第87話 晒される秘匿〈4〉

 修司は少し離れた場所にある街路の柵に腰掛けていた。朱音はその背中に声をかける。


「二見君。拓海が一ノ瀬君の居場所を見つけてくれたの。力を貸してくれないかしら?」


 問いに対する返答はすぐにこなかった。その代わりに淡々と問い返される。


「責めないんですね。何も話さなかったこと」

「二見君は考えなしに行動する人じゃないと思うから。できるなら……理由は聞きたいけれど」


 話してくれるだろうか。そう思いながら伝えた要望は意外にもあっさりと叶った。


「一ノ瀬が覚えていない……思い出す兆候がないのなら、誰にも伝えない方が賢明だと思いました。内容が内容でしたから。過去を思い出さずに済むなら、その方がいいとも思って。一ノ瀬が利用されると予測していながらこんなことになった。今回の件は完全に俺の落ち度です」


 和真の過去を知らされて動揺なく行動できるかと言われれば否だろう。不自然な言動で露見してしまうぐらいなら知らせない方がいいと彼は結論づけたのだ。それに、記憶を思い出さなくて済むのならその方がいいのではないかという思いも分かる。


「いつから知ってたの?」

「……全員で海を渡った数日後です。夢を見ました」


 その時から秘していたのかと、彼の平静な姿を思い出す。自分にはできそうにないなと思っていると、修司が言葉を続けた。


「それに、一ノ瀬の記憶だけじゃないです」


 その言葉に心臓が跳ねた。俯き加減で修司は後を続ける。


「五十嵐さんたちが海と繋がるきっかけになった記憶も夢に見ました。それ以降は見ないよう、意識的に抑圧しているつもりなんですが」


 すみませんと言った修司に返す言葉が思いつかず、沈黙が流れる。

 見たくて見たわけではないと朱音自身も分かっている。しかし、告げられた内容は今受け入れられる心の許容量を遥かに超えていた。

 反応を期待していなかったのだろう。修司は朱音の言葉を待たずに立ち上がって振り返った。


「それにこの件を解決しようとする以上、一ノ瀬は過去を思い出さざるを得ないのかもしれない。そう考えると、俺がしたことは事を先延ばしにしただけに過ぎないんじゃないかと思うんです」


 話をしてくれていたら何か変わっただろうか。惑う頭の中でそんな思いが一瞬よぎったが、きっとできることは多くないと朱音は思い直す。


「でも、貴方は……貴方が考えた上での最善をしてくれたんでしょう?」


 影と遭遇した時も今回のことも。彼なりに力を尽くしてくれたのだと思う。

 それぞれが触れて欲しくないものを、ずっと内に抱えていてくれたのだ。それでも、後悔が尽きないのが人間というもの。


「二見君、力を貸して欲しいの。玖島さんと行動するのは嫌かもしれないけど……。それでも、少しでも上手く事が運ぶように今できることをするべきだと思うの」


「俺は別に嫌ではありません。あの人はあれで有用なんですから、利用できるなら利用するべきです」


 修司の言葉にはささやかな反抗心が出ていた。それでも今まで相容れなかったのにもかかわらず、すぐさま協力すると言える姿勢は素直に感嘆する。

 修司と共に三人の元に戻ると、気がついた拓海と桃香が走り寄ってきた。その後をゆるりと玖島が歩いてくる。


「さて、揃ったね。ぼちぼち和真くんを返してもらいに行きますか」


 軽い声音を聞いて、拓海がジトっと睨みつけるように玖島を見据えた。当然の如く玖島は動じない。険悪な雰囲気に困惑しつつも、桃香は修司の右肩を見て申し訳なさそうに呟く。


「ごめんね。空間障壁、役に立たなくて……」


「……いや、そんなことはない。多分なかったら死んでいたと思う。ただ、一ノ瀬の分と合わせても簡単に突き破られた。相手にするのはそういうものだと認識しておいた方がいい」


 さらりと告げられた内容にスッと肝が冷える。あの少年には影よりもなお濃い怨嗟が根底に渦巻いているような気がした。静まった空気を破るように玖島が後を拾う。


「あの子については俺が前に立って請け負うよ。その代わり、好き勝手にさせてもらうけど」


 朱音は玖島からの提案をどうすべきかと考えあぐねる。先ほどの攻防を見た限りでは、確かに彼に前線を担ってもらったほうがいいと思った。意見を求める視線に気が付いたようで、修司がそれに答えてくれた。


「その方がいいと思います。あの少年の動きについていけるのは俺たちの中では一ノ瀬ぐらいです」


 実際に対峙した彼がそういうのであれば間違いないだろう。朱音がそう結論づけていると、おもむろに桃香が修司の手を取った。


「もう一度、空間障壁組んでおくね」

「組むのなら今まで通りでいい」

「でも……」

「強度を今までより上げて組むのはまだ安定していなかっただろ。上手く展開しない方が危険だ」


 腑に落ちたのか、そっかと桃香が呟く。それから彼女は目を伏せて意識を集中させた。その光景を見ながら玖島がぽつりと漏らす。


「しかし、便利だよねぇ。あの空間障壁」


 組み終えたのか、桃香が目を開いて手を離す。それから玖島の方に歩み寄るとポケットに入っている手を取った。桃香が目を伏せると再び沈黙が空間を支配する。

 程なくして桃香は目を開けた。玖島の手を取ったまま口を開く。


「空間障壁を組みました。どこまで役に立てるか、分からないですけど」

「……なんで俺にまで組んだの?」

「なんでって、死んで欲しくないからに決まっているからじゃないですか」


 返ってきたのは純心すぎる言葉。玖島は手をポケットに戻し、やれやれといった様子でぼやく。


「綺麗すぎる水は居心地が悪いんだけどねぇ」


 疑問符を浮かべる桃香をよそに、彼は仕切り直すように改めて四人を見渡した。


「先に言っておくけど、俺は和真くんみたいに人に力を付与させるとか、周りをサポートしてあげるとか器用なことはできないから。そこら辺は当てにしないでほしいんだけど」


「安心してよ。期待してないから」


 腕を組んだ拓海が半眼でさらりと返す。挑発のこもった目線に負けじと玖島も横目で見据えた。


「それなら結構」

「それより、一ノ瀬君を移動させたいんですけど、いいですか?」


 不穏な空気を醸し出す二人を見かねて、朱音が割って入った。

 玖島が周囲に魚はいないと話してはいたが、一人残すことになると心配は尽きない。玖島は和真を一瞥して軽く頭を搔く。


「……まあ、ここに置いて行くっていうのも忍びないか」


 近場にあったクリニックの待合室にソファーがあり、そこに和真を横たえる。

 その手を取って桃香は今までないほどの集中力を見せて、一つの空間を組み上げた。それは自分たちに有事があった際に異能の繋がりを通して元の世界に戻れるようにと組んだ、特異的な転移用の空間だった。


「これで大丈夫だといいんだけど……」

「君の空間制作能力なら大丈夫でしょ」

「分かるもんなの?」


 玖島の言葉に拓海が怪訝そうに問う。彼は珍しく苦虫を噛み潰したような表情をした。


「あんなピンポイントに綺麗な体当り食らわされたら、そう結論づける以外ないでしょうが」


 脳裏に桃香が玖島に体当りを食らわせた場面が蘇る。異能の目で視ていたからこそ朱音には妙な納得感があった。それから改めて玖島に向き直る。


「玖島さん。一ノ瀬君を助けるために力を貸してください」


 静かに。

 しかし、はっきりとした意思をもって。揺らぎない視線で見据える。


「けれど、意図的にみんなを危険に晒すようなことがあれば。私は貴方を許しません」


 朱音が向けるのは、熱のこもった熾烈な視線。

 それを見て、玖島は静かに苦笑を浮かべた。


「……肝に銘じるよ。それじゃあ、行こうか」

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