#11 Battle of the Moment

 声を掛けた見知らぬ相手が、振り返ると同時に一瞬で武器を取り、いきなり襲い掛かって来る。


 仮にそれが鎧に身を包み、腰に剣を携えている騎士だったなら、賊もそこまで油断しなかっただろう。


 だが、その相手が肩まである金の髪をサラリと揺らし、法衣を着た線の細い女だとしたらどうだろうか。


「い゛っ!?」


 イェールが為そうとするのは、攻撃と観察を同時に行うという離れ業である。


 身体の回転に加え、手元で生む遠心力は旋棍トンファーを昏倒必至の威力にまで引き上げる。


 振り返って賊を視界に入れ、鎧兜がない事、長剣の柄が右肩から覗いている事を視認。


 その瞬間に剣の柄に伸びようとする賊の右手を左の旋棍で打ち、即、右で賊の左わき腹を打つ。


 旋棍トンファーはかなり珍しい部類に入る武器で、初見でその変則的な動きに対応できる者はまずいない。


 転進してからここまで一秒。


 戦いを好まぬ戦いの天才、イェールが選んだ初見殺しの本領が今発揮される。


「ふっ!」


 ゴキュッ!


「ぐはっ!」


(入ったっ!)


 全て計算通りだった。


 左の旋棍は賊の右手を軌道上で見事に弾き、右の旋棍はそのガラ空きの左わき腹をえぐった。


 賊は服の下に装備を着込んでおらず、肉の塊を打ち抜いた感覚は、イェールに賊の排除を確信させた。


 立ち上がるどころか呼吸すらままならないはず。ましてや、武器を取って反撃するなど出来るはずがない。


 傍で見ている者がいたのなら、誰でもそう結論付けるだろう。


 しかし―――


 この賊は違った。


「この、やろ……痛ってーなゴラぁっ!」

「なっ!?」


 バキッ!


「ぐうっ!」


 膝を突くどころか、賊はわき腹に手を添えながら右廻し蹴りを繰り出してきたのだ。


 イェールは完全に仕留めたと思い込んでいただけにこれを躱せず、命中の直前で旋棍を滑り込ませるので精一杯だった。


 防御した旋棍は真っ二つに破壊され、勢いそのままに左腕を蹴り抜かれて壁に激突し、その衝撃でガクリと片膝を折る。


(くっ……覚醒者でしたか)


 この世界には、通常では考えられない身体能力を持つ人間がいる。


 筋力や体力は言わずもがな、視覚、聴覚といった五感までも研ぎ澄まし、およそ身体能力と呼ばれる全ての力を増幅させる事が出来る人間。


 意識下では制御できない肉体の防衛本能を己の制御下に置き、骨や筋肉が持つ性能の限界を超える事が出来る人間。


 ロマヌスの聖典には、こう記されている。



 神の力を宿す者


 世の真理を体現する者


 魔に相対する者

 

 覚醒者



「げほっげほっ! あ゛~……これ骨いってるかもな。くっそ……同業にやられたとかバレたら兄貴らにぜってー笑われちまう」


 その覚醒者である目の前の賊。


 服をめくり、旋棍が入ったわき腹にフーフーと息を吹きかける様に緊張感はまるでない。


 どうやら止めを刺すつもりが無いようなのか、折れた左腕を抑えて自分を睨みつけるイェールを見るや、まるで面白いモノを見るかのようにニヤリと笑みを浮かべた。


「わりぃな。ついマジで蹴っちまった。お前中々やるじゃねーか」

「……は?」


 おおよそ賊が吐くとは思えない謝罪と称賛の言葉。


 逆に腹が立ちそうになる中、そう言って動けないイェールの前で胡坐をかいてしまった。


 邪魔者を排除した時点で仕事に戻るのがイェールの知る賊である。


 相手は悪鬼とまで呼ばれる大賊ギンの一味。訳の分からない状況にイェールは大いに困惑したが、この状況では付き合わざるを得ない。


「しっかしいきなり攻撃する奴があるかよ。女だと思ったら男だし、神官かと思ったら同業だしよ。無茶苦茶油断したぜ」

「……誰が賊ですか。聖域を汚すあなた方と一緒にしないで頂きたい」


 この辺りでは珍しい黒い髪に偉丈夫。歳は若く、自分と大して変わらないように見える。五十年以上前から名を馳せるギンの一味とは中々思えない。


「え、法衣まで奪って俺らに乗ったんじゃねーの?」


 賊は、誰が見ても荒らされた部屋を指さした。


「うっ」


 確かに荒らしたのは自分であり、高官しか目にすることの出来ない資料を見てしまった。いかに正式な神官とはいえ、自分はまだ直位階の新米である。下手な言い逃れはすべきではない。


「確かに部屋をあらためたのは私です。ですが、これは故あっての事。私は主に仕える正真正銘の神官です」

「ふ~ん。故ねぇ……」


 賊は、どうでもいいと言わんばかりに鼻に指を突っ込み、フッと息を吹きかける。


 ここで相手を怒らせて剣を抜かれでもしたらたまったものではない。


 イェールは為さなければならない事と賊の存在を天秤にかけるまでもなく、前者を選択した。


「私にはやることがあります。見逃して下さい」

「どうしよっかな~。お前結構やるし、生かしといたら後々面倒になるかもしれねぇ」

「……ここより先にお望みのものはありません。宝物庫でしたら地下です」

「ふっ、命乞いの対価は宝の在処ってか」

「私も聖堂に言えない事をしています。神に誓ってあなたの事は口外しないと約束しましょう。それに……私を剥いだ所で無一文ですよ」

「はっはっは! おもしれぇ……いいだろう。場所を言え」


 聖堂中を磨き上げてきたイェールである。


 嘘を織り交ぜたところで、違っていた場合の報復が一番恐ろしい。宝物庫にこそ入ったことは無いが、その入り口がある場所は容易に伝えられる。


 まるで迷路のような聖堂ではあるものの、今いる場所からの経路、目印、明かりの有無までも全て正確に吐露した。


「ふ~ん。盗賊にバラしてよ、お前マジでやることがあるみてぇだな」


 イェールの説明を最後まで聞き、賊はおもむろに立ち上がる。


「……どういうことですか」


 さっさと立ち去ってくれと願いながらも、イェールは賊の意外な反応につい聞き返してしまった。


「どうもこうもねぇよ。正解だって言ってんだ」

「は?……っ!?」


 イェールは思い返す。


 聖都の周囲を固めた軍を、まるごと無視するための地下通路を用意するという計画性。町に火を放ち、戦力を分散させておくという周到性。大勢を引き連れ、聖域に突如現れるという豪胆さ。


 そんな賊が、標的の場所を事前に押さえていないなどあるだろうか。


 試されていたのだ。


 自分に害があるのかどうかを。


「はっはっは、じゃあな。まぁ、お互い頑張ろうぜ~」

(くっ……)


 加えて言えば、嘘をついていたら行動不能されていたか、最悪、殺されていたかもしれない。


 だが、結果的にイェールの望む格好となったのでこれ以上言う事は何もないと、高笑いして去っていく賊の背を見送った。


 しかし、どういう心境の変化なのか。


 しかるべき資料に名が無かった上に、腕を折られ、壁に叩きつけられるという二重の衝撃で頭がおかしくなったのかもしれない。


 言い換えれば、藁にも縋るとはこういうことを言うのだろう。


「……待ってください」

「あん? まだなんか?」


 イェールは、自分でも衝撃の言葉を口にしていた。


「ジェリトリナ・ル・ナイトレイという名に、心当たりはありませんか」


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ジェシカ ―Frontier of Beginnings― 詩雪 @shi_yuki

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