第99話 切り拓く意志〈4〉

 修司は姿勢を改めてそう言ってくれた。応えてくれたことが嬉しくて朱音は微笑む。


「本当にありがとう。今週の土曜日の面会時間が始まるぐらいに病院へ行って、拓海と海を渡るつもり。一ノ瀬君のお母さんにも了承を得ているわ」


「もう話を済ませているんですか?」


 朱音の申し出に修司は驚いた様子だった。当事者を差し置いて話を進めているというのは確かに不謹慎ではある。それでも。


「今回は今までの中でも特殊だから、他の人に頼みたいこともあって。週末にかけて何かあっても大丈夫なようにできるだけ準備を整えているの」


「俺が断っていたら、どうするつもりだったんですか?」


「二見君なら受けてくれると信じてたから」


 朱音の答えに修司は少し居心地悪そうに視線を逸らし、ぽつりと呟いた。


「……一ノ瀬みたいなことを言うんですね」


 それこそ思ってもいなかった言葉が返ってきて朱音は面食らってしまった。似ているなどとも露とも思わず、自然と疑問が零れる。


「そんなことないと思うけど。一ノ瀬君、何か言ってたの?」


「俺が会って間もない人間のことをよく信用できるなと話をしたことがあって。その時、信用して欲しいから、まず自分から信用しようと思っていると言っていました」


 それは初めて聞く彼の行動理念。それでも、スッと染み入るように馴染む。

 記憶の海ので秘密を語った時のことを思い出す。彼が受け入れられないような話を馬鹿にせず信じてくれたから、ここまで共に来られたのだ。

 知らず知らずのうちに、彼の言動に倣っていたことに気がつく。人を信じきれなかった時間があったからこそ、倣ってみたかったのかもしれない。


「……そうなのね」


 だからこそ、何もせずに諦めるわけにはいかない。五十嵐さんと呼ばれて視線を向けると、修司が少し躊躇いがちに口を開いた。


「海を渡る前に一つ頼みたい事があるんですけど、いいですか?」



 * * *



 朱音と話をした翌日の終業後、修司は一つの扉の前で足を止めた。少し逡巡した後、修司は扉をノックする。応答を確認して静かに扉を開けた。


「失礼します」


 ベッドサイドの椅子に女性が腰をかけていた。足元の布団が乱れているのを見て、何事かと思ったのに気づいたのだろう。いずみは足元の布団をかけ直すと申し訳なさそうに笑った。


「こんばんは。ごめんなさいね。時間があるからと思って、ちょっと足を動かしてあげてたの」


 疑問を察したのだろう。いずみは苦笑を濃くしながら応える。


「長いこと動かさないと関節が固くなってしまうの。足首は特に下垂してしまうから硬くなってしまうと大変で。理学療法士さんに介入してもらうのが一番いいんだけど、現状だと難しそうで……」


「すみません。今回の件は俺のせいなんです」


 いずみがすべてを話し終わるより前に、修司は頭を下げた。もともと詫びを入れたくて面会できるか朱音に取り次いでもらったのだが、見えていなかった現実を目の当たりにして、咄嗟にその言葉が出ていた。


 しんと室内が静まり返り、どうにもならない息苦しさを覚える。唐突にふふっという笑い声が聞こえてきて、修司は驚いて顔を上げた。聞こえてきた声と相違なく、目の前にいるいずみは笑っていた。


「ごめんなさい。貴方たち、似ていないようでみんな似ているって思って。実はね、玖島さんから口止めされていたんだけど、今回の件は全部自分が巻き起こしたことだから、他に責任を問わないで欲しいと言われていたの」


 貴方に話したことは玖島さんには秘密ね、と人差し指を口元に当てていずみは悪戯っぽく笑う。修司は呆気にとられて言葉もない。いずみは微笑みながら続ける。


「五十嵐さんの時も感じたけど、みんな一人で抱え込んでいるというか、責任を取ろうとしてると感じて。……和真もね。でも、一人でできることはそう多くないと思うのよ」


 いずみはそう言うと席を立ち、修司の前に立つ。手を取られて修司は思わず体を強張らせるが、いずみは構わず両手で包み込んだ。


「一人でなければ……きっと道を切り拓ける。頼りにはならないかもしれないけど、できることがあるなら私も協力します。だからどうか、力を貸してください」


 何の躊躇いなく、いずみは深く頭を下げた。忌避感を抱いてもおかしくない状況なのに。そんなそぶりを一切見せずに。


 いずみと相まみえて、目を覚まさない少年の感性と行動原理が少しだけ分かった気がした。彼は濁りの薄い世界で生きてきたのだ。周りに理解されなくても、それが彼にとっては当たり前の世界だった。けれど、それを理解できないと思う者は多いだろうとも思う。


 人は自分と違うものを忌避する。共感できないと存在を否定する。


 周りから意図せず一線を置かれ、時には自分とは違うものだと忌避された。自分がそうしたいと思ったわけではないのに、完璧でもないのに。一人歩きしていく人物像と噂はどうすることもできなかった。似ているなんて到底言えないけれど、理解されないことの苦しみは少なからず分かるつもりだ。


 深く頭を下げるいずみの手は、微かに震えていた。


「……もちろんです」


 だから、返す言葉は一つに決まっていた。

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