第91話 啓示〈2〉

 そんな存在をどうしたらいいのだろうか。解決のための糸口を探るために尋ねたのにもかかわらず、手立てがなくなってしまったように感じる。


「それなら、どうしたら……」

「記憶を元に情報を提供することはできるけど、それ以上の介入はできないよ」


 口調は柔らかいものの、一線は絶対に超えないという意志が感じられた。不安が一気に押し寄せてくる。

 途端にずきりと頭に痛みが走った。蓄積された記憶のせいだろうか。脳に圧迫感を感じて息苦しさが増してくる。気になって周囲を見ると、程度は違うが拓海たちも不快そうな表情をしていた。その中で桃香はあまり変わりがないように見える。


「桃香は……大丈夫なの?」

「え? は、はい。情報がひしめいてる、って感じはしますけど……」


 桃香は戸惑った様子で答える。疑問に気がついたのだろう、先んじて少年が口を開いた。


「彼女はここの記憶によく触れているから慣れているんだろうね。心を読める子にはちょっと刺激が強いかもしれないし、過去を見られる彼は力を使うのを抑えていたみたいだから酔うのは仕方ないんじゃないかな」


「記憶に触れてる? そんなことしてないと思うけど……」


 少年の言葉に困惑した様子で桃香がそう返す。少年は手元に一つの光を手繰り寄せ、手のひらに乗せてみせた。


「君はまだまだ読み切れていないからそう思うんだろうね。でも、夢見はここの記憶に触れているからこそできることだ。過去に起こった出来事、感情、人々の言動。それらを読み解き、その因からもたらされる果報——未来を夢に見る。それが夢見だよ」


 不意に因果応報という言葉が頭をよぎる。少年は少し寂しそうに続けた。


「かつてはここの記憶に触れる人も多かったけど、今はほとんどいないね。どの世界も賢人が消えて、皆が世界の理を忘れてしまった」


 少年の独白に玖島が肩を竦める。


「……過去の人たちの方がよっぽど世界の本質を見ていたってことか」


 今は目に見えるものがすべてという考え方だから、と言って少年は微苦笑を浮かべた。


「でも残されているものはある。虫であろうと生き物を殺せばその痛みは後々災いとなって返ってくるし、祝いを送れば祝福が返る。生きとし生けるもの、それこそ君たちが言う神という存在もその業からは逃れられない。今君たちに起こっていることはすべて、過去世から君たち個人や大衆の言動、感情を積み上げてきてもたらされた〈必然〉の結果だ」


 清流のように語られた事実に寒気が体を駆け抜ける。一切の濁りがないからこその恐怖がそこにあった。


「……はははッ」

「な、なんだよ」


 唐突に笑い出した玖島を見て拓海が困惑した表情をする。


「だって、これほど滑稽なことなんてないでしょ? すべては〈必然〉だなんてさ」


 玖島は拓海に視線を向けると皮肉に満ちた笑顔を浮かべる。続く彼の言葉を聞きたくなかった。


「そうだね、簡単な例え話をしようか。例えば君が好意を持つ人が二人いたとしよう。二人のうち、より好意を持つAさんに勇気を出して告白したけど、断られたとする。意気消沈しながらも好意を持っていたもう一人のBさんに告白した。その子には受け入れられてお付き合いすることになった。ここまではいい?」


「う、うん」


「彼が言うには『Aさんに断られる』ことは必ず起きることで、断られたという条件から次に君が『Bさんに告白する』ことも『Bさんに受け入れられて付き合うこと』も過去の因から決まっていた。一見すると俺たちは自分の意思で動いてその結果を得ているように見えるけど、実際は意思なんて関係ない。こうしたいと望もうと、決められた因の方が優位に働くんだ。決まった結果に向かって歩かされているだけってことだよ」


 玖島は視線を落とし、誰にともなく言の葉を零す。


「本当に……くだらないね」


 最後の言葉は光の空間に吸い込まれるように消えていった。痛いほどの沈黙が五人を飲み尽くす。

 朱音は俯き、地面についた両手をぐっと握る。

 今までのことが脳裏をよぎる。喜びも悲しみも、互いへの気遣いも。ここに至るまでのすべてが個人の意思ではなく必然に基づけられたものだと。そんなことはどうしても思いたくなかった。

 少年の声が静まり返る世界で穏やかに響く。


「うん、そうかもしれないね。でもね、世界は無常だ」


 少年は手のひらに携えていた光を天に掲げた。その光は徐々に光を増して辺りを煌々と照らす。彼は船の縁から降りると朱音のもとに歩み寄って屈み込んだ。

 少年が浮かべたのは、誰かを思い重ねるような穏やかな笑み。


「だから、僕は君たちが歩むその先を見たいと思ってる」


 もっと話を聞かなければならない。

 そう思ったのも束の間、光の洪水に視界が奪われた。ふわりとした浮遊感に襲われる。記憶の海を渡る時と同じ感覚が体を支配し、強制的に現実世界に戻されるのだと理解した。


 視界に色が戻り、わずかに浮いていた足元が地面につく。その途端、平衡を保てずに朱音はその場に崩れ落ちた。立て続けに眩暈に襲われて体が傾ぐ。


「朱姉!」


 すかさず拓海が倒れた朱音のもとに駆け寄る。

 触れると体が異常な熱を持っていた。呼吸も浅い。どうすればいいのかと狼狽える拓海を見て、玖島は嘆息しながら二人のもとに歩み寄って屈み込んだ。


「ちょっと失礼」


 一言断りを入れると玖島は朱音の首筋に手を触れる。容態を一通り確認すると、和真のもとにいる修司と桃香に目を向けた。


「そっちは?」

「……息と脈はある」


 修司の返事を受けて玖島は携帯電話を取り出す。そこでようやく周囲に意識が回り、拓海は辺りを見渡した。


 場所は海を渡る前と同じ渓谷公園だったが、周囲は既に暗く沈んでいて人気が感じられない。玖島は周囲の状況確認を済ませて電話をかける。


「手でも握っていてあげれば?」


 そう言うや否や電話が繋がったようで、玖島は拓海から視線を外した。滞りなく話を進める姿を見ながら、拓海は倒れた朱音の手を取ることしかできなかった。

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