第114話 塞ぐ耳〈2〉

 * * *


「……く。——がーく!」


 呼ばれていることに気がついて、耳にしていたワイヤレスイヤホンを外す。パソコンから視線を外して後ろを向くと、友人である十和田透が立っていた。


「もー。またイヤホンしてる。そんなんだから先生とかから睨まれるんだよ」

「睨まれるぐらいなら、別にどうでもいいけど」


 自身の発言に透は呆れ返ったような表情をする。彼は隙を狙ってイヤホンに手を伸ばすが、取り上げられる前にするりと躱した。透は不服そうにしていたが、やがて諦めたようで嘆息しながら隣の席に着く。


 事故で母親が亡くなり、母方の祖父母に引き取られて数年経つ。田舎というものは世間話が好きなもので、人の家庭事情も筒抜けだった。悪い話ならより顕著だ。そういったことから絶えず色眼鏡で見られ、絡まれるのにも慣れてしまっていた。

 それにもかかわらず自分を構ってくるのが透だった。上級生に絡まれては喧嘩をし、皆に一歩引かれるような人間に構ってくる奴などいないと思っていたのだが、世の中とは数奇なものである。


 きっかけは図書室でプログラミングの本を読んでいる姿を見られたこと。それから情報科学部に入らないかと熱烈に声をかけられたのだ。面倒臭さはあったが、パソコンを自由に使えることが魅力的で今に至る。祖父母は生活を保証してくれたが、それ以上の介入はしなかった。母親が残してくれたものはいくらかあったものの、バイトもさせてもらえないとなると選択肢がなかったのだ。


「それで進捗はどう?」

「連絡した通り」

「……今日は一段と冷たくない?」


 今は高校生向けのコンテスト用に透の発案のアプリを作っているところだ。規模の小さいコンテストではあるが入賞するぐらいになっていた。透は冷たいと言うが、いつも通りなので素っ気なく返す。


「別にいつも通りだろ」


 プログラミングは好きだった。構成を組み立てて意図した通りに動作するようコードを打つ。エラーが出ればこちらがミスしたと分かるし、直せば意図した通りに動く。他人が作ったものに手を加えていくと修正困難なほど複雑になるが、一言に対してまったく意図しない言葉が返ってくる人よりもいっそいい。


 けれど、透は違った。皆が楽しめるようなものを作りたい。役に立つものを作りたい。どちらかというと企画側の方が興味が強いようで、将来はそちらの方面の仕事をしたいと話していた。職にあぶれることもなさそうだから、という理由で学ぼうと思った自分とは正反対である。だからこそ、彼が自分に構ってくることが不思議でならなかった。だから、呆れて尋ねたことがある。

 なんでそんなに構うんだと。その返答はこうだ。


「話さないと分からないままだからだよ」


 やっぱり理解し難い言葉が返ってきて、なんとも言えずに沈黙したのを覚えている。こんな悪評だらけの人間と関わりたいということがそもそも理解できなかった。

 それでも彼といたのは、他の人よりも面倒が少なかったからなのだと思う。彼と関わってから日常生活が以前より落ち着いたのも要因かもしれない。



「そうそう。それでさ、この間の入賞祝いに一つ付き合ってくれると嬉しいんだけど」

「は?」


 何の脈絡もなく始まった話についていけず、思わず不機嫌な声が出た。透は意に介さず、携帯電話の画面を見せてきた。


「音楽のコンサート行かない? 狙ってたチケットが当選したんだよ。あ、もちろん僕持ちで。要望にいろいろ応えて改修してくれたから、そのお礼にさ」


 相手に相談する前にチケットを取る奴がいるかと思いつつも、画面を覗き込む。透のマイペースさは今に始まったことではないのだ。彼は穏やかに笑う。


「メディアにはあまり出ない人で知名度はそんなに高くないかもしれないけど。すごく生の歌が綺麗で楽も気に入ると思うんだ。国内よりも海外ですごく人気があるんだよ。演奏も一流の人たちだし」 


「歌ねぇ」


 クラシック音楽を聴くことが多いのでいわゆる流行の歌と縁がないのだが、海外で評価されていると聞くと興味をそそられる。興味を持ったことが伝わったのか、透が両手を合わせて念を押してきた。


「一生のお願いだからさ」

「……こんなところで一生のお願い使わなくていいから。行けばいいんだろ?」


 返事を聞くと彼はとても嬉しそうに笑った。コンサートに行くのなら気になる女子でも誘えばいいのにと思いつつ、今回は彼なりの礼だと思って受け取ることにした。


 そうして数週間後、二人で目的のコンサート会場に足を運ぶ。会場は小さなオペラハウスで、奥にはパイプオルガンも設えられていた。いわゆる普通のコンサートとは違うのだなと改めて感じる。客の年齢層もどちらかと言えば少し上のようだ。指定の席を探し、番号を確認しながら歩いて行く。近づいてきたところで、透が携帯画面を眺めながらうろうろとし始めた。


「何してるんだ?」

「いや、席ここだと思うんだけど……」


 困り切った透が指し示した先には女性が座っていた。透の携帯電話の画面に並ぶ座席番号と女性の椅子に記されている文字を見比べて、代わりに声をかける。


「すみません。ここ、こっちの席みたいなんですけど」

「え、あ、すみません」


 女性は慌てて自身の携帯電話を確認し、気恥ずかしそうに立ち上がった。緩やかに波打つ亜麻色の髪が揺れる。振り返った女性の顔はまだ幼さが残るものの、目に留まる顔立ちだった。歳は自分たちと同じぐらいか下かもしれない。


「間違えていました。すみません……」

「い、いえ、大丈夫です」


 透が慌てて返す。もう何やっているのと、女性は友人らしき人に笑われていた。気を利かせた友人は女性が座るはずの場所に移動する。女性の隣に座ることとなった透は律儀に挨拶をした。


「こんにちは」

「こ、こんにちは。本当にすみません……」


 恥ずかしいと言ったように頬に朱を注いでいたが、透と話すうちに落ち着いてきたらしい。好きなアーティストのコンサートということで馬が合うらしく、いつの間にか自然と打ち解けていた。前から感じていたが、こういうところは本当にすごいなと思う。女性がころころと表情を変えるのが印象的だった。


 そうして始まったコンサートは圧巻だった。白で主に飾り付けられた舞台はライトによって色鮮やかに色を変える。ぶれることのない歌声は会場に飲まれることなく、演奏によっていっそう存在感を放っていた。演奏も淀みなく、力強さをもって歌声を支える。心震わせるものとはこういうものなのだと不意に思ったほどだ。

 終了の余韻に浸り、出入り口に近づいてきたところで透が高揚したまま声をかけてきた。


「どうだった?」

「いやまあ。……すごかった」

「そう、それならよかった!」


 透はにこにこと嬉しそうに笑う。まあこういうのもたまには悪くないかと思っていると、隣に座っていた女性たちが視界に入った。会釈をしてきて透がそれに応える。二人が会場を後をするのを見届けてから、反芻するように透は微笑んだ。


「面白い子だったなぁ。思わず連絡先交換しちゃった」

「は? 連絡先交換したの?」


 まるでナンパじゃないかと思って半身ほど後退ると、彼は慌てて弁明した。


「ち、違うよ。純粋に音楽とか好きなものが同じで……」

「はいはい。そういうことにしておく」


 透の言葉を雑に流して会場を後にする。弁明しながら追いかけてくる姿がいつもと違って、少しだけ面白かった。

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