第85話 晒される秘匿〈2〉
「朱姉……」
困惑と悲壮感がこもった拓海の声が耳に届く。
確かに知った事実はそう簡単に受け入れられるものではなかった。修司と玖島に問いたいことも山ほどある。しかし、ここで本質を見失い、思考を停止しているわけにはいかない。
玖島は声音にわずかな感嘆をのせて朱音の問いに返す。
「クジラといた青年……今は少年と言った方がいいかな。彼が和真くんの命を喰ったのは間違いないから、それをどうにかする必要があるかな」
玖島はクジラではなく、少年が和真の命を喰ったと話す。
そこで思い出されるのは以前話が出た、クジラに本体があるのではないかという話。朱音はある推測を立てて玖島に問う。
「彼は何者なんですか?」
「別の世界で〈世界の
諦観よりもやはりという思いの方が強かった。
理由は不明だが、世界の澱と呼ばれるものが確実にここにいて、人の命を喰らっている。推測していた通り、透明な魚は物事の瑣末にしか過ぎなかった。
しかし、和真との関係性が全く見えてこない。故にそれは確認するべきだと判断して、朱音は修司に問うた。
「彼と一ノ瀬君がどういう関係か、二見君は知ってる?」
少しだけ沈黙を保ってから修司はそれに答える。
「どういう経緯かは分かりませんが、幼い頃の一ノ瀬とは親しかったようです。そのために死んだ一ノ瀬を助けた……生命力を注いだんだと思います」
すとんと、複数のことが腑に落ちた。
和真が持った異能のことも。彼が導かれるようにクジラと青年と会ったことも。昔は霊的なものを見ていたような気がすると曖昧に話していたことも。
ただ、これまでの話を鑑みると少年は和真に執着していると思われる。こちらの言葉に耳を貸してくれるとは到底思えない。朱音の思考を察したように玖島が口を開いた。
「今こっちの要望を言ったところで聞き入れないと思うよ。そもそも、命と記憶を喰らいすぎて聞く耳を持つような状態じゃなかった」
「無理矢理奪い返すしかない……ってことですか?」
桃香の問いに、まあねと玖島は返す。それからあまり間を空けずに彼は続けた。
「まあ、和真くんを取り戻したいのなら協力はするよ」
「本当ですか? でも、どうして……」
思ってもみなかった玖島からの提案に、桃香が驚きとわずかな期待をのせて声を上げる。反して拓海はこの上なく嫌そうに顔を顰めた。
「まあ、俺にも色々事情があってね」
「そんなの……自分勝手すぎるだろ」
今まで散々いいように弄ばれ、彼の思うように事が運んできたのだ。更にこの帰結である。拓海の反応は当然だと思った。しかし。
「その話、受けます」
「朱姉!」
切羽詰まったような拓海の声が聞こえてきたが、朱音は玖島から視線を外さなかった。
「一ノ瀬君が命を喰われてしまった今、貴方が言う深海という場所へ行くにはクジラに導かれたり、捕食される以外の方法が必要なはず。そこに行ったこともない私たちは貴方と協力しないとたどり着けない。そして、恐らく貴方は私たちがいないと深海に行けない。違いますか?」
「……そう。あそこはどうも特別な場所みたいでね。その境を越えるには素養がいるみたいなんだ。一つではなく、様々な素養がね」
そこまで聞いて、ようやく思い知る。
ここまでは玖島の想定の範囲内だということ。今は想定の中でおそらく最悪の事態にたどり着いている。そして、最悪の事態が起きた時でも手が打てる策を立ててここまで行動していた。
修司の異能の件も含めて自分たちは——揃わされていたのだ。
不甲斐ない自分への怒りだろうか。表現し難い感情が腹の中で巻き起こり、朱音はぐっと両手を握る。けれどそれを内に飲み込んで、下がってしまっていた顔を上げた。
「協力しましょう。でも、その前に貴方の目的を聞かせて。貴方は一ノ瀬君を連れて世界の澱に会ってまで、何をしようとしていたんですか?」
「それを知ったら俺のことを信用できるの?」
玖島は酷薄な笑みを浮かべた。褪めた目線に臆することなく朱音は迎え撃つ。
「信用とはまた別の問題です。貴方の目的が分からない限り、私たちは判断に迷う。緊急時に素早い判断ができないのは致命的。できるなら不安要素は取り除いておきたい」
朱音は追及を止めない。止める気もなかった。
そんな彼女を見て、玖島は仕方ないといったように嘆息する。
「俺の知人がクジラに喰われたんだ。だから深海に行きたかった」
「それって……」
「まあそれはそれ。そっちの目的優先でどうぞ。俺のことはおまけと思ってくれればいいからさ」
玖島は桃香の言葉に被せながら軽快な口調と共に立ち上がる。先ほどまであった神妙な空気は影を潜めていた。
「やるべきことは分かっているよね?」
「言われなくても」
拓海はそう言い返すと、すぐに玖島に背を向けた。やれやれと言った様子で玖島はその後ろ姿を見送る。拓海は横たわる和真のそばにかがみ込むと手を取った。
そこでもう一人動く気配がして朱音は辺りに視線を巡らせる。立ち上がった修司は背を向けていて、表情が窺えない。
「すみません。少し離れます」
それに返せる言葉がなくて、朱音は離れていく修司の背中を追うことしかできなかった。
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