を打ち倒すための策だ。

 僕のやり方が正しければ効果は発揮されるはずだ。


「征士郎さん。鉄鋼騎馬兵団のことでしたら、明日にはなんとか結果が分かります」


 怒鳴り散らすかえでを無視して征士郎さんに言う。


「そうか。しかしいい加減どうしてあの馬どもを倒せるのか、教えてくれないか?」

「うーん、効果が発揮されるまで黙っておきたいのですが――」

「諏訪湖の黒い水に『塩』を混ぜることで馬どもの食欲を無くすのか?」

「いえ、そうではありません。おそらく黒い水は石油かガソリンだと思ったので……」


 それなら塩を混ぜれば使えなくなる。

 山国の甲斐国や信濃国は塩が貴重だからやったこと試したこともないだろう。

 海に面した三河国や遠江国が領地だからできたことだ。


 塩や砂糖を入れたガソリンはエンジンを壊す。

 それで上手くいけばいいのだけれど。


「明日、武田家の軍勢が浜松城を囲むわ。籠城の準備はできてる?」

「ああ。無論だ。二年でも三年でも耐えきれるぐらいある」


 かえでと征士郎さんが話をまとめようとしたので僕はホッとした。

 かえでに無理難題言われそうな予感がしたのだ。

 しかし、飛びこむようにやってきた伝令の報告で事情が変わってしまう。


「武田家の軍勢が、浜松城へ進軍中!」


 いよいよ戦うときが来た。

 僕は自分の荒魂を握りしめた。

 かえでたちも覚悟を決めている。


「みんな、正念場よ! 武田家を打ち破りましょう!」


 かえでの気合を入れた言葉に僕たちは「おう!」と応えた。

 兵糧の備蓄はかなりある。そして織田家からの援軍さえくれば勝ち目がないわけではない――


「ご、ご報告がございます!」


 全員が各々の得物の準備をし始めたとき、またもや伝令がやってきた。

 かえでが「武田家が来たのね!」と確認した。


「い、いえ――武田家、浜松城を避けて三河国へ向かいました!」

「……どういうこと?」


 かえでの顔が真っ青になっている。

 激怒している証拠だ。

 武田家が落とすべき浜松城を無視して三河国へ向かった理由は――


「俺たちを舐めているらしいな。根性なしが」

「前田殿の言うとおりだ……許せぬ」


 利家さんと忠勝は憤っているようだ。

 かえでは「すぐに出陣するわよ」と皆を促した。


「こんな屈辱をされて、黙って見送るわけにはいかないわ」

「待てかえで。ここは籠城したほうがいい。こちらを挑発して誘い出す策かもしれない」


 征士郎さんが慎重な意見を出した。

 もちろん、征士郎さんも武田家の行動に何か思わなくもない。

 しかし諏訪家の戦力を削がないように冷静に判断する必要があった。


「征士郎! 武田家が進軍したらどうなるのか、分かっているでしょう!」

「…………」


 かえでは征士郎さんに食ってかかった。

 冷静さなんて言葉がどこかに吹き飛んだようだ。


「武田家の進軍、それは領民への略奪でもあるのよ! もしこのまま私たちが籠城すれば民は奪われるし、守れなかったことから信頼も失う! だからここは野戦しかないの!」


 征士郎さんは全て分かった上で籠城を薦めたのだ。

 民を犠牲にしても、信頼を失っても、武田家に対抗できるのは籠城しかないのだ。

 もちろん、かえでの言うことはもっともだった。民なくして城主はあり得ない。だからこそ、民を守る策を選んだのだ。


「本当にそれだけか? 武田信玄に対する恨みもあるんじゃないのか?」

「あったとしても、それの何がいけないの?」

「……まあいい。俺はお前の判断に従う」


 最終的に征士郎さんは折れた。

 僕は口を挟むことができなかった。軍事に関しては素人だ。武田家を打ち破れる策なんて思いつかない。


「じゃあ早速出陣するわよ。武田家は今、どこにいるの?」

「三方ヶ原を抜けようとしています――」



◆◇◆◇



 罠だった。僕たちは嵌められたのだ。

 三方ヶ原を抜ければ下り坂となり、こちら有利になると思っていたけど、武田信玄は全て計算ずくだった。三方ヶ原に留まりこちらの本陣を狙う魚鱗の構えで待っていた。


「――っ! 全軍で迎え撃つわよ!」

「無理だ! こちらの兵力のほうが少ないんだぞ!」


 かえでが後ろで征士郎さんに抑えられている。

 僕の隣にいる利家さんは「こりゃ並の根性じゃ勝てねえな」と槍を構えた。

 僕は荒魂を発動して機神を纏った。


 武田家の全軍がこちらに襲い掛かってくる。

 鉄でできた騎馬――あれが鉄鋼騎馬兵団か。

 僕が銃で撃っても効かない。弾かれてしまうし滑ってしまう。


 前方で忠勝が爆発する槍で食い止めている。

 僕は騎馬ではなく、兵を狙って撃つ――当たって落馬した。

 よしと思ったが相手は大軍だ。一人仕留めても意味がない。


 武田家の軍勢が雄叫びを上げてかえでのいる本陣へ突撃してくる。

 僕は一度本陣に戻り「これは負けです」と報告した。


「なによ! また臆病風に吹かれたの!? まだ負けてない!」

「征士郎さん。かえでを浜松城へ。僕は残って武田家を食い止めます」

「……兵の指揮をしつつか? そんなことできまい」

「兵の指揮は忠勝に任せます」


 征士郎さんは一瞬、悲しい表情をした。

 だけどすぐに「分かった」と言ってくれた。


「死ぬなよ。生きて浜松城へ戻るんだ」

「ええ。征士郎さんもご無事で」


 暴れるかえでを押さえつけながら征士郎さんは戦場から去っていく。


「放しなさい! 筑波博、何をしているのよ! あなたは臆病者じゃなかったの! こんなの――父上と一緒じゃない!」


 かえでは泣いていたと思う。

 それは僕のことが大事ではなく、大事だった人を思い出したからだろう。


「さてと。行くか――」


 本陣から出て馬に乗ると「根性なしみたいなことするんじゃねえよ」と利家さんが同じく馬に乗って並んできた。


「俺も一緒に行ってやる。忠勝は最後まで文句を言っていたが」

「あははは。あいつらしい」

「ところで、どうしてかえでのために死のうとするんだ? 互いに嫌っていなかったか?」


 僕は肩をすくめて「可愛い女の子が死のうとしてるのを男として見過ごせますか?」と答えた。

 利家さんは目を丸くして、それから「そりゃあ見過ごせないな」とにこやかに笑った。


「それじゃ、行くか――目指すは武田家本陣だ」

「ええ。最後まで足掻きましょう」

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