第3話 寿命と時間

 また別の日に綾子と裕子、二人で会話をしていた時のこと。その時はまったく別の話をしていたのに、どこから変わってしまったのか、またあの世とこの世の話に入っていた。どうやら二人はこの会話から逃れられないようである。

「あの世とこの世、どっちが居心地いいのかしらね」

 この言葉は裕子からだった。

 今回は裕子のこの言葉から、いつもの会話に発展したようだ。

「どっちがいいんでしょうね。私はこの世がいいような気がするわ」

「行った先が天国でも?」

「ええ、そう。私の発想としては、この世が一番自由な気がするの。たとえ天国に行ったとしても、そこでは自由はないような気がするのよ」

 という綾子の言葉に、

「どうしてそう思うの?」

「天国って想像するに、何も考えなくてもいいような世界のような気がするの。自由というのは権利でもあるんだけど、義務も発生するものだと思うのよね。権利があれば義務がある。それがこの世だとすれば、天国という世界であってもあの世には、義務はおろか、権利もないように思うのよね」

「それが綾子の考える『自由がない』という発想なのね」

「ええ、何も考えなくてもいい世界だったら、無秩序ということでしょう? 確かに無意識に秩序を持っている人ばかりが行く世界が天国だとしても、それぞれ人によって秩序の基準が違うんだから、誰かが治めていなければ、無節操な世界になってしまうでしょう?」

「それが神様であったり、お釈迦様だということなの?」

「想像されていることとしてはそういうことなんでしょうね。でも、本当に神様やお釈迦様なんているのかしらね?」

「どういうこと?」

「この世だって、警察や政府があって、世の中を治めているのに、いろいろな派閥や考え方があって、それが衝突する。理想の天国にはそういうことはない。それは皆同じ発想の元に治められているということになる。だとすれば、派閥や宗派の数だけ天国という世界があるのか、それともよほどのカリスマな存在があって、全能の神が存在するということなのかって思うわよね」

 というのが綾子の考え方だった。

「でも、ギリシャ神話などでは、全能の神であるゼウスというのは、結構嫉妬深かったり、負けず嫌いのようなところがあって、あれほど人間臭いキャラクターはいないように感じるんだけど」

 と裕子が反論した。

「そうね。でもだからこそ、人間にとっての全能の神なんじゃないかしら? 人間臭さがあるからこそ、人間がよく分かるとでもいうのかしら? 私はそんな風に感じるんだけど」

 と綾子は言う。

「でもね、天国って人間だけの世界なのかしら? この世だって人間だけの世界ではないでしょう? 他に動物もいれば植物もいる。限りないほどの生態系があると思うんだけど」

 と裕子が言うと、

「そうかしら? 生態系というのは一つだけで、その生態系の中に複数の生物がいるというだけじゃないの? その基本は弱肉強食。そう思うと、あの世ではお腹が減ったりしないという想像が許されるとすれば、他の生物は必要ないんじゃない?」

「そうだとすると、本当に殺風景な世界よね。それを天国と言えるのかしら?」

「じゃあ、裕子は天国ってどんな世界だって思っているの?」

 と言われ、改めて考えてみると、答えに詰まってしまった。

「もちろん、私にも想像できないわ。でもね、天国を想像するとすれば、それは地獄よりも難しいと思うの。何しろ、この世で悪いことをしなかった人が行くところだって考えられているからね。地獄の場合は、この世で悪行を尽くした人がいくと考えられているので、戒めという世界を考えればいいので、いくらでも想像はできるかも知れないけど、天国はこの世よりももっといいところだという大前提があるので、想像は難しいと思うのよ」

 という綾子に対して、

「ということは、この世ってそれほどいいところだと皆考えているということなのかしら?」

 という裕子は感じた。

「少なくとも天国を想像するのが難しいと考えている人はそうかも知れないわね。もっとも、天国というのが仏教で言われる極楽のような世界だと単純に信じている人も多いと思うんだけどね」

「それは悪いことじゃないと思うんだけど?」

「ええ、私はいい悪いの話をしているつもりはないのよ。あの世という別の世界が存在し、その中にはいくつかの世界があって、少なくとも天国と地獄という世界が存在するという一般的な考え方をそのまま想像すると、今言ったような発想も十分にありえるんじゃないかって思ったのよね」

「そういえば、この間あの世の話をした時、もう一つ、あの世が存在するんじゃないかって話にもなったわよね」

「ええ、宇宙のような果てしない世界を想像したような気がしたわ。それはまるで鏡を左右、あるいは前後に置いた時に見えている自分が限りなく写されているかのような無限ループの世界だって話をしたわよね」

「ええ、その鏡に写った自分はどんどん小さくなっていくんだけど、最終的にはどんなに小さくなっても消えることはない。限りなく無に近いものだっていう発想だったと思うわ」

 二人は、その時の話を思い出していた。

「そうね。無限ループを考えた時、私はそのループに寂しさを感じたような気がしたの」

 と言ったのは裕子だった。

 子供の頃に見たアニメを思い出していたからであって、そのアニメではずっと誰か身代わりになってくれる人を三百年も待っているという話だった。

――あの時の妖怪少年は、たぶん主人公が現れるまでは、自分の運命を受け入れていて、そのままずっとその場にいてもいいように思っていたように思うわ。きっと気が遠くなるくらいの長い間、寂しさを感じることで感覚がマヒしてしまって、果てしないその果てを見たのかも知れない。でも、そんな時にそれまで関わってこなかった人間に出会うことで、過去の自分を思い出したのかも知れない。欲が出てきたというべきなのかしら?

 と裕子は想像してみた。

 裕子の気持ちとしては、

――せっかく果てしないその果てを見たんだから、無の境地に陥ったに違いない。それなのに、なぜいまさらこの世に対しての未練を思い出してしまったのか、その少年の真意を計り知ることはできないけど、考えれば考えるほどおかしな気分になってくるわ――

 と想像していた。

 そのおかしな気分の正体をすぐには理解することはできなかったが、理解できてしまうと今度はすぐに自分で納得することはできた。

――あれは虚しさだったんだわ――

 虚しさというと寂しさからの発展系のように思っていた。

――ということは、妖怪少年の気持ちを私が受け継いだような感覚に近いということなのかしら?

 と裕子は思った。

 妖怪少年がそんな気持ちで三百年もそこにいたのか想像もつかない。きっといろいろなことを考えたに違いないが、結局は元の場所に戻ってくる。堂々巡りを繰り返すことで、堂々巡りが自分の心理を象徴していることに気付き、いまさらながらに自分が果てしない時間の中に身を投じてしまったという恐怖を感じたことだろう。

 だが、恐怖を凌駕する何かを少年は見つけたのかも知れない。そうでもなければ、三百年もずっとその場所にいることは不可能だろう。それができたのは、その少年だったからなのか、それとも人間は誰でも同じような環境に身を投じてしまったら、同じように恐怖を凌駕できる何かを見つけることができるのだろうか。

――もし、後者だとするとその恐怖を凌駕できる状況というのは、皆同じものなのか、それとも人によって違うものなのか、どっちなのだろう?

 裕子は一人考え込んでいた。

 そんな裕子を見て、綾子は敢えて声を掛けないようにしていた。それがどれほどの時間なのか、綾子には分かっていたからだ。

 裕子がその間の時間の感覚を、どれほどだと思っているのかは分からない。しかし、そばで見ている限り、綾子にはいつも同じ時間であることを感じていた。それが裕子にとってどれほどの時間を感じているかというのは関係ない。綾子も敢えて考えないようにしていた。

 綾子にはそんな時間を感じたという意識はない。それが自分にはないだけど、他の人には皆持っているものなのか、裕子だけが特別なものなのかは分からない。どちらにしても、そんな状況を垣間見ることができるのは少なくとも裕子だけだったからである。

――私にはここまで陶酔できる相手は裕子しかいない――

 と綾子は感じていた。

 つまりは、裕子は自分にとって必要不可欠な相手だということを分かっていた。

 だが、そんな裕子のように自分にとって不可欠な相手は、他の人にも必ず一人はいるものなのか、それとも自分だけ特有のものなのか、綾子には分からなかった。だが自分だけであってほしいという気持ちが強いのは分かっていて、それこそ、

――他の人にはない感覚のはずだ――

 と信じて疑わなかった。

 綾子はそう思うと、ハッとして我に返った。

――私は何を考えているんだ?

 自分への戒めの気持ちが生まれた。

 綾子も裕子も、それぞれに、

「私は他の人とは違う」

 という思いを持って付き合っていたはずだ。

 それぞれに言葉に出して確認しあう仲だったはずなのに、気が付けば何を自分の考えていることが他の人にあるかないかなど思っていたのだろう? そんな自分に綾子は戒めの気持ちを持ったとしてもそれは不思議なことではない。ただ、自分が感じている思いを、裕子も感じているということを分かっていた。

――私が人と同じでは嫌だと思っている相手に、裕子は除外できる――

 と思っている。

――ということは、裕子を人として見ていないということかしら?

 と考えると、自分がどんな目で裕子を見ているのか、少し怖い気もした。

 しかも、同じようなことを裕子お考えているのだと思うと、

――裕子も自分と同じように自分を怖がっているのかも知れない――

 と思った。

「第三のあの世を宇宙のような世界だって話をしたじゃない」

 という綾子の話に、

「ええ、果てしない世界というイメージね」

 と裕子はハッとして答えた。

 今まさに考えていたことを急に言われたような気がしたからだ。

「それって天国のような世界に違いのかしらね?」

「というと?」

「果てしない世界には、権利も義務もない。何を考えていいのか分からない。ただ果てしなさだけを意識していると、絶対に気が遠くなって、そのうちにおかしくなってしまうかも知れない。それくらいなら、何も考えないに限るわよね。それは、考えていることが堂々巡りを繰り返すことに気付くからなのかしらね?」

「それはあると思うわ。権利と義務って、お互いに背中合わせになっていて、義務がなければ権利も存在しないし。権利がないと義務も存在しないと思うの。もっとも、他に誰もいない世界で義務も権利も存在しないだろうから、宇宙のように果てしない世界というのは、絶えずゼロなんじゃなくって、限りなくゼロに近い存在なんじゃないかって思うのよ」

 と裕子が言った。

 裕子は言いながら、頭の中で想像していたのが、前後あるいは左右に置いた鏡に写る自分の姿を想像していた。そして、想像しながらおかしくて噴き出してしまう自分を感じていた。

――ふふふ、これってさっき考えていたことだわ。別に考えが堂々巡りを繰り返していたわけじゃないのに、また同じところに戻ってくるというのも面白いわ――

 と思ったのだ。

 裕子がニヤッとしたのを、綾子は見逃さなかった。

――また何か閃いたのね――

 と綾子は感じた。

 綾子は裕子が一人で何かを考えている時というのは、必ず堂々巡りに陥っているのが分かっていた。しかし、まったく同じところを繰り返しているわけではなく、ただ、最後には同じところに戻ってくるというだけで、途中のプロセスは違っていることが多い。裕子がそのことに気付いていないということまで綾子には分かっていた。

 もちろん、綾子にも同じような習性があるわけではないのだが、どうして裕子のことがそんなにも分かるのかというと、

――自分は他の人と同じでは嫌だ――

 という考えが、裕子の中にあるということを綾子自身が分かっていて、

――私と同じだわ――

 と考えているからだった。

「私はこの世とあの世という区別よりも、別の世界が存在していて、それは同じ時間に存在していると思っているのよ」

 と綾子が言い始めた。

「どういうこと?」

「人って、誰か一人を限定して考えると、その人はどんなにたくさん世界があったとしても、そのどれかに一人しか存在できないものなんだって考えていたのよ」

 という綾子に対して、

「確かにそうよね。私自身に置き換えてみると、もう一人の私が他の次元にいるという発想はなかなかできるものじゃないわよね」

 と裕子は答えた。

「ええ、私もそう思っていたの」

「でも、綾子は違うと思っているんでしょう?」

「ええ、それぞれの次元に、それぞれの私がいるような気がしているのよ。たとえを変えると、タイムマシンで過去に行くとするでしょう? そこで自分に遭ったり、自分の親に遭ったりすることってできると思う?」

「できるかも知れないけど、そこで自分や自分にかかわりのある人の将来にかかわることを変えてしまうと、自分の存在自体が危ういことになるんじゃないかって思うわ」

「そうでしょう? だから、過去に行って過去を変えてしまうということはタイムトラベルではタブーのように言われてきたのよね。私もそう思うのよ。だからね、逆の発想として、他の世界を垣間見ることのできない理由として、もう一人の自分が他の次元にいるから、その次元を覗くことはできないという発想なのよ。だから、さらに発想を膨らませて、もし他の世界が存在するのなら、もう一人の自分が同じ時間には存在できないと考えたの」

 と綾子は言った。

 少し飛躍しすぎの気がしたが、綾子の発想であれば、これくらいのことは普通に思えてくるから不思議だった、

 それに対して裕子も少し発想を膨らませてみて、

「私も同じように考えられるんだけど、もう少し捻って考えると、他の次元や世界の存在を否定しないとして、そしてもう一人の自分の存在を否定しないとすると、もう一人の自分がいる世界は、その人の寿命とともに別の世界に飛ぶということになるのよね。それをこの世では『死』という表現になるんでしょうけど、皆が同じ時期に死を迎えるわけではないから、人の数だけ世界が存在するようにも思うの」

「それは無限ということ?」

「そういうことになるわね」

「でも、この世では誰かが死ぬその時に、必ず誰かが生まれている計算になるでしょう? 人は生まれてから死ぬわけだから、決して生まれないのに死んだりはしないわけだからね」

 と綾子も似たような発想を持っているようだった。

「そういう意味で輪廻転生という言葉が生まれたのかも知れない、前世という言葉も似たような発想なんじゃないかしら?」

「ところで寿命というのを私は最近気にして考えるようになったの」

 と、また綾子が不思議なことを言い出した。

「寿命?」

「ええ、寿命って漠然と言われているけど、誰が決めたのかしらね? 宗教では自殺を戒めるものも多く、寿命をまっとうしないのはまるで罪のように言われているわよね」

「ええ、確かに。病気や事故などの突発的だったり、または時代によっては戦争などで死にたくない人でも死に追いやられることもある、決して本人が悪いわけではないのに、死ななければならなかったというのは考えただけで辛いのに、それを罪だというのであれば、完全に追い打ちをかけているようなものよね。死というのはいったい何なのかしらね」

 と、裕子には珍しく興奮気味に話した。

 その様子を見ていた綾子は、いつになく熱くなっている裕子をなだめるような目で見ながら、

「だから宗教があるのよ。この世で報われなかった人が、あの世に行けば報われるように、この世で少しでもいいことをしたり、神様にすがったりするという発想なのかも知れないわね」

「大体、戒律のある宗教の中で、人を殺めてはいけないという戒律が存在するのに、戦争の中のそのいくつかには宗教が発端になっているのがあるというのが納得がいかないわ」

 裕子は何かのスイッチが入ったかのようだった。こんな裕子は本当に珍しい。綾子も久しぶりに見た気がして、さらにこんな時の裕子の発想が普段とは違うものになることが分かっているだけに、少しワクワクした気分になっていた。

「この世では皆寿命って違うじゃない。もっとも寿命をまっとうできる人の確率がそれほど高くはないのだから、どれが本当の寿命だったのかすら分からない。大往生と言われる人だって、それが本当の寿命なのかというのも分からない。だからこの世では、寿命をまっとうすることが一番いいと言われながら、実際には寿命のまっとうに対して、それほど重要視している人はあまりいないと思うのよ」

 と綾子が言った。

「そうね。私も寿命という発想はあまり考えたことがないわ」

「どうしてだと思う?」

 という綾子の質問に、

「よく分からないわ」

 と裕子がいうと、綾子は少しニヤッとして、

「それは皆が死というものをどう考えているかということに繋がってくると思うのね」

「どういうこと?」

「死というものを楽しみにしている人なんかいないでしょう? 誰だって怖いものだって思っている。自殺する人だって、覚悟して自殺するわよね。一度では死にきれずに、ためらい傷を手首に無数に残している人もいる。それでも気が狂うわけでもなく、ちゃんと精神はしっかりした中で生きている。それは、死を絶対の恐怖だと思っているからだって思うのね」

「確かにそうだわ。死以上の恐怖を私も想像できないもの」

「といううことは、寿命というのが死というものに一番直結していることでしょう? 自殺を目の前に控えている人以外は、死について考えることなんかないと思うのよ。だから、恐怖である死を考えないようにしようと思うと、その条件反射で、寿命という言葉も無意識に避けるようになっているのよね」

「ええ」

「皆、長生きをしたいと思っている。これが人間の、いや、昔であれば妖怪の一番の望みは不老不死だったりするのよ。その例として中国の西遊記だったり、不老不死のために坊主の肉を食らうというでしょう? 世の中が乱れると、えてして誹謗中傷やあらぬ噂話が蔓延ることになるのよ。それがあらゆる生きている生物の生きているという証しであり、条件反射のようなものなんじゃないかしら?」

「なるほど、綾子のいう通りだわ」

 裕子は少し落ち着きを取り戻しているようだった。

 そんな裕子を見て、最初はワクワクしていた綾子だったが、落ち着きを取り戻した裕子にガッカリすることはなく、裕子の変化に対して、さらなる興味を抱くに至ったのであった。

「裕子は、あの世と呼ばれる世界に寿命というのは存在すると思う?」

「輪廻転生というように、あの世がこの世への生まれ変わりの準備段階だとすれば、寿命というのはあるのかも知れないと思うわね。でも、それはあくまでもこの世中心の考え方であって、今まで話してきた中では、この考え方がこの世に生きている人の傲慢から生まれたように感じると、それも少し違っているんじゃないかって思ったりするわ」

 という裕子に対して、

「考え方はいろいろあるわよ。さっき話したように、あの世と呼ばれるのが生命の数だけ存在しているという発想もありではないかということよね。でも、それだと一つの世界に一人だけということになるでしょう? この世のように誰かとの交わりがまったくないことになる。でも、実際にはそんなことはないと思うの。もしたくさんの世界が存在するとしても、その世界には共有部分があって、意識することなく過ごしているとも考えられるように思うの」

 と綾子が言った。

 それを聞いた裕子は何か疑問を感じたようだ。いや、おかしいと思ったのは話を聞いているうちだったので、聞き終わった時には考えがある程度まとまっていたのではないだろうか。

「ちょっと待って、ということはこの世と呼ばれているこの世界も複数の世界が存在すると言えるんじゃないかしら?」

 と裕子が言ったのに対して、

「そうよ。私はそう思っている」

 綾子は裕子を覗き見るような表情になった。

――あなたなら分かるでしょう?

 と言わんばかりの表情を、裕子は察していた。

「そっか、それが夢の世界だってことなのね」

 と裕子は興奮気味に言った。

 この興奮はさっきの興奮とは違う。興奮の根本は、さっきは怒りからだったが、今回は嬉々としたものだった。同じ興奮状態でも、喜怒哀楽、いろいろあるというものである。

「そうそう、私はそう思っているわ。だから、世界が無限にあるというのもその通りで、夢の中に共有部分があると感じたのも、この発想がそれを証明してくれるような気がしているの」

「なるほど、本当に綾子ってすごいわ」

 と裕子が感心していると、

「そんなことはないわよ。私は裕子と一緒にいるから、こんなに発想が豊かになれるのよ。裕子もきっと私が一緒にいるから、普段他の人と一緒にいる時に見ることのできない何かを私の前だけで見せているものもあるはずよ」

 と綾子がいうと、

「そうかしら。そうだったら嬉しいわ」

 と裕子は答えた。

「私は寿命という言葉、本当はあまり好きじゃないの。寿命をまっとうすることが一番いいと言いながら、その寿命って終わってみないと分からないでしょう? しかも、終わった時にはその人は死んでいるわけだからね。誰かが証明してくれても、その人にとっては後の祭りでしかないのにね」

 といって綾子は笑った。

 裕子も綾子のその発想に、

――まるで禅問答のようだわ――

 と謎かけのような発想に感心していた。

「私は、少し違う発想をしていたような気がするわ」

 と裕子が言った。

「どういうこと?」

「今ここで綾子と話をするまでは、きっと意識しないまま、ずっと過ごしていくような気がしていたんだけど、あの世と呼ばれる世界では、私の発想としては寿命が中心で、時間が寿命に左右される世界で、時間の感覚が動物ごとに違っているんじゃないかって思うようになったの」

 と裕子がいうと、

「ほう、それは斬新な考え方ね。私も裕子に言われて、その考えが自分の中に以前からあったかのような錯覚に陥った気がしたわ」

「そうでしょう? まるで目からウロコが落ちたって感覚なのよ。気が付いたことでスッキリするようななぞなぞの答えのような感じよね。でも、それって人に言われて初めて気付くものなのかも知れないわ。発想というのは、何も自分だけで考えるものなんじゃないってことなのかも知れないわね」

 裕子は饒舌になってきた。

 普段は綾子の話に合わせる形で、その要所要所にて自分の考えが斬新であることで、綾子に感心されることに悦に入っていた自分を顧みていた。

「でも、時間の感覚が動物ごとに違うというよりも、同じ動物でも違っているとは思わなかったの?」

「最初はそうも感じたんだけど、あの世というところは意外と何も起きない世界なんじゃないかって感じているの。この世のように突発的なこともなければ、奇抜なこともない。それを維持するには、同じ動物の間では、少なくとも時間の流れが共通じゃないといけないって思っているの」

「じゃあ、この世でいろいろな想像を絶するようなことが起こっているのは、人間同士、動物同士で時間が違っているからだって言いたいの?」

「ええ、でも時間が違っているのは人間だけ。他の動物は時間の相違は許されない。なぜなら弱肉強食の世界で、彼らには考えるという能力がない。つまりは本能のみで生きているわけでしょう? そんな動物にとって時間が違うということは、生態系の崩壊に繋がるの。そうなってしまうと、この世の生業はありえなくなってしまうって思うの」

 と裕子が言った。

「どれか一つの動物の生態系が崩れるということは、すべてに影響してくるから、この世の崩壊に繋がるわね。でも、人間には考える力がある。だから、考えたことが間違いなのか正解なのかを追い求めているうちに、皆それぞれの発想が渦巻いてしまって、時間の感覚がマヒしてしまうんでしょうね。同じ時間を共有しているつもりでいても、実際にはどうなのかって、私は思ってしまうわ」

 綾子も饒舌だった。

 普段は綾子が発想の初端を開くが、今回のように裕子が先に開くと、それこそ、時間の相違を感じさせているようで、綾子は複雑な思いを抱くことになった。

「寿命というものをもう少し考えてみましょうか?」

 と綾子が言い出した。

「というと?」

「寿命という概念はどこから来ているかということなのよね。それにこれからはややこしいので、動物はすべて人と話すようにするわね」

「ええ、いいわ」

「まず、人は生まれてから死ぬまでが存在して、その間をその人の人生というのよね。でも、生まれることは皆一緒なんだけど、死ぬ時は違っているわ・病気で死ぬ人、事故で死ぬ人、殺される人、そしていわゆる寿命をまっとうして死ぬ人と分かれるわ」

「ええ、それは分かるわ。だから、私はその人の人生はその人のものなんだけど、死ぬことの予想ができないことから、その人の人生には、何かの力が介在しているように思っていたの」

 と裕子がいうと、

「でも私は少し違った考えを持っているの。人の人生は生まれた時からすでに決まっているんじゃないかって思いなの」

 と綾子が言った。

「その考えは時々聞くけど、綾子がその考えに賛同しているというのは、私には少し不思議な気がするわ」

「どういうこと?」

「綾子はいい意味での破天荒に見えるので、自分の人生が決まっていて、ただそのレールの上を歩かされているだけだという考えには反対なんじゃないかって思っていたの」

「確かに私も中学生くらいの頃まではそんな考えもあったと思うの。でも今は違うわ。運命という言葉の意味を考えるようになったというべきかしら?」

「それは、自分の人生が最初から決まっていたという意味で?」

「それもあるけど、運命というものを誰かが創造した以上、そこに何かの意味が必ずあると思うの。運命の意味を考えると、寿命という言葉との相関関係は切っても切り離せないと考えると、この世では生まれた時から運命が決まっていたと考える方が辻褄が合いそうじゃない?」

 裕子はそれを聞いて考え込んだ。

 綾子は続けた。

「寿命をまっとうできたのかできなかったのか。老衰で死ぬ人にだって、それが寿命なのか分からない。人によっては百歳以上も生きる人もいれば、病気でも事故でもないのに、七十くらいで死ぬ人もいる。人によって寿命が違うというのも不思議に思うのよね。皆が皆、寿命まで生きていたとすればどうなるんでしょうね」

「生まれる数を制限しないと、人口が増え続けて食糧難になってしまうんじゃないかしら?」

 と裕子がいうと、

「でも、そうなると、老人ばかりが増えてしまって、今の時代の象徴である高齢化社会に拍車をかけることになるわよね。それって大きな社会問題でしょう?」

「確かに……」

 二人の話は社会問題にまで発展してきた。

「じゃあ、適度に人が死ぬというのも、社会の摂理としては、至極当然なことだっていうの?」

「そうかも知れないわね」

「でも、そのために早く死ぬのって不公平じゃない? 別に悪いことをしたわけでもないのに、いきなり死を迎えるんだから」

「そうかしら? そもそも寿命だって皆が同じものだって分からない。それこそ原点から不公平なんじゃない?」

「それはそうなんだけど……」

 と裕子は綾子の意見に賛同はできないが、反論もできない。

「だからね。不公平だというイメージを人に植え付けないように、人の寿命は分からないようにしているんじゃないかしら?」

 という綾子の意見を聞いて、

「あっ」

 と思わず裕子は声を挙げた。

「なるほど、人に違和感や不可解さを与えないようにするために、寿命という意識をあまり持たないようにさせているのね」

「そう、だから寿命をまっとうしたといえば、大往生ということになって、その人が亡くなったとしても、悲しむことはないという考え方ね」

「死に方としては、一番いい死に方だっていうわけね」

「不謹慎かも知れないけど、そういうこと」

 と綾子は、そこで話を結んだ。

 だが、それはあくまでもこの世でのこと、あの世のことには今まで触れていなかったが、綾子はすぐに話を拡大させた。

「あの世では寿命が中心と裕子は言ったけど、私の今の話から派生させると、あの世での寿命というのは、どういうことになるんでしょうね? そもそもあの世では人は生まれてから死ぬというこの世の人生のようなものが存在しているのかしら?」

「今考えられているあの世というのは、死んだらそのままの状態であの世に行くという考え方よね。ということは若くして死んだ人は、そこから先の人生を歩むことになるとしても不思議はないんだけど、この世で寿命をまっとうした人はどうなるのかしらね? 老衰で身体がボロボロのまま、あの世に行くことになるのかしら?」

 綾子の質問に答えるわけではなく、裕子も自分の疑問を口にした。

「きっと、あの世のことをいくら想像しても、結局は同じところに戻ってくるしかないと思うの。それがあの世の定義のようなもので、この世の姿でそのままあの世に行ったとしても、結局はあの世という場所で、また同じところに戻ってくる運命が待っているとすれば、おのずとあの世の種類にはパターンが存在するような気がするの。そのパターンが死んだ時のその人の状態によって変わってくる。つまりは言われているように、この世でのその人の素行によってどのあの世が選ばれるかではなく、死んだ時のその状態によってあの世が決まってくると考える方が、辻褄は合っているんじゃないかって思うのは私だけなのかな?」

 綾子がこの考えは最初から持っていたわけではないと裕子は感じた。

 二人で話をしているうちに、いろいろな発想が生まれてきて、これからもどんどん不思議な発想に二人で足を踏み入れていくことだろう。あの世に行けば違う生き物に生まれ変わるという発想であったり、あの世とこの世を行ったり来たりするような輪廻転生という考えであったり、宗教的な考え方がいくつも頭をもたげたりすることだろう。

 ただ、裕子も綾子も、あの世とこの世を繋ぐ見えない糸は、寿命というキーワードと切っても切り離せない関係にあるのだと考えるようになっていた。

 あの世からこの世を見た時、同じように考えている人もいるかも知れない。

――今なら、その人と話をすれば、分からないこともすべてが明らかになるような気がする――

 と、裕子も綾子も考えていた。

 そして、あの世にいるであろうもう一人の自分の存在を、信じて疑わないことで決まった人生の上を歩かされていることも悪くないと考えるようになっていた。

「鏡に写った自分。本当に自分なのかしらね?」

 と裕子が漠然と言ったが、

「そうね。あの世の人かも知れないわね」

 と、違和感もなく口にした綾子は、裕子と同じ発想の元、遠くを見る目をしていることを当然のように受け止めていた……。


                  (  完  )

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「あの世」と「寿命」考 森本 晃次 @kakku

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