第11話 「カリオス文明」の真実
「カリオス文明」のことを考えていたことが、天井が割れて、その向こうから自分の顔が覗いていたこと、そして、
――モノには、元に戻ろうとする習性がある――
という意識に繋がったことを、千鶴は感じていた。
「カリオス文明」にも、何か人工太陽のようなものがあり、それが文明が繁栄する力になっていたのだと千鶴は感じていた。
人工太陽には、神が宿っていて、そこには、創造神の存在が信じられていたように思える。
――モノには、必ずそれを作った神が存在していて、神の力を絶対だと思うあまり、信仰にも文明によって大きく違うのだろう――
と思うようになっていた。
天井が割れて、そこから覗いている顔には、千鶴は自分を想像していた。それは「カリオス文明」を想像したためだとすると、「カリオス文明」の人々にとって、人工太陽の創造神は、
――自分と同じ顔を持った神――
だということになる。
見方を変えると、
――人それぞれで、創造神は違うんだ――
ということに結びつく。それは人工太陽というだけではなく、他の創造神に対しても同じ考えではないだろうか。
千鶴は、そう感じていると、自分の前世が、「カリオス文明」だったのではないかと思うのだが、もう一つ違った考えもあった。それは、
――本当に前世なのだろうか? ひょっとして、後世なのかも知れない――
「カリオス文明」というのは、滅んだ文明の中の一つとして語り継がれてはいるが、実際には、ハッキリしたものではない。ひょっとすると、何千年か先の未来に、かつての文明が栄えたような時代がやってくるのかも知れない。
――世の中も堂々巡りを繰り返している――
と、思えないこともないからだ。
あまりにも想像が突飛なので、俄かには信じがたいが、後世のことを感じるのであれば、それは記憶ではなく、予知能力ということになる。
いや、自分の後世なので、予知能力というよりも、決まった運命を垣間見たということになる。
――タブーなのではないのか?
とも感じたが、今の自分の将来ではないので、タブーと言いきれるものではないと思う。しかも、前世だと普通なら感じることだ。千鶴は、
――後世であってもいいのではないか――
と、思いを巡らせただけである。
「カリオス文明」の人たちが、もう一人の自分の存在を知っていると千鶴は感じていたが、その時に感じるもう一人というのが、
――創造神なのかも知れない――
と、感じるのだとすれば、辻褄が合う。
もし、「カリオス文明」が後世の出来事であれば、今の千鶴は、後世で「カリオス文明」に生まれ落ちた自分から見れば、
――創造神――
として、前世を思い出すのかも知れない。
今の時代に限らず、「カリオス文明」で後世として生まれ落ちる人たちは、先生だと思って、もう一人の自分を意識しているのかも知れない。浩平ももう一人の自分を感じているようだったが、「カリオス文明」に限らず、どこか後世で、創造神として信じられているのではないだろうか?
千鶴の妄想は留まるところを知らなかった。
千鶴と浩平が、いつも十五分の違いを意識していたのを、お互いに分かっていた。
千鶴は、自分が浩平よりも十五分先を歩いていて、浩平は、千鶴の後の十五分後を歩いている。
時間にすれば、同じなのだが、距離としてはどうだろう? 男性と女性では歩くスピードが違っている。だが、十五分であれば、普通であれば、追いつくことはあり得ない。それは前を歩く千鶴が立ち止まらない限り、ありえないことなのだろうが、もし千鶴が立ち止まって、浩平を待っていたとすれば。浩平は千鶴に追いつけたのだろうか?
千鶴は、追いつかれると思っていたようだが、浩平は違っているようだ。
もし、千鶴が立ち止まってしまったら、浩平は千鶴の存在を意識することなく、そのまま追い越してしまうだろうと思っている。
浩平は、このことを前からウスウスは感じていたが、この間喫茶「アムール」で出会えなかったことで、確信したようだ。そのことが二人の間にどのような影響を及ぼすのかまではハッキリと分からなかったが、同じ道を歩いていて、会えなかったという過去を考えていると、今回のことも千鶴に対して言えるのではないかと思うようになっていた。
千鶴が、喫茶「アムール」で、
「友達の妹に会ってほしい」
と言った時も、いつもの千鶴ではないことを感じ、
――自分の知らない千鶴ではないか?
と、感じたが、すぐに打ち消した。
普段の千鶴ではないような気がしていたが、知らない相手だということが違っているのではないだろうか。
――千鶴に限らず、俺も千鶴に正対している時、もう一人に自分と時々入れ替わっているんだ――
と感じるようになっていたが、やはり確信したのは、その時だったのかも知れない。
しかし、もう一人の千鶴だと分かり、そのことを意識したとしても、決して普段の千鶴と違う相手だとして接してはいけないと浩平は思っていた。
――騙されついで――
というわけではないが、いくらもう一人の千鶴だといっても、千鶴に変わりはない。どんなに千鶴のことを知っているとしても、浩平は「他人」なのだ。千鶴のことを分かってあげていると思うことが必要だと思っている。
では、もう一人の浩平はどうであろうか?
もう一人の自分は、自分がもう一人いるという意識を持っていないような気がする。自分が、もう一人の自分の存在に気が付いた瞬間、それまで隠れていたかも知れないもう一人の自分が感じていた、
――もう一人の自分の存在――
という意識は消えてしまったように思う。
この意識はそれぞれで共有することはできないのだ。そうなると、もう一人の自分の存在を知っているのは、いわゆる
――もう一人の自分でしかないのだ――
ということになる。
光と影という表現で扱うならば、
――影が光の存在を知ることができるが、光は影の存在を意識することはできない。もし光が影の存在を知ってしまうことになると、光はその瞬間に影になり、影が光に「昇格」することになるのだ――
という考え方だった。
ただ、光と影というのは、考え方のたとえであって、二人の自分の間に上下関係はない。そのために、時々入れ替わっても、誰も意識することはない。何しろ自分が意識していないのだから、当然と言えば当然のことである。
浩平と千鶴の間では、考え方が特化している部分が存在するが、その考え方は、
――交わることのない平行線――
を描いているようである。
しかし、交わることのない平行線であるが、決して遠いところを描いているわけではない。
――限りなく距離が密接した平行線――
ではないかと、二人は感じていた。
ただ、千鶴も浩平も、時々その距離が果てしなく遠く感じることがある。千鶴は「カリオス文明」を感じている時で、浩平は、天井が割れた時を想像している時であった。天井が割れた発想はお互いの共有できる発想なのだが、そこには天と地ほどの距離が存在しているように思っている。その気持ちが強いのは浩平の方で、その理由は浩平が千鶴の中に、「カリオス文明」を意識しているという感覚がないからだった。
浩平が、子供の頃に連れて行かれた「西洋屋敷」と、そこにいたお嬢様の存在を、千鶴とはまったく関係ない人だという意識を持っている以上、交わることのない平行線は続いている。あの時の女の子との思い出は、浩平だけのものとして持っておきたいというのは、「男としての性」なのではないかと浩平は思っている。
本当は、千鶴が浩平を試す感覚を持っていて、そのような回りくどいやり方を浩平にしたのではないかという考えが浩平の中にあったが、それはもう一人の影の浩平が、
――絶対に表に出してはいけない気持ち――
と考えていることで、光の方の浩平には、知る由もないこととなっているのだ。
千鶴は、喫茶「アルプス」に行ったことがないと思っていたが、それは、いつも影の方の千鶴が行っていたからだ。
それなのに、この間は、光の方の千鶴が喫茶「アルプス」に行ったことで、
――初めてきたはずなのに、以前にも来たことがあるような気がする――
と感じることになった。
どうしてそういうことになったのかというと、浩平が喫茶「アルプス」に行ったことで、バランスが崩れてしまったのかも知れない。千鶴の光と影が入れ替わり、光の方の千鶴が喫茶「アルプス」に出かけて行って、影の方の千鶴が喫茶「アムール」にいる浩平の前に鎮座することになった。
今までにも影の千鶴が鎮座したことはあったのだが、それはあくまでも影としての千鶴であって、光と影の存在を意識させるものではない。
それなのに、今回は、
「友達の妹に会ってほしい」
などと、今までの千鶴とは明らかに違う態度を取ったのかも知れない。そのことはまだ浩平にも千鶴にも分かっていないが、どちらが先に気付くかということも重要であり、それが二人の運命を決めることになる。
二人ともそれぞれに、いろいろなことに気付き始めてはいた。だが、ハッキリとしたことはお互いに分かっていない。どちらかというと、二人が気付いているところに共通性はなく、二人を足して一つにまとまるといったところであろうか。
また、二人の運命について意識している人がいることを、二人は知らない。それは二人にとって大きな影響を与えた人なのだが、本人もそのことを意識していない。
小さい頃から二人を見続けていたその人は、千鶴に大きな影響を与えた人でもある。
千鶴が古代文明を意識するようになったのも、その人が千鶴に本を見せてあげたことが影響している。
浩平に対しては、光と影の存在を意識させた人でもあった。
二人はその人の存在をある程度忘れかけている。
――思い出してはいけない――
とお互いに感じていたのだ。
二人に大きな影響を与えた人の存在を、千鶴は浩平が、浩平は千鶴が知っているということをずっと知らなかった。今でも知らないと思っている。
浩平にとって千鶴はどんな存在なのだろう?
幼馴染というだけのような印象で、妹のように思っていたが、年齢を重ねるごとに、妹のように思えなくなった。
――妹だったら、結婚できないよな――
それは、浩平が千鶴を「女」として意識し始め、結婚を考え始めた証拠である。
以前、千鶴からもらった本があった。それまで千鶴から本をもらうなどなかったことだったのに、その時は意識していなかった。まだ、異性に興味を持ち始める前の中学二年生の頃のことだったからである。その本の内容としては、二人きりの兄妹が主人公で、兄が妹を大切にしているところから始まった。
妹は、兄を慕っていたが、次第に兄を男として意識し始める。兄は、妹に対して女として意識していない雰囲気を前半は醸し出していたが、どうやら、それは、
――自分を殺してでも、妹を守る――
という兄としての気持ちの強さが、恋心を抑えていたのだ。
しかし、さすがに限界がある。
最初は女性の方の成長が早いことで、兄を慕う妹が意識し始めるが、それがオーラとなって、兄を責めつける。
女性のフェロモンは、妹から感じてはいけないという意識が強すぎて、次第に、兄は男としての機能がマヒしてくるのだった。
妹はそんなことを知らない。しかも、兄が自分に対して恋心を抱くはずもないと思っているから、安心して兄のそばにいることができたのだ。
兄として妹を見ることの辛さがどんなものなのか、本当の妹がいない浩平には分からなかったが、なぜ千鶴はそんな本を読んでいて、しかも、浩平にくれたのか、その時に分かるはずがない。
「これ、お母さんが読むように勧めてくれたの。そして、読み終わったら、浩平にも読ませればいいって。どういうことなのかしらね?」
と、千鶴は自分も訳が分からずに読んだことを話してくれた。
「それにしても、どうしてお母さんがこんな本を私にくれたのか、よく分からないの。しかも、浩平にも読めなんてね。どういうつもりなのかしらね」
と、千鶴は意識していないかのように話していたが、浩平には、何とも言い知れぬ思いがあった。
浩平も不安には感じていたが、その不安が一体どこから出てくるのか分からなかったが、千鶴が何も不安を感じなかったというのが、却って不思議だった。
浩平には、自分が千鶴を妹のように思っているだけだったのに、恋心など何も湧いてきていなかったその時期に、母親としても、何もこんな本を読ませなくてもよさそうなものだ。
千鶴は、その頃ちょうど、あまり余計なことを考えない時期だった。千鶴にしては珍しい時期で、そんな時期があったということすら、誰も忘れていた頃のことだった。浩平は、その本のことを思い出すたびに、千鶴にそんな時期があったことを思い出させるものだった。
本の内容は、それからしばらく忘れていた。
男性が不能になってしまったというところまで読んでから、確か途中で読むのを止めてしまった。
――こんなにえげつない小説、まともに読めないや――
と思ったのだ。
中学生なら、これくらいの内容の小説を、興味を持って読むとすれば、ただの興味本位の気持ちで読むことになるだろう。真面目に読んでいては、成長期の頭には刺激が強すぎる。
千鶴は、余計なことを考えながら読んでいたように思う。
――読むように勧めてくれたのが、お母さんだということ。話の内容にどこか引っかかるところがあること、そして、自分のまわりで気になることと小説に接点があること――
などが、千鶴の中で、意識の中で交錯していたのだ。
千鶴の父親と母親は、千鶴が小学生の頃までは、仲睦まじい関係だった。それが少し喧嘩が多くなかったかと思うと、
「ちょっといい?」
と、千鶴を自分の部屋に呼んで、深刻そうな顔をしていたのだ。
「今まで話したことなかったんだけど、私と浩平君のお母さんとは姉妹同士だったの。浩平君のお母さんが、私のお姉さんになるのね」
「どうして、今まで話してくれなかったの?」
「あなたが浩平君と幼馴染としてずっと仲良くしているのを見ていると、言いづらくてね」
と言っていたが、何が言いづらいことなのあるというのだろう?
それよりも、中学に入って少し経った中途半端な時に話してくれたというのは、どうしてなのだろう? それも不思議な感覚だった。
本を勧めてくれたのも、ちょうどその頃だったような気がする。
もう一人の自分を意識し始めたのも、その頃だった。元々、意識していなかったわけではないが、漠然としたものであって、母親のくれた本を読んだ頃あたりから、もう一人の自分の存在を確信し始めたのだ。
――もう一人の自分は、浩平を好きなんだ――
と思うようになっていた。千鶴は、もう一人の自分に負けたくないという思いもあれば、もう一人の自分に、どうしても遠慮してしまうところもあった。
もう一人の自分に遠慮するのは、まるで自分に姉ができたような意識があったからだ。姉が浩平を好きだというのであれば、遠慮しなければいけないという思いの中で、
――姉には負けたくない――
という思いが溢れてくる。
逆に、姉に負けたくないという思いの中に、姉に対しての遠慮があったなら、それは遠慮が強くなってくることだろう。
その思いはその時の精神状態で、絶えず変わっていた。特に中学時代などは、精神的に落ち着いていない時期だと思っていたが、ひょっとすると、この思いが強かったからなのかも知れない。
時々、自分でも考えられないようなことを考えていたり、実際にしてみたりしていた。普段なら絶対にしないようなことでも平気でできる自分が信じられないと思うほどのことである。
浩平以外の男性を意識するなどありえないと思っていたにも関わらず、自分から男性がほしくなる時間帯があったりしたものだ。
――夕凪の時間になると、無性に寂しい思いに陥った――
という感覚があるが、それが夕凪という、実に短い時間なので、あっという間のことでもあり、意識したはずのことを、
――おかしな気分になった時間帯があった――
としてしか記憶に残っていないものだ。
ただその時間帯に、もう一人の自分が出てきているとすれば、おかしな気分として、納得させようとしているのかも知れない。
「カリオス文明」という時代にいた自分を思い出していた。
「カリオス文明」では、今の世の中でタブーとなっていることが、平然と行われていた。一番千鶴を驚かせたのは、「一夫多妻制」であった。
男性は女性を何人でも妻にできる。ただし、養っていけなければ、同じことなのだが、養っていけるのであれば、一夫多妻が許される。
ただ、逆もありだった。一人の妻に対して、夫が数人いることもありえるのだ。
当時の文明国家というものは、絶えず、近隣国との戦争が絶えなかった。男は戦争に駆り出される。それだけ、
――誰かを守りたい――
という思いを強く持たなければ、死んでも死に切れないというべきであろう。
そこで、一夫多妻制を採用したのだろうが、実際に戦争で死んでいくのは男である。男ばかりが少なくなると、男女の比率は女の方が強くなる。ある意味では、当時の男は、
――勇ましく戦って死ぬ――
というよりも、
――何とか生き残って、ハーレムを味わう――
という方が、幸せだと思われていた。
実際に、戦争に出ても、姑息に逃げ回って生き残った男も少なくなかった。生きて帰って、妻を何人ももらって、ハーレムを味わおうとする。
しかし、そううまくいかないのは世の中だ。
女は男に対して貪欲になり、欲望だけを男に求めてしまう。そこに優しい感情などまったく残っていない。モラルも何も存在しない。
好きな相手であれば、兄妹だろうが貪り合う。まったく無法地帯もいいところだ。
千鶴は、そんな世界の中で、自分はお姫様として君臨している。
――私だけが、この世界でもモラルの象徴なんだわ――
と、得意げになっていた。
しかし、そんな中で、もう一人の自分の存在に気が付く。もう一人の自分は、まわりの下々の人たちと同じで、下品でモラルの欠片もない人だと思うようになっていた。
もう一人の自分は、自分が愛している男を誘惑しに掛かった。
自分が愛している男は、相手も愛していると言ってくれる、千鶴が唯一信じられる男だったのだ。
しかし、彼はもう一人の自分の誘惑にコロッと引っかかった。
「君がこんなに開放的な女だとは思わなかったよ。これで俺も今までかぶっていた殻を取ることができる」
と、喜々とした顔で、もう一人の千鶴に話している。
――裏切られた――
千鶴は、唯一信じていた相手に裏切られたショックで、そこから先の自分の記憶がない。そのことに気付いたのは今の千鶴で、「カリオス文明」の本を喫茶店で見たのが最初だった。
――まるで私に見せようとしているようだわ。でも、今さらこの時代の今になって、「カリオス文明」を思い出させるというのは、何の因果なのかしら?
と思ったのだ。
それが母親がくれた本で結びついた気がした。
「あなたは、モラルも何もない人から生まれたのよ。これから先もあなたは、モラルを守ろうとしても、モラルに裏切られる運命なのよ」
と言われているようで怖かった。
「カリオス文明」が滅んだのも、このあたりに原因があるのかも知れない。
男は戦争に行っても勇ましく戦うことはない。しかも帰国しても、女は貪欲で、モラルの欠片もない世界に帰ってくることになる。
愛情意識などなくなってしまい、相手が誰でも欲望を求めてしまう。そんな世界が長続きするわけもなく、滅亡は目に見えていたのかも知れない。
現代に残っているのは、「カリオス文明」の繁栄していた時代の史実だけだ。
――まるで滅亡寸前に、汚い部分の証拠は、誰かによって隠滅されたようだわ――
と感じた。
そこに、何かの力が働いているのだろうが、文明の荒廃というのは、そういうものなのではないだろうか。
千鶴は、浩平のことを好きになっていいのかと、悩んだこともあったが、すぐに打ち消した。好きになることへの疑問など、ありえないと思ったからだ。人を好きになったら、気持ちに正直になることしか考えられない。それは浩平も同じではないだろうか。
千鶴は、浩平との楽しかった時期を思い出そうとしていたが、どうにもうまく思い出せない。それよりも、母親からもらった本を読んだ時に、その時から浩平の態度が変わったのを感じていた。
その時に、浩平の中に「もう一人の浩平」を初めて感じた。それまでには感じたことのない自分の想定外の浩平を感じた千鶴は、明らかに戸惑いがあった。その戸惑いがどこから来るものなのか、さっぱり分からなかったが、浩平の中から、モラルが感じられなくなったのだ。
今まで浩平に感じていたモラルは、千鶴と一緒にいて違和感がないことだった。違和感を感じると、そのまま距離を感じるようになり、その距離というのが、遠近感の距離なのか、時間的な距離なのか、考えるようになった。
その時に感じた浩平との距離は、「時間」だった。その時間がどれほどのものかは分からなかったが、待ち合わせをして、千鶴が待たされる時間に比例しているように思えてならなかったのだ。
千鶴は、浩平よりも先に来ていないといけなかった。もし、浩平が自分より先に待ちあわせに来ていれば、自分と出会うことはなかっただろう。なぜなら、千鶴が待ち合わせ場所に行った時には、すでに浩平がそこにいない予感があったからだ。
――もう一人の自分が、浩平を連れていってしまう。だから、私は浩平よりも後に待ち合わせ場所に行ってはいけないんだ――
と、感じた。
幸い、今までもう一人の自分が浩平の前に現れることはなかったようなので問題なかったのだが、どうも最近、浩平の前にもう一人の自分が現れているようだ。ただ、もう一人の自分が、友達のお姉さんに会ってほしいと言った理由が分からなかったが、今思えば、その気持ちが分かる気がする。
――もう一人の千鶴が、友達のお姉さんとして紹介する相手は、この私なんじゃないかしら?
と感じた。
もう一人の千鶴が浩平の前に現れれば、自分が現れることはできない。同じ自分が同じ相手に、同じ時間存在することができないからだ。
しかし、もう一人の自分が表に出てきていると、もう一人の自分は、本当の自分を「別の人」として、同じ次元で存在することができるのかも知れない。そう思うと、もう一人の自分が、本人に成り代わって、表に出たいという感情があらわになってくるのであろう。
――どうして今になって?
千鶴はどうしてこの時期なのか、よく分からなかった。
千鶴の心境に大きな変化があったというわけではない。何かに焦っているわけでもなければ、急に浩平を強く意識し始めたというわけでもない。
ただ、気持ちは浩平にしか向いていない。極端に狭い視野になっていることは間違いないのだが、それだけでは、説明できないところがありすぎる。
千鶴は、喫茶「アルプス」と、喫茶「アムール」でそれぞれ存在している自分のことをウスウス感じていた。
千鶴は、母親からもらった本を思い出していた。確かあの話も、途中まで極端に狭い範囲での話に終始していて、気が付けば時間が流れていて、一人だけ取り残されてしまったという内容だった。
――私も、時間から取り残されてしまったのだろうか?
そう思って、最近のことを考えていたが、やはり、思いを巡らせてよみがえってくるのは、浩平のことばかりであった。
千鶴は、「カリオス文明」が過去ではなく未来のことのように思えてきた。それは遺跡や文献として残っている「カリオス文明」ではなく、千鶴の意識の中にある「カリオス文明」のことである。
千鶴は、その日、いろいろなことを考えながら家路についていた。
浩平が考えていることを勝手に想像もしていた。実際の浩平がどういうつもりなのか、本当は何も知らないのかも知れない。
ただ、極端に視野を狭めることで、浩平に限りなく近づいた気がした。だが、どうしても触れることのできない感情があった。そこに、「血の繋がり」を感じたのは、やはり限りなく近くまで接近したからに違いない。
――浩平が私のお兄さん?
そう思いながら帰宅すると、家では喧騒とした雰囲気になっていた。
父親が慌てていて、顔面が蒼白になっている。
――こんなお父さんを見るのは久しぶりだわ――
と、思ったほどだ。
「どうしたの?」
と聞くと、
「お母さんが、交通事故に遭って、亡くなった」
そこまで言うと、父は口をつぐんでしまった。それ以上の言葉を期待するのは無駄であろうし、聞きたくもない気がした。
――これだったんだ――
ここ数日、浩平のことや、もう一人の自分のことを狭い視野の中で考えていたが、もう一人の自分が表に現れたのは、母の死の予感があったからなのかも知れない。
今までは母の力でもう一人の自分が表に出てこなかった。いや、母の力ではなく、存在感と言えばいいだろう。
「お母さんは、すべてを知っていたのかも知れない」
そう思うと、母の話を思い出した。
「私の人生も、お母さん、つまり、あなたのおばあちゃんが亡くなった時に変わった気がしたの。それまで狭い範囲でしか見えていなかった自分が解放された気がしたの。すぐには分からなかったけど、解放されたというよりも、最初は、運命が決まってしまったような気がしたのよ。あなたにもそういう時が来るかも知れないわね」
と、言って笑っていたが、それがまさしく今だというのだろうか?
未来を創造した「カリオス文明」。それは千鶴と浩平の運命を示唆するものなのかも知れない。天井が割れて、そこから覗いているもう一人の自分、そして、
――すべてのモノは、元に戻ろうとする習性がある――
という堂々巡りの発想。
それらは、「カリオス文明」に、限りなく結びついているように思えてならない。だが、千鶴と浩平が本当は兄妹なのかどうかは、きっと千鶴が死ぬまで分からない気がしていた。
そう、分かるとすれば、自分たちの子供だからである……。
( 完 )
時間差の文明 森本 晃次 @kakku
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