第9話炎に焼かれて!

 太一となたねの遺体を見つけたのは、戦が終わった直後だった。

 岡崎城で目覚めた僕は、すぐに戦場に向かった。

 二人は寄り添うように倒れていた。


 初め、眠っているようにしか思えなかった。

 だけど触ったとき、物凄く冷たかったことから分かる。

 もう二人は生きていないことに――


 太一となたねはもう笑ってくれない。

 僕のおにぎりを食べてくれない。

 お喋りしてくれないし、僕の話を聞いてくれない。

 夢も希望も無くなっていて――未来が無かった。


 他にも生命を使い果たした死体がたくさんあった。

 目を見開いていて、口もぽっかりとだらしなく開いていて。

 本当に極楽浄土に行けたのか、まるで分からなかった。


 戦国時代は地獄だ。

 それは分かっていた。

 でも本当の意味で分かっていなかった。


 どこか夢や希望があると思っていた。

 そんな期待をしていたけど――

 全部、まやかしだった。


 僕は太一となたねの遺体を、いつも訓練していたところに埋葬した。

 穴を掘っているときは、何も感じなかった。

 だけど太一となたねを寝かせて、穴を埋めたとき。

 もう耐えきれそうになかった。


「本当に、夢なんて叶うのかな……」


 呟いても、一人きりだった。

 僕はなたねからもらった花の腕輪――すっかり枯れている――を墓に供えた。

 どうか、極楽浄土に行ってほしい。

 こんな地獄のような現実から逃げてほしい。

 そう思いながら僕は、手を合わせた。


「博。そこにいたのか」


 征士郎さんの声だった。

 振り返ることなく「知り合いだったんです」と答えた。

 僕に彼らのことを友達と思う資格はない。


「でもまさか、こんなことになるなんて――」

「だとしても、止まるわけにはいかないのだ」


 感情を殺した、冷たすぎる声だった。

 僕の神経に障る言葉だった。


「武田家を打倒するためには仕方のない犠牲だ」

「あなたはそう割り切ればいい」

「貴様は、割り切れないのか?」

「人の死は、計算なんかじゃない。だから僕は、割り切れない」


 ゆっくりと立ち上がって、僕は「かえでと話がしたい」と征士郎さんに頼んだ。

 僕のことを見つめてから、征士郎さんは大きなため息をついた。


「あれと話しても無意味だぞ。きっと嫌な思いをする」

「意味を見出すのは僕です。それに嫌な思いは既にしています」


 征士郎さんは「貴様のことは軟弱者だと思っていた」と明かした。


「だが今の貴様は――悲しき獣だ」

「…………」

「来い。会わせてやる」


 僕はかえでと話をしなければいけない。

 今後のためにも。

 そして後悔しないためにも。



◆◇◆◇



「それで? 話ってなんなの?」


 岡崎城の評定の間。

 この場には僕とかえで、そして征士郎さんしかいない。

 不機嫌そうなかえでに僕は「太一となたねが死んだ」と告げた。


「誰? あなたの知り合い?」

「ああ。僕の大事な知り合いだった」

「その人たちは、あなたが殺したの? それとも、私が殺したの?」


 深刻そうに聞こえるけど、かえでの態度からどうでもいいと思っているみたいだった。

 僕は「殺したのは僕だ」と答えた。


「あなたの命令で――僕が殺した」

「ふうん。それで、あなたは何がしたいの? 私の謝罪? それとも賠償?」

「どれも欲しくない。僕は――あなたに知ってほしかっただけだ」


 かえでの眉が神経質そうにぴくぴくしている。

 逆に僕は冷静そのものだった。


「これから何十人、何百人とあなたのせいで死んでいく」

「言われなくても分かっているわ」

「太一となたねは子供だった。まだまだこれから楽しいことが待っていたのに」

「大人も子供も関係ないわ。あなたは分かっていないけど、戦で人が死ぬのは当たり前なの」

「今回の戦は避けられたはずだ。不入の権とやらを認めれば良かったんだから」


 かえでは顔を引きつらせた。


「筑波。もしかしてあなたは私が間違っていると言いたいの?」

「そうだよ。あなたは間違っている。こんな人を犠牲にしたやり方で力を強めても意味がない」

「城主でもないあなたが分かることなんて、何一つないわ」


 かえでは立ち上がった。

 そして征士郎さんが止める間もなく、僕に近づく。


「綺麗事だけで生き残れるほど、この世は甘くない。私はねえ――あなたの無知なところが大っ嫌いなのよ!」


 かえでの怒声に僕は何も言わない。

 ただ目を合わせるだけだった。

 それが彼女の怒りを増大させる――


「三河国を真の意味で統一するには、諸勢力を支配下に置くか、潰していくしかないの! そのために何十人何百人、何千人死のうが知ったこっちゃないわ! 私に従わないだけで罪なんだから! この手がいくら汚れようが構わない! 私は私を許している! 私は、間違っていない!」


 はあ、はあとかえでの荒い息遣いだけが部屋を支配していた。

 僕はかえでと目を合わせていた。

 互いに逸らすことをしなかった。


「そんな考え方、間違っているよ」

「……また綺麗事を言うつもり?」

「だってさ。かえでが言っていること、言い訳にしか聞こえない」

「なっ――」


 思いもかけなかっただろう、僕に指摘にかえでは目に見えて動揺した。

 身体中が震え出している。

 怒りか困惑か、僕に判断付かないけど、それでも動揺している。


「自分に言い聞かしているようにしか聞こえなかったよ」

「……黙りなさい」

「いいや、黙らない。僕はかえでのことはよく知らないけど、後悔しているのは分かったよ」

「うるさい! 口を閉じなさい!」


 まるで駄々をこねる子供のようだ。


「口を閉じさせたいのなら、殺すしかないな。僕は――絶対にやめない。あなたが得意な弾圧と支配が通じると思ったら大間違いだ」

「この、筑波ぁ!」

「僕は太一となたね、二人の死を無駄にしないように、僕は、ここにいる!」


 僕も立ち上がってかえでと向き合う。

 かえでは今にも泣きそうだった。


「これ以上、生意気な口を叩くのなら――今すぐ殺してやるわ!」

「できるものなら、やってみろ!」


 ここで引くつもりはなかった。

 今までの僕なら怯えていたけど、命を大事にしていたけど、今だけは関係なかった。

 けれども――


「二人とも、そこまでだ」


 征士郎さんは僕とかえでの間に入って止めた。


「かえで。この博は織田家の家臣、つまり寄騎だ。お前の判断で処断はできない」

「…………」

「博も熱くなり過ぎだ。言っていいことと悪いことがある」


 続けて征士郎さんは「お前はかえでの過去を知らない」と諭してきた。


「どうしてかえでがここまで苛烈な判断をするのか。それは――二度と失わないためだ」

「失わない? 何をですか? 地位ですか? それとも財産?」


 僕の問いに対し、征士郎さんは一拍置いて答えた。


「かえでは、仲間を失わないために戦っている」

「仲間……」

「その仲間には、お前も含まれている」


 征士郎さんの言葉に「勝手なことを言わないで」とかえでが返した。


「私は筑波を仲間とは認めていない」

「ならなんで話を聞こうと思ったんだ? 仲間じゃなければ断っただろう」

「ついでに命令しようと思ったからよ」


 かえでは僕を睨みつけた。

 僕はそれでも目を逸らさない。


「今回の一向一揆の拠点となる寺院との講和で『寺を元通りにする』って約束したわ」

「じゃあ、もう戦わなくて――」

「焼き払いなさい」


 かえでが放った命令は、僕の胸に突き刺さった。


「元通りにする、というのは寺がなかった元の原っぱに戻す、という意味よ」

「……本当に徹底しているんだね」

「どう? やるの? やらないの? あなたの知り合いだった子供たちの仇を一つ討てるわよ」


 かえでは僕に言い聞かせるように指を三つ立てた。


「子供たちの仇は、私とあなたと利用した一向宗でしょう?」

「…………」

「あなたがしなくても、誰かがやるわ」

「……だったら僕がやるよ」


 僕は、泣いていた。

 ようやく二人の死を泣けた。


「でもいつか、必ず仇を討つ」

「……ええ。討てるときに討ちなさい」


 そして僕は一向宗の寺院に火を点けた。

 命じたのはかえでだった。

 全部の寺を焼き払って、ようやく諏訪家は三河国を統一できた――

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