第70話 「よせ」

「……ランクセノン…?っ!?様っ!?」

慈悲の神を名乗る自己紹介を反芻し、思わず敬称を付けるリュウセイ。

「あ、はっ!失礼しました!」

慌てて膝をつく。


こんな子どもが!?と思うことはなかった。

その超然とした雰囲気はどの節穴で覗いても、タダモノではないことが知れるから。


「はい。久しぶりなので、ついつい急いで来ちゃいました」

へへっとはにかむ姿は、少女の姿に相応しい。


「前は、ほら、神殿が山の上にあったでしょう? だから人もたまには来てくれてたんですよ。すると、せっかく来てくれたのに、無視するのも申し訳ないですから。だからお話してたら軽々しいって怒られちゃいまして。色々やらかしたこともありますし」

気恥ずかし気に頬をぽりぽりと掻く。


「神殿が谷底に沈んでから誰も来てくれなくなったので……来れないようにって沈められたので仕方ないんですけど。寂しいは寂しいですよね、やっぱり」

よほど人恋しかったのか、饒舌に語るランクセノン。


対して相槌すらないリュウセイ達。

内容ではなく、唐突に現れたというその事実の段階で、茫然としてしまったリュウセイとバルディエ。

コロポンとマイルズは特に感想がないようだ。


「はい。それで、ご用件は?」

穏やかな表情のまま、小首を傾げる。

「にゃ?」

そして、マイルズの方を見る。

「 大体分かる気がしますが」


「は! あ! はい!」

我に返るバルディエ。

「マイルズさん」

「にゃ?」

「マイルズは神気をコントロールできておりません」

「そうですね」

ランクセノンの塞がった目で何をどう見ているのか分からない。

しかし、見えているかのように頷いた。


「このままでは世の理に悪い影響を与えるかと考えるのです」

襟を正し恭しく奏すバルディエ。

「世の理……また大それた言葉が出てきましたね」

そんなバルディエに朗らかに笑う。


難しい言葉を覚えたばかりの子どもを微笑ましく見るように。

「――!?」

思わず目を瞬かせる。

同意が得られるはずだったから


「神気は確かに大きな力ではありますが、聖杯の欠片一つで揺らぐほど、世の理は儚いものではありません」

『安心してください』とバルディエに返す姿は、悪夢に怯える幼子を、大丈夫とあやすようだった。


「うむ? ではマイルズはこのままで大丈夫ということか?」

二の句を失ったバルディエの代わりはコロポン。

「聖杯の欠片が悪い影響を与える、という意味では大丈夫です」

身の丈が優に三倍はあろうかという巨大な犬を見る様は、よちよち歩きする子犬を慈しむよう。


「聖杯は私の右目を媒体に創り出しました」

穏やかに語る口調に悲痛さはない。

ただ後悔は滲んでいる。

自らが遠因となった人々の悲鳴はまだなお耳に残っている。


「砕きましたけど、それでも随分と安定してますから。少々器用とはいえ、子猫ちゃんが壊せるものではありませんから」

「にゃ?」

子猫と呼ばれたマイルズが不満げに鳴く。


「よせ」

尾を逆立てようとするマイルズをリュウセイが止める。

「にゃあ」

しぶしぶ引き下がる。


「その、つまり……いや、あ、いえ。教えて頂いてありがとうございます」

頭を下げる。

礼を言わぬ無礼は出来ず、口を利く無礼もし辛い。

結果まごまごとした言葉にしかならなかった。


「どういたしまして。わざわざこんなところまで来て頂いたのですから」

ランクセノンは拘りなく穏やかに微笑む。


「うむ。ヌシ。用が済んだのであれば帰る狩るのが良いと思うぞ」

「にゃ!」

何かおかしいが、テンションは高い。


「……そうですね」

バルディエは萎れている。


「あ、ああ。そうだな」

頷いて、躊躇いながら、立ち上がる。


「あ、待ってください」

「はい?」

「私の用事がまだ済んでないんです」

「は、はい!」

慌てて再び跪く。


「マイルズちゃん」

鈴の転がるような声でその名を呼ぶ。

「にゃ?」

「――マイルズちゃんを連れて帰ります」

至極当然にそう告げた。


「聖杯の欠片がひどく歪んでいます。とても辛い思いをしたようです」

ランクセノンには見える。

マイルズの身体にある聖杯の欠片が、怨嗟で濁った魂に浸食され、歪んでいる様が。


どれだけの苦痛を浴びれば、神器が歪むのか。

そして、それを身に宿すことでどれだけの苦痛に苛まれるのか。


「私は人が好きです。しかし、人は時にとても残酷です。それゆえに、人を憎んでしまうこともある。それはとても悲しいことです。マイルズちゃんも辛かったことでしょう。でも、大丈夫ですよ。私とともに来れば、その苦しみからは解放できますから」

そういってランクセノンは腕を広げる。


「にゃ!?」

慈母のごときその姿に慄くマイルズ。


「リュウセイ。ランクセノンの名において命じます」

声音は穏やか。

しかし、その言霊はリュウセイを縛り上げた。


「マイルズちゃんを開放なさい」

「な!?」

反応したのはバルディエ。


「何を言ってるのですか!?」

「……はい」

「む!?」

力なく頷くリュウセイ。

その返事に驚くコロポン。


熱に浮かされたようなリュウセイの手に赤い光が集まる。

その光はマイルズと繋がっている。

「待て! ヌシ!?」

これから起こりうる事態にコロポンが吠える。

吠えたコロポンがランクセノンに牙を剥く。

「貴さ……」


コロポンに穏やかに顔を向けただけだった。

「コロポンさん!?」

コロポンが凍てついた。

黒い身体が、真っ白に。


「……リリース」

ランクセノンしか見えていないかのように、リュウセイがポツリと呟いた。

――キン――

その直後。か細い音とともに、リュウセイとマイルズを繋ぐ赤い光が千切れた。


「!?」

バルディエがランクセノンに飛び掛かる。

「どうい……」

そして、その姿のまま石となった。


「人の子よ。今は眠りなさい」

茫洋とするリュウセイにそう囁く。

それだけでリュウセイは糸が切れた操り人形のように地面に崩れ落ちた。


「私の過ちにより苦しめたこと、お詫びします」

ランクセノンは、マイルズへ顔を向ける。

慈愛の神に相応しい、慈しみに満ちた顔。


右手を向ける。



「おかえりなさい」

愛に満ちた言葉とともに、光が迸る。





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ご覧いただきありがとうございます。

ランクセノンってなんだっけ?という方は、


https://kakuyomu.jp/works/16817330659227495245/episodes/16817330660568299226


こちらをご確認下さいませ。

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