第111話 君に告ぐ 〈2〉

 拓海も桃香も鎮痛な表情をして軽く俯いている。長い沈黙が続き、初めに言葉を発したのは朱音だった。


「一ノ瀬君は、それが最良だと思ってる?」


 落ち着いた視線に見据えられて、少しだけ居心地が悪い。話した当初は彼女も衝撃を受けていたようだが、今は不思議なほどに感情が凪いでいるように見えた。


「最良かどうかは正直分からないけど……。でも、俺が蒔いた種なんだ。巻き込まれた十和田さんや他の人たちをそのままにしておくにわけはいかない」


「それなら、私も一緒に行くわ」


 朱音の提案に和真は唖然とした。そんな様子に構わず、朱音はもう一度はっきりと意志を告げる。


「手伝わせて。生命力が必要なら、その分を補填すれば喰われるリスクを減らせるんじゃないかしら。私たちに命を分けてくれたのなら、貴方と縁が強いはず。その縁で貴方を引き止める」


 つまり、命を担保に和真と一緒に零を引き上げるということだ。まさかそんな発想をしてくるとは思わなかった。それには同意しかねて和真はすぐさま反論する。


「そんなこと——」


「喰われるリスクを減らすなら、俺もそれがいいと思う」


 言葉を被せたのは修司だった。驚いて和真は彼の方を見る。


「別れてから考えていたんだ。生命力の差で喰われる恐れがあるのなら、補填して上回ることで回避できないかって」


「そんなことしたら、俺に引きずられて死ぬかもしれないんだぞ!」


 荒い音が響く。咄嗟に席を立っていて、衝いて出た声は自分でも聞いたことがないような切羽詰まったものだった。朱音はそれでも静かに返す。


「……そうね。それでも貴方だけを行かせたら、今までにないくらい後悔すると思う」


 朱音のまっすぐな言葉に和真は息を詰まらせる。それでも同意はできなくて俯いた。


「やっぱり駄目だ。そんなことする必要なんてない」


 巻き込みたいがために話をしたのではないのだ。自分だけで解決する術を見つけられないことが、この上なく不甲斐ない。俯く和真を見て桃香が困ったような笑みを浮かべた。


「和真君、私たちだけじゃ心配?」


「そうじゃない。みんなは巻き込まれただけなんだ。これ以上、俺に関わらない方がいい……」


 何を今更と思う。しかし、すべてを思い出して自分のせいだと知ったからこそ、これ以上皆を危険に晒したくなかった。心配も不安もない場所で生きていてほしい。


「俺たちだって同じだよ。だから放っておけない。それに、今ここにいるのは俺の意思だよ。誰になんと言われても」


 見透かしているかのように拓海はそう言った。いつもよりも落ち着いた声音は、自分が知っているものより随分大人びて聞こえた。


「一ノ瀬君」


 名前を呼ばれて和真は緩やかに顔を上げる。視線の先の朱音は柔らかい笑みを浮かべていた。


「貴方は彼を助けてあげたいと思っているんでしょう? そんな貴方をあの子が喰らうとは思えないの。だから、大丈夫。信じましょう」


 そこでやっと理解する。覚悟が一番決まっていなかったのは、他でもない自分自身だったということに。


 まだ生きたいのだと自覚して、彼らと共にいたいと願ってしまった。それでもやらなければならないという思いから必死に動揺を隠しただけだったのだ。俯いた途端、自分でも情けないと思うような声が溢れる。


「なんで、そこまで……」


「私だって、貴方に助けてもらったからここまで来れたのよ。できることはしたい。それにね、私たちの行く先を決めるのは私たちの意志だと思うの。貴方が望めば、必ず彼を引き上げられる」


 桃香の受け売りなんだけれど、と言って朱音は苦笑する。


 特別何かに秀でているわけでもない。一人でいられるほど強くもないし、頼られるだけの器量も度量もない。ごく平凡な人間だ。だからこそ、できるならば人に寄り添いたいと思った。信じてほしいから信じるのだと言っていたのに。自分が零を信じなくてどうするのだろう。


 どうしようもなく荒れていた気持ちが不思議なほどまでに凪いでいく。自然と言葉が溢れていた。


「……本当にありがとう。できるなら、力を貸してほしい」


 顔を上げた先で朱音と拓海が笑っていた。桃香の表情からも不安そうな色が消え、事を見守っていた修司が軽く息を吐く。


 今見るべきは死にゆく未来ではない。すべてを救い上げた先で皆と共に立つ風景だ。


 自分に力を貸したいと言ってくれる人がいる。そんな彼らの気持ちに応えたいと心から思った。だからこそ、やっておきたいことが心に浮かんだ。


 海を渡る前にきちんと話をしておこう。そう思って、週末になる前に会えないかと連絡を入れる。滞りなくやり取りが進み、金曜日の部活後に待ち合わせの約束をした。


 いつもとは違う喫茶店で勉強をしながら待ち人を待つ。小洒落た喫茶店は三浦家とは違うものの、賑やかすぎず寂しすぎないぐらいの客が入っていて、落ち着いた雰囲気だった。


「和真」


 名前を呼ばれて視線を上げる。テーブルに歩み寄ってくるのは溌剌とした姿が印象的な少女——由香だ。


「ごめん、文化祭前で忙しいのに呼び出して」 

「ううん。大丈夫だけど。和真こそ、調子は変わらない?」


 ああと相槌を打つと由香はほっとしたように笑った。席に座り、彼女に好きなものを頼んでほしいと伝えると、申し訳なさそうにしながらも気になるメニューを眺め始めた。そういえば、五月の連休もデザートのメニューと睨み合っていたなと懐かしく思う。


 普通のものと悩んでいたらしいが、由香は最終的に抹茶のモンブランと紅茶を頼んだ。運ばれてきたケーキをじっくりと見て一口食べると、顔がたちまち綻びる。


「うん、美味しい。こういう喫茶店もっと開拓したいなぁ」


 誘ってくれてありがとうと言い、由香はモンブランを食べ進める。二人でゆっくりと過ごすひと時はとても穏やかだった。由香がケーキを食べ終えたところで和真は話を切り出す。


「入院していた時、見舞いに来てくれてありがとう。それに心配かけさせてごめん。こんなんじゃ、お礼にはならないとは思うんだけど」


 差し出されたものを受け取って由香は目を瞬かせる。中が見える包みに入っているのは、プレーンのクッキーとグラノーラ入りのチョコクッキーだ。


「何がいいかって色々考えたんだけど。もらったレシピにいくつかお菓子も載ってたから、お返しならこれがいいかと思って」


「……作ってくれたの?」


「ああ」


 返事を聞くと由香は包みを撫でて眺める。しばらくした後、はっきりとした意志をもって言葉が紡がれた。


「私、和真のことが好きだよ。一年の時から、ずっと好きだった」

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