第109話 帰る場所〈4〉
「やっと帰ってきた。食べるものなくなるよ」
「ごめん」
喫茶店に戻ると拓海が呆れた様子で出迎えてくれた。作ってくれた食事を食べ尽くして、更に外に出かけていた四人のために義明が追加で具沢山のサンドイッチを作ってくれた。最後にガトーショコラと果物を乗せた色とりどりのミニフルーツタルトまでいただいて、十分すぎるほどのひと時だった。
たわいもない話をしながらする食事はやはり楽しくて、浮き足立っていた心を落ち着かせてくれた。
「気をつけてね」
「ああ」
お開きになった途端、さっさと帰れと裕介に押し出されて帰宅することになった。それでも信用がないらしく、路線が同じ修司が同伴するという状況である。ただ、和真にとっては都合がよかった。修司が電車を降りる少し前で声をかける。
「二見。ちょっと話をしたいんだけど、いいか?」
二人は修司の自宅の最寄駅近くにある小さな公園で足を止めた。背のないベンチに互いに背を向けて座る。
「これからのこと考えたんだけどさ。もう一度、海を渡りたいと思うんだ」
「渡ってどうする気だ?」
「零と会って話をしたい。まだ魚は残ってるし、十和田さんも喰われたままだ。どうにかしないと。それにできるなら、零をあそこから解放してやりたいんだ」
話したかったのはこれからのこと。皆のおかげでこうして戻ってきたが、まだやるべきことがあるのだ。
和真の答えに修司は押し黙る。彼は少し間を空けてから問いかけてきた。
「そこまでする必要はあるのか?」
「どうなんだろうな。確かに二見が言う通り、自分の身の丈を超えたことなんて本当はしなくてもいいのかもしれない。……でも、零をあのままにしておけないんだ」
わずかに俯く和真と相対して、修司は感情を込めずに淡々と返す。
「命を喰らう異界のものだぞ」
「……確かに零は人じゃない。でも、世界の記憶から生み出されたんだ。せめて海に還してやれないかって」
ふっと風が通る。夕方の風は冷えていて、よりいっそう秋の気配を感じさせる。
「俺を助けるために海を渡ってから、零はずっとあの場所に囚われたままだ。あのままだと記憶の海にも還れない。何もないあそこに一人で居続けるのは……地獄だと思う」
「海を渡ったとして、具体的にどうするつもりなんだ」
「深海まで行って俺が零を引き上げる。いつもの記憶の海まで戻ってこられれば、海に還れるはずだ」
命を与えてくれたぐらいだ。零との繋がりは十分ある。自分が望めばそこに行けるし、彼を引き上げることができるという確信もある。ただ、それをするには懸念点があるのも事実だった。
「……向こうの方が生命力が強かったら、引き上げられるどころか命を喰われるかもしれない」
修司の言葉を聞いて確信を持つ。答え合わせのために和真は尋ねた。
「二見はさ、俺が異能を使うことをよく思っていなかったけど。それって異能が命を分け与える……命を削る行為だって考えてたからなんだろ?」
修司は問いに答えない。しかし、それは問いに対する答えと同義だった。
「俺、多分この先、そんなに長くないと思う」
少し空気が冷えた気がした。和真は両手を組んで膝元に置くと視線を落とす。事実を口にしようとして、改めて自分の気持ちを反芻できた。
「目が覚めて少し経った後にそう感じた。ただ、その時はあんまり実感がなくて。それから、そんなに長く生きられないんだ、でも仕方ないかって思ったんだけど。改めてこうしてみんなが迎えてくれて、生きたいと思ったら……死ぬのが怖くなった」
「なら、止めればいいだろ」
投げ出すような言葉に和真は顔を上げる。いつの間にか修司が立って向き直っていた。
「そもそも発端が発端なんだ。別にここで止めたって——」
そこで言葉は唐突に途切れる。きっと、その先は言えないだろうと思った。
他人と知人。その関係なら、片方を選ぶ際に割り切ることは難しくないかもしれない。
しかし、知人と知人になったらどうだろうか。和真と透。透とは接点が少ないにしても、彼を助けたいと願っている茉白に協力をしてもらっている。等しく関係ある者同士だ。和真はふっと笑う。
「二見は漆間さんと十和田さんを放っておけるタイプじゃないよ。途中で投げ出せって言うのも似合わないしさ。……それに、俺が巻き起こしたことなら、最後までやらないといけないと思うんだ」
修司は何も返せずに目を軽く伏せた。和真は緩やかに腕を組む。死とそれに伴う喪失からくる震えを抑えたかった。
家族の命を喰らって生き長らえ、多くの異形たちを相手にしてきた。今になって死を身近に感じるなんてどうかしている。いや、何もかもを思い出して生きたいと思ったからこそ、死を自分のものとして実感したのかもしれない。和真は取り繕うように笑った。
「話を聞いてくれてありがとう。正直、一人で考え始めたらどうしようもならなくなりそうでさ。……話すなら、二見しかいないなって思って」
「話さないつもりなのか?」
先ほどとは打って変わって鋭い言葉が突き刺さる。反論できない和真に向かって修司は続けた。
「全部話せ。お前がやりたいと思っていることも、異能のことも。話さないまま全部自分で解決しようとして、後悔をさせるな」
それは恐らく彼自身の後悔。だからこそ、その言葉は重さをもって響いた。
「……そう……だな。でも、少しだけ時間もらってもいいか? さすがにちょっと、すぐ話すには……」
感情が溢れて纏まらない。戻ってきたことを喜んでもらったこと。生きたいと願い、それ故に間近に見えてしまった死への恐れ。それでも成さなければならないことがあるということ。ままならない思考で息苦しくなる。
「……ああ」
「また連絡する」
そう言い残すと和真は足早に公園を後にした。
藍墨色の空に浮かぶはずの星はまばらにしか見えない。住宅街とはいえ、都内の夜は明るすぎる。祖母の家のように見えればいいのになと思いながら、和真は自宅へと足を向けた。
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