第108話 帰る場所〈3〉
「一ノ瀬くーん?」
ずしりと右肩に重みを感じて何事かと振り返る。いつの間にか左腕を乗せて安藤が立っていた。しかも、予想だにしない人物を引き連れて。
安藤にがっしりと肩を組まれているのは修司だ。あからさまにげんなりとしていることから、それなりに迷惑を受けていることを察する。一見すると突拍子なく見えるが、玖島は理路整然としているからいいのだろう。安藤の強引さと突拍子のなさは和真でも読めない。恐らく、修司が一番苦手なタイプではないだろうか。ご愁傷様としか言いようがない。なんとも言い難い気分になって、思わず和真はつっこむ。
「これ、どういう組み合わせだ?」
「モテる男枠」
「それはない」
和真と修司の声が綺麗に揃う。修司がどういう意図をもって言っているのかは分からないが、とりあえず同枠であることを否定したいのは同じらしい。安藤は半眼で不敵な笑みを浮かべる。
「ふーん、そういうこと言うんだなあ、一ノ瀬?」
「俺だけかよ」
「はいはい、主役に絡まない」
そんな声と共に手刀が安藤の頭に当たる。手刀を入れたのは高瀬だ。彼は手際よく和真から安藤を引き剥がすと朱音に向き直る。
「すみません。湊がご迷惑をおかけして」
「母親か」
「こんな馬鹿息子いないわ」
ズバズバと容赦なく切り返す高瀬を見て、朱音がふふっと笑みを零す。
「仲がいいのね」
「はい、それなりに。加えて申し訳ないんですけど、一ノ瀬を少しの間、借りてもいいですか?」
「え、えっと、一ノ瀬君がいいのなら……」
唐突な高瀬の申し出に朱音が困惑した様子で返した。高瀬に視線を向けられて和真は問い返す。
「なんだ?」
「せっかくだからさ、ちょっと体動かしに行かないかなって」
そう言って高瀬は左手に持っている物を軽く持ち上げて見せた。手にあるのはラケットケース二つ。大きさから言ってバドミントンラケットではないだろうか。
「病み上がりにそれは鬼じゃね?」
「程よく動くぐらいなら大丈夫でしょ。むしろ、今は安静にしすぎる方がよくないって言われてるし。まあ、無理にとは言わないけど」
そういえば高瀬とファミレスで話をした時、また何かやろうと話をしていた。学校の授業も特に問題ないので、体を動かしてもいいかなと思う。
「それじゃあ、少しやろうかな」
「ありがとう。それじゃあ、ちょっと席外します」
「気をつけてね」
「よし、じゃあ二見も付き合え」
「なんでだ!」
流れるように修司が巻き込まれている。こうなったら安藤のペースだよなあなんて人ごとのように思っていると、高瀬が嬉々として笑った。
「あー、それは面白そう! じゃあ行こうか」
安藤に押さえこまれている修司の背中を高瀬が押す。意外と乗り気な高瀬を見て逃れられないと悟ったのか、修司は大人しくそれに従うことにしたようだ。
「気にかけてはいるけど、食事がなくならないうちに帰ってきて」
「ああ、ありがとう」
三人の後を追うように和真は喫茶店を後にする。
訪れるのは近場の公園。今は懐かしいサッカーをした運動場に程近い場所だ。設備もないので適当に線を引いて、ラリーに勝った方が得点となるというざっくりとしたルールで始める。準備運動として修司と打ち合うがペースを考えてくれているのだろう。比較的打ちやすくてラリーが続く。
「二人とも上手いじゃん」
「……おい、一ノ瀬。バドミントンできるとか聞いてないぞ」
センターラインギリギリに落ちてきたシャトルを拾ってから、和真は安藤を一瞥する。
「普通。っていうか、みんなこんなもんじゃないか?」
「あはは。湊はバドミントン割と駄目なんだよねぇ」
ラリーを見ながら高瀬が爽やかに笑う。それを見た安藤は渋い顔をした。
「っていうか何でバドミントンなんだよ。もっと違うもんあるだろ」
「運動は湊の方が有利なんだから、たまには付き合ってくれてもいいじゃん。適当に遊ぶなら手軽だし」
そもそも体格がいいというのはそれだけで武器になる。たまには自身に有利な種目で遊ばせてくれという高瀬の言い分は理解できた。
入れ替えで高瀬と安藤がラリーをする。しばらくは緩やかに打ち合っていたが、一瞬の隙をついて高瀬がスマッシュを打った。
「本気出すんかよ、お前!」
「大丈夫、大丈夫。まだ本気じゃない」
さらりと返すも、高瀬は続けて容赦なくシャトルを打つ。しなやかに肩を引いてシャトルを打つ姿は丁寧だ。瞬発力も高く、咄嗟の判断も早い。素人目でも練習を重ねているものだと感じる動きだった。一方的に近い撃ち合いが続く。
「……高瀬、意外とあれなんだな」
「まあ……」
容赦がないと言いたいのだろう。修司の呟きに和真はなんとも言えない相槌を打つ。安藤がストップを入れると、ベンチに近づいてきて問答無用で修司の腕を取った。
「二見、付き合え。あいつ負かす」
「俺を巻き込むな!」
修司が安藤に引き摺られて高瀬の目の前まで連れていかれた。ダブルスの方が大変じゃないかと思うが、修司に丸投げすればなんとかなるだろうか。
それらは口にせず、和真は様子を見守る。いや、見守る予定だった。
「おーいいねぇ。じゃあ一ノ瀬」
高瀬が朗らかに笑って和真を手招きする。そんな高瀬を見て、和真は何も言わずに合流した。
「は?」
「だってダブルスならこうでしょ。じゃあ、いくよ」
そう言って高瀬はバックサーブを間髪入れず打ち込む。おいと安藤が不服の声を上げるも、既に高速のラリーが始まっていた。ラインのギリギリを狙い、フェイントを挟んで騙し、チームの和を掻き乱してミスを誘う。必死に打ち合っているうちにあっという間に時間が過ぎ、勝敗が決まった。各々適当なところに座り込む。
「はー面白かった」
「面白かったじゃねぇよ……」
高瀬によって大いに翻弄された安藤は疲れた顔をしている。それ以上に修司が疲れ切った表情をしていた。
試合は高瀬チームのストレート勝ち。二セット目で安藤たちが追い上げてから高瀬が猛攻をかけて勝負が決まった。大人気ないと安藤から抗議があったが、バスケで手加減しないだろうというのが高瀬の言い分である。
「もうちょっと余裕持って勝てると思ったんだけどなー。ここまで点取れたの、二見のおかげだな」
「うっせ。つか、本当に苦手なもんないのかよ、腹立つわー」
「……」
「それに、二見があんなに食いついてくるとは思わなかった」
高瀬の指摘に修司はわずかに言葉を詰まらせてから、居心地悪そうに答えた。
「それは……。勝負なら、負けたくないだろ」
修司の返答に高瀬は意外そうな顔をして、そうだよなぁと笑う。不服そうな視線を向ける修司に対して彼は笑みに苦味を混ぜた。
「ああ、ごめん。悪い意味はなくて。二見も色々と話したら面白そうというか。……一年の時にもっと話しておけばよかったなって思ってさ」
「別に今からでもいいじゃねーか」
高瀬にそう返したのは不貞腐れている安藤だ。彼の言葉を聞いて高瀬は目を丸くし、穏やかに微笑む。
「……うん、それはそうだ。なあ二見、連絡先教えてよ。せっかくだしさ」
「んじゃ、俺とも交換しようぜー。青嵐の可愛い子紹介してくれよ」
「断る」
「はいはい、じゃあ帰りますかね。何か残ってるといいなー」
安藤の言葉をすっぱりと切り捨て、修司と高瀬は立ち上がる。冷たい奴らだなとぼやきながら二人の後を追おうとした安藤に和真は思わず声をかけていた。
「え? だって安藤……」
「それ」
振り返った安藤はただ一言だけ口にした。彼がじっと見据えるそこには先ほど朱音に着けてもらった腕時計がある。
「これは壊れたのを直してもらっただけで……」
「壊れたのを直してもらったんかよ。あーあ」
安藤はそうぼやくとさっさと歩き出し、修司に歩み寄って馴れ馴れしく肩に腕を回す。
「なぁ〜、心の傷癒してくれるような優しい子いないか?」
「湊は節操なさすぎ」
高瀬が容赦なく安藤の頭を叩く。意に介さず安藤は修司に詰め寄るが、当然のように面倒臭いという顔をされている。和真は視線を落として腕時計の盤面をなぞると、少し遅れて三人の後を追った。
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