第110話 君に告ぐ〈1〉

 懐かしい夢を見た。それは夏の拙い一幕。


 目的地は小さな社の裏手にある古びた公園。草が伸び放題の荒れた公園で錆びついた遊具しかない場所だ。

 誰もいないはずの場所に何かがいるような気がして、和真は覗き込む。いくつかの遊具が合わさった滑り台の下に隠れるように座っていたのは、同じくらいの歳の男の子だった。

 誰と尋ねたが、男の子は驚いたようで目を見開いたまま身動きしなかった。だから、まずは初めに自分から名乗ることにした。


「俺は和真。よろしく! 君は?」

「え、えっと。……零……?」


 男の子は躊躇いがちに名前を教えてくれた。零と名乗った男の子は少し自分より大きかったが、内気なようで口数が少ない。子供同士でどこから来たなんて言った話もすることもなく、会って話をしたり遊んだりして終わった。もらったお菓子を分けてあげると、とても嬉しそうに笑うのが印象的だった。


「零はいつもここにいるけど、好きなの?」


 一人で出かける機会がなかなか見つけられず、零とはたまにしか会えなかった。会う時はいつも社の近くで、他の子たちと遊んでいる様子もない。単純に疑問に思って聞いたのだが、彼はとても困った様子だった。


「う、うん。たくさんの人がいるところは苦手で……」


 そういえば、友達でもそういう子がいたなと思い出す。何度か誘ってみてはいるが、他の子と遊ぶのは難しそうだった。それならばと代案を思いつく。


「じゃあさあ、家に行こうよ。今日はおばあちゃんしかいないけど」


 零はわずかばかり戸惑っていたが、うんと返事をしてくれた。それが嬉しくて早速家へと案内する。玄関を開けてただいまと声をかけると、奥から祖母が顔を出した。


「和真、お友達?」

「うん、そう! 零っていうんだ」


 祖母は少しだけ不思議そうな顔をしていたが、ちょっと待っててねと言うと台所の方へと向かっていった。そわそわと落ち着かなそうな零を中へ連れていこうとしたところで、和真は足を止めた。


 零の視線の先にあるのは玄関に置かれた水槽だ。たおやかな尾鰭が特徴的な魚。真っ白な魚がふわふわと水を漂っている。


「きれいだね」

「うん。おじいちゃんが魚とか好きで飼ってたんだ」


 そうなんだと零が相槌を打つと祖母が奥から戻ってきた。手には盆を持っている。


「珍しいでしょう? これでも金魚なんだけどね。お祖父ちゃん変わったものが好きで、こういうのばかりもらってくるのよ」


 困ったように祖母は笑った。こっちにいらっしゃいと言われて移動する。


「これ、おじいちゃんがくれた本」


 座卓に並べられたお菓子を食べながら本を広げる。それは海洋生物が描かれた本だ。子供用ではないので絵を眺めるぐらいだったが、それが楽しかった。開いたページにはちょうどクジラが載っていた。祖母が眺めながらぽつりと呟く。


「そういえば、珍しい周波数で鳴くクジラがいるんだって、お祖父ちゃんが言っていたわね」


「ふーん。それって変なことなの?」


 疑問を率直に口にすると祖母は別の本を持ってきて開いてみせた。子供用の本に描かれている絵と文をなぞりながら説明をしてくれる。


「こうやって、クジラは仲間たちとコミュニケーションをとるために鳴くの。人の声みたいなものね。その鳴き声が高いらしいんだけど、仲間たちと違うから届かないんだって。だから、世界一孤独なクジラって言われているそうよ」


「……ひとりぼっちは寂しいね」


 何故かとても寂しくなって、そんな言葉が出ていた。それを見た祖母はふわりと頭に手を乗せる。


「そうね。誰でもひとりぼっちは寂しいもの。もし困っている子がいたら、助けてあげられるといいわね」


 その時、チャイムが鳴る。本を読んでいてねと一言添え、祖母は玄関へ向かっていった。その後ろ姿を見送って本に視線を戻すと零がぽつりと呟く。彼はとても寂しそうな顔をしていた。


「僕とおんなじだ」

「なんで? おとうさんやおかあさんがいるでしょ?」

「……僕に家族はいないよ。ひとりぼっちなんだ」


 それがどういう意味を持っているかなんて当然分からなかった。ただ、彼がひとりぼっちだと言うことがとても寂しかった。そんな寂しさを埋めたくてはっきりと口にする。


「俺がいるよ」

「え?」

「友だちでしょ? さびしかったら俺のこと、呼んでよ。ぜったい行くから」


 零の顔が驚きに染まる。それから彼はとても嬉しそうに笑った。


「……うん。ありがとう」


 そんな夏の記憶。忘れていた過去を夢に見た。




 * * *




 全部話そう。そう決心したのは三日経った後だ。


 週半ばに話をして、今週末には海を渡ろうと考えていると伝えるつもりだ。もう少し時間を置いてからでもいいのではないかとも考えた。しかし、時間を置けば置くほど事を先延ばしにしてしまいそうな気がして、期限を決めた。


 五人が顔を揃えたのは三浦家。喫茶店で話せる内容でもなく、外でも話せないとなると場所は限られる。五人で集まりやすい場所であり、義明も仕事で不在になるために話がしやすいということで落ち着いたのだ。学校帰りに立ち寄らせてもらい、今に至る。


 四人掛けのテーブルに和真と拓海、朱音と桃香が並んで座る。修司は腕を組んで扉近くの壁に背を預けて立ち、何も言わずに話を待った。


「改めてこれからどうしたいか、みんなに話をしておきたくて。混乱させることもあると思うけど、聞いておいてほしいんだ」


 そう話を切り出した。話し終えた時には部屋の中は静寂に包まれていた。

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