第117話 残夏の夢〈1〉
人は得てして手の届かないものを欲する。
永遠の命が欲しい。死んでしまった人を生き返らせたい。愛する人を生き長らえさせたい。
そんな願望が募って、どの世界でも様々な試みが行われた。白魔術、黒魔術、錬金術、神仙術、精霊術。その世界の理でできるあらゆる手段を尽くして。その知識と記憶は蓄積され、命を喰む禍罪と世界の澱がとある世界に現象化する。
それらに対する畏怖があるにもかかわらず、人は禁忌を求めてやまない。世界の澱の命を捕食する性質に着目した者たちは手法を変え、ありとあらゆる方法を試した。けれど、どの実験もことごとく失敗した。世界の澱は負の記憶から生まれたものであるから、命を捕食したとしてもまともな生命が生まれなかったのだ。
そうして実験は秘匿とされた。そんな中で生まれた澱みがあった。
それは正しく澱みだった。意思も人の形も取らない、ただの汚泥。しかし、そこに強烈に残っている記憶と願いがあった。
願わくば、もう一度生きて会いたい。
実験者の狂気とも言える祈り。その願いに引き寄せられて、もう一つの祈りが重なる。
生きていてほしい。生まれてほしい。
理解し難いと思った。皆等しく死ぬ。それにもかかわらず自然の摂理に反して生きていてほしいと人は願うのだ。理解できないまま、祈りという名の記憶が重なって澱みは形を成す。
生まれる前に海へ還ってきた、一つの命を糧として。
目を開けた先に広がったのは小さな公園だった。
何処かの世界に現象化したのは分かるが、周りを確認するまでの気力はない。自身の体をなんとなく見渡すと幼子の形を取っていたことが分かった。行く当てもなく、そこでぼんやりと過ごしていた頃だった。
「誰?」
唐突に声が聞こえてきてびくりと体が跳ねる。問いかけてきたのは鳶色の髪の少年。この体と同じぐらいの歳だろうか。驚いて何も答えないままでいると少年は快活に笑った。
「俺は和真。よろしく! 君は?」
問われているのは恐らく名前。物や人物に与えられた言葉だ。生まれる前に死んでしまった子の名前はなんだっただろう。少し間を置いて思い出す。確かレイと名付けようと話していた。そんな記憶が残っている。
「え、えっと。……零……?」
何もない。人でもない。空っぽの澱。だから零と名乗った。
「零? カッコいい名前だね」
それでも彼はいい名前だと笑いながら言った。それが空っぽの澱を埋めていく。
彼は不思議と自分を認識できていた。彼の特性に気がついたのは近場にあった社に足を運んだ時だった。社で出会った人は自分を認識できなかったのだ。記憶の海に纏わるものを認識できるかは個人差がある。彼は海と縁があり、幼い故に繋がりやすいのだろう。そして、社を見て納得したのをよく覚えている。
社。それは人の祈りが集う場所。きっと自分はここに惹かれて落ちてきたのだと思った。
彼とはあまり会えなかった。それでも会う時は嬉しそうに笑ってくれて、お菓子を持ってきてくれた。その日は境内の石垣に座った途端にお菓子の包みを渡された。
「はい、これあげる。ねぇ、零はどっちが好き? 外で遊ぶのと中で遊ぶの」
「え、ど、どっちだろう……。分からない」
少年はそうと残念そうな表情をする。なぜと問うと少年はこう返した。
「せっかくなら零と一緒に、みんなと遊びたいなあって」
そうは言ったものの、無理強いはしないらしい。二人で会って話すか少し社を離れるぐらいだ。感情に引き摺られやすいため、人目の多い場所への誘いはやんわりと避ける。快活に笑う少年は少し眩しかったけれど、決して心地が悪いわけではなかった。
彼と接する度に黒い虚が白に埋められていく気がした。本来はできないはずなのに手を引かれ、自宅に赴かれた時には彼以外の人に認知されるぐらいになっていた。恐らく、こちらの世界に自身が染まってきていたのだろう。
「またいらっしゃい」
彼の家を去る時、女性はそう言って頭を撫でた。太陽のような朗らかな笑顔。少年が彼女のことを好きだと言っていたが、それを見て意味が分かったような気がした。
そんな変化がきっと勘違いを引き起こしたのだと思う。自分がまるで人としてここにいるかのような錯覚。そして、ここにいてもいいのだという思い違い。
ある日のことだ。少年が引き連れてきた人を見てぞわりと粟立った。
「友達?」
「そう!」
悪意に満ちた存在だと直感的に理解する。自分と同じだからこそ顕著に分かった。しかし、思うように体が動かない。暖かな感情が侵食されて、蓋をしていた記憶が表に出てくるのを感じた。それに呼応するように男の悪意は肥大していく。自分があれを引き寄せてしまったのだと察した。その時になってようやく思い知る。
ここにいるべきではなかったのだと。自分は紛れもなく負の記憶と感情から生み落とされた者だと。
「零——」
何かが押しかかってきて地面に倒される。ぬるりとした温かい感触がしたのも束の間、体にあった重みが不意に離れた。男は少年を地面に放り投げて、何かを言いながらナイフを天に掲げる。
白が黒に塗りつぶされる。
「ダメだ」
きっと一度、海を渡ればここに戻れなくなる。それでも体は自然と動いていた。男の体に腕を回して引き寄せる。人ではあり得ない力は大人でも振り解けない。一心不乱に少年と男を記憶の海の波に引き摺り込んだ。
海に沈む。深く深く。藍墨色の世界まで。
引き摺り込んだ男の記憶もまた海の澱になった。男を深海にまで呼び込んだことで、自分が自分ではないような違和感に苛まれる。重怠い体を引き摺りながら、共に海に落ちた少年の姿を探した。そうして深海で見つけた少年は赤黒く染まっていた。
「和真」
それが何を意味するのかは分かっていた。そういった記憶はごまんと蓄積されていたのだ。血塗れた彼を目の当たりにして、失ってしまうのだとようやくそこで察した。
ああ、だから彼らは祈ったのだ。
生きていて欲しい。もう一度会いたい。届かないとしても祈るしかなかった。できるかも分からない方法を模索した。今なら痛いほどにその気持ちが理解できる。
「嫌だ。死なないで」
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