第115話 塞ぐ耳〈3〉

 そんな出会いから透と茉白の交流は始まった。その輪に半ば強制的に加えさせられて高校時代は終わり、大学へ進学するために上京する。近くなったから嬉しいと友達感覚で話す透と茉白を見て、付き合うには先が長そうだなと感じた。


 大学は気が楽だった。祖父母から離れて知っている人もいない。バイトも自由にできて好きに過ごせる。ただ、思ったよりも人——女子に声をかけられるのは面倒だったが。それでも、人脈はどこから生まれるか分からないので、高校時代とは違ってそれなりには付き合うようにした。調子を合わせていれば、大きな面倒ごとに巻き込まれなかったこともある。身なりを派手にしたのも、結局のところ色眼鏡で見られるばかりなので作ってしまえと思ったからだ。


 大学から離れたカフェに呼び出されて顔を合わせた瞬間、透が眉間に皺を寄せた。毎度のことだが、こちらとしては飽きた反応である。


「楽。今回の髪の色、派手過ぎじゃない?」

「お前は俺の親戚か」

「いいね、親戚。それならもっと小言を言ってもいいよね?」


 透の斜め上の回答を聞いてげんなりする。それでも丸め込まれるつもりはないので、意趣返しとばかりに痛いところを衝いた。


「それなら透はいつになったら茉白に告白するんだ? もうそれなりに経っていると思うんだけど」


「う、それは……そうなんだけど……」


 押しつけられた問いに透は珍しく押し黙ってしまった。二人の仲は悪いどころか、付き合っていると周りから見られるぐらいだったので意外な反応だった。進展しないのは二人自身の問題ではないのだと察する。


「……楽には話してなかったんだけどさ。実は初めて会った時のコンサート、茉白のお父さんが演奏者で出ていたから見に来てたんだって。そういう話をすると周りの人から一歩引かれちゃうから、あんまり話さないで欲しいって茉白からは言われてたんだけど」


 話を聞いて納得する。彼が踏み出せないのは、茉白や彼女の家族と不釣り合いではないかと思っているからなのだ。

 確かにただの一般市民からしたら、音楽一家というのは縁遠くて壁を感じてしまう。ふと思い立ったように透が口を開いた。


「ああ、そういえば楽はクラシック音楽が好きだから、もしかしたら知ってるかもしれない。名義は——」


 名義を聞いてぞくりと嫌な感覚がした。自然と頭に流れるぐらいに耳慣れた旋律。母親が好んで聞いていた音楽とその人の名前。言い知れぬ不安が一気に押し寄せてくる。


「本名は?」

「え、茉白のお父さんの名前?」


 質問が予想外だといった様子だったが、透は彼女の父親の名前を教えてくれた。その名前を忘れないようにしながら、必要な書類を調べて揃える。

 取り寄せるのは個人の身分事項が記載された書類。送付してから一週間ほど経って目的の書類は届いた。他に誰一人いない部屋で封を開ける。そこに教えられた名前が記載されていないことを願って。


 書類を見てすぐさま握り潰す。言いようのない感情が湧いて出てくるが、何処にもぶつけることもできない。


 それからは茉白と距離を取り、大学が忙しいのだと言い訳をして連絡もあまり取らなくなった。透ともやりとりを極力少なくして、二人と疎遠になっていくと感情が次第に落ち着いていった。それでも透はいつも気にかけては連絡を取ってきた。ただ、何があったのかは察したようで、極力茉白の名前は出さないでいてくれた。


 その頃はまさに惰性で生きていたように思う。流れてくる情報を眺め、適当に大学の単位を取るだけの日々。自室の机に足を伸ばして、携帯で適当に情報を眺めていた時だった。


 夏を過ぎても心霊スポット関連は話題に上がるものらしい。ただよく見ると、それは心霊スポットで待ち伏せされ、人が襲われたという情報だった。続くコメントも様々なものが並んでいた。


『それ本当の情報? 本当だったらヤバくない?』

『幽霊なんかよりも人間の方が怖いって。怖すぎ笑』

『人気のない場所で狙うのマジでやばい。襲われても助けてもらえないじゃん』

『女性は特に注意。こういうの誘われても行かない。ただでさえ夜危ないんだから』


 暴行を受けた上に金品を取られる。有名すぎず寂れてもいない心霊スポットでそんな事件が起こっているらしい。女性はもっと酷い目に遭うと書き込まれていて顔を顰めた。自身も褒められた人間性ではないが、ここまで性根は腐っていないと思う。嫌な情報を見たなと思い、携帯の画面を伏せた。


 そんな情報に触れてから数週間後、不意に透と連絡を取ろうと思った。彼らがどうしているか急に不安になったのだ。それは虫の知らせだったのかもしれない。電話が無事に繋がり、嫌になるほど透に説教されてから本題に入った。


「茉白はどうしている?」


『茉白は元気だよ。でも、どこかの誰かさんがまったく連絡取ってくれないから、すごく落ち込んでたけどね。いきなりばっさり関係切ろうとするしさ』


 透の容赦ない口撃に言葉を詰まらせる。それでも、彼女が変わりなく過ごしているならいいとも思った。


『まあ、僕たちといることが多かったから、茉白にはいい刺激になったかもしれないけど』


「……なんだそれ」


『最近、茉白も色々な人と付き合うようになってさ。交友関係が広がったからよかったなって。今日も誘われて出かけてるんだよ』


 嬉しそうに話す透に対して呑気すぎないかと苦情を言いたくなった。茉白の容姿は人の目を惹く。両片思いといえど、茉白を狙っている男が多いことは目に見えて分かっているというのに。ただ、その考えは秒で改めた。きっと二人とも分かっていない。


 そこで今更ながらに時計に目を移した。出かけていると言っていたが、もう二十一時を過ぎている。大学生なのだからそれぐらいは普通だと思うが、時計を見た途端に嫌な予感に苛まれた。


「透。茉白は何処に出かけているんだ?」


 何の気なしに返された答えに全身が総毛立った。一瞬にして様々な思考が駆け巡る。

 何も起きるはずがない。何か起こると事を荒立てて何もなかったら笑い種になるだけだ。けれど、本当に何かあった時はどうなる。事件性がなければ警察は呼べない。もとより、彼女とはただの他人だ。どうなろうと関係なんて——。


『楽?』


 異変を察したらしい透が戸惑った声で問いかけてきた。咄嗟に言葉が口を衝いて出ていた。


「人を集めてそこに行けないか? できれば大柄な男とかがいいんだけど。これも見ておけ」


 立ち上げていたパソコンから以前見たスレッドのリンクを送る。茉白が友人たちと出かけているところは、有名すぎず寂れてもいない都内の心霊スポット、狙われるのではと書き込みがあった場所の一つだ。


「先に行く」

『待って——!』


 透の返事も聞かずに電話を切る。バイクに乗って目的地へと向かった。

 夜の山はより暗く陰鬱だ。情報元では奥にトンネルがあるらしい。透によるとそこを目的地として皆で歩くという話だった。山道を歩いていくと男女の二人組を見つけた。声をかけて立ち止まらせ、茉白のことを知っているか問いただす。

 どうやら彼女は一番先の組み合わせらしい。彼らには事件の話を聞かせて先にこの場を離れるように促した。もう一組同じように声をかけ、心霊スポットが見えかけたところで茉白の組み合わせを捕まえた。


「楽君️⁉︎」

「だ、誰だよお前?」


 茉白といた男が割って入ってきて、容赦なく睨み付ける。


「いいから今すぐ戻れ。お前もだ」


 男は気圧されたがすぐに立て直した。意外にも譲りそうにない男に舌打ちをし、茉白の腕を取る。


「ま、待って!︎」

「お前、どういう——」


 その時、鈍い音と共に付き添っていた男の声が途切れた。すぐさま茉白を押しやり、距離を離す。


 すかさず自分に向けられた拳を躱し、屈み込んでから下顎に掌底を見舞う。顎を強打された男は瞬く間に昏倒した。立て続けに何かが振るわれて咄嗟に避ける。もう一度、相手が振りかぶろうとしたところで股を狙い、頭が下がったところで側頭部を狙って蹴りを見舞った。大柄な男が倒れ、静寂が辺りを包む。殴られた男の肩を支える茉白の顔は蒼白だった。


「これで分かっただろ。さっさと行け」


 茉白は頷き、男を支えながら来た道を戻っていく。その後ろ姿を見送り、襲ってきた者たちを拘束しようとしたところで何も持ってきていないことに気がついた。 頭を回していたつもりだったのだが、まったくそんなことはなかったらしい。これなら一緒に戻ってもよかったなと思った時だった。


 後頭部に強い衝撃が走り、地面に倒れ込む。頭が眩む中、無造作に髪を掴まれた。


「せっかくいいところまで来てたのに。やってらんねえ」


 もう一人いたのか、と朦朧とする頭で認識した。今日の自分の詰めの甘さに辟易してしまう。放り投げられたところで腹を盛大に蹴られた。苛立ちが乗せられた蹴りが幾度となく体と頭を襲い、意識が遠のく。



 もういっそのこと、目なんて覚めなければいいと思った。


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