第79話 錯綜する思惑〈2〉

 翌日のことだった。


 目が覚めた途端に喉の渇きを覚えて、和真は体を起こす。その途端に目眩に襲われて危ういところでベッドから落ちそうになった。しばらく目眩が続き、治まったところで台所へと向かう。時計を見るとまだ早朝だった。

 冷蔵庫を開けることすら面倒で水道の水を飲む。物音がして振り返ると母が立っていた。


「早いのね」

「……なんか喉が渇いて」


 そう言うや否やいずみは硬い表情をして和真の元に歩み寄り、首筋に手を当てる。


「熱があるじゃない。顔も赤いわ」


 そう指摘されて、異様な怠さは熱のせいだったのかと納得する。これも異能の影響だとすると、修司の言う通りあまり頼るべきではないなと思った。いずみは硬い表情のまま続ける。


「病院にいった方がいいわ」

「休めば大丈夫だって」


 病院に行っても仕方がないことは分かっているので和真はそう返した。笑ったつもりだったが、上手く笑えたかよく分からない。頭が浮遊感でふらつく中、自室へと戻ろうと背を向ける。


「和真」


 呼び止められたものの、振り返らずにその場を後にする。バイト先に連絡を入れないとなと思いつつ、もう一度眠りに落ちた。


 体が思うように動かない。断続的に頭痛に襲われて息苦しい。

 泥の沼よりも深い澱みの中にいるようだ。その日はバイト先に欠勤の連絡をした後もずっと眠りに浸っていた。次に起きた時には深夜を回っていた。


 熱のせいかじっとりと汗をかいている。動くことも億劫で、和真はそのまましばらく天井を眺めた。

 ごろりと横を向いて机に目を向けると、ペットボトル数本が目に入った。急激に喉の渇きを覚えて机に歩み寄る。ペットボトルや薬と共にメモが添えられていた。


『ゼリーとか果物とか食べやすそうなもの冷蔵庫に入れてあるから。他にもし何か食べたい物があったら、いつでも声をかけて』


 整っている字を見ながら、几帳面だなと場にそぐわない感想が浮かぶ。母が用意してくれた経口補水液を口にしたが、あっという間に一本飲み終えてしまった。お茶を更に半分ほど飲んで少し体が潤った気がした。


 回らない頭のまま携帯電話を確認すると、修司からメッセージが入っていた。明日には朱音に玖島からの提案を相談するとのことだ。深夜のため、明日に返事をしようと思い至って再びベッドに横になる。


 浅い眠りと深い眠りを繰り返し、夢と現を行き来する。

 ふわふわと漂うような浮遊感の中、夢を見た。


 燦々さんさんと輝く日が木々から零れる時期。汗ばむ空気の中、蝉の声が耳につく。

 向かうのは社の裏手にある古びた公園。雑草が繁り、人の手がまったく入っていないそこは公園とも言えない場所だった。風雨にさらされて劣化した遊具だけが残っている。秘密基地のようで、一人でこっそりと遊びに行っていた。


 そこで待ち合わせるのは一人の少年。はにかんだ顔が頭の片隅に残っている。たわいのないことを話して遊んで、ただ楽しかった。いつも最後に交わす言葉がなぜか寂しそうに聞こえた。


『またね』


 覚えていなければならないと思ったのに。

 その夢は呆気なく消え去ってしまった。








 前日どっぷりと眠りに浸かっていたためか、翌日には体調は大分落ち着いていた。まだ怠さが残っているが今週末には元の調子に戻っているだろうと、朝食を作りながら和真は思う。昨日当番を代わってくれた姉の代わりに家の仕事をすませているうちに、朱音からメッセージが入っていた。


『一ノ瀬君、二見君から話は聞いたわ。都合がいい時に玖島さんの提案についてみんなで話し合いたいと思っているの』


 直接話した方がいいと思って和真は部屋に戻り、電話をかける。


「五十嵐、いま大丈夫か?」


『ええ、大丈夫。二見君から玖島さんの話は聞いたわ。それとあの日に遭った影のことも。本当にありがとう。無理をさせてごめんなさい』


 修司は玖島からの提案だけでなく、あの影のことも朱音に共有してくれていた。貸していた目を通して状況が分かっていても正確な情報がないと不安だろう。


 朱音によると拓海も桃香も完全とは言えないが、あの日よりは精神的に落ち着いてきているらしい。自身も大変だっただろうに、二人を気にかけてくれる朱音には頭が上がらない。


「こっちこそありがとう。二人とも落ち着いてきたなら良かったよ」


『話し合うために都合が合えば早めに五人で集まろうと思うんだけど。一ノ瀬君の都合はどう?』


 そう言われて直近の予定を思い返す。


「明日はいつでも大丈夫。明後日はバイトで出かけられるのが夕方になるんだけど」


『分かったわ。みんなにも確認しているところだから、時間が決まったら連絡するわ』


「ああ、ありがとう」


 やりとりを終えて電話を切った。修司と朱音に任せきりだなと不甲斐なく思いつつも、昨日の状態だとどのみち使い物にならなかったと思い直す。 


 不意に影と遭遇した時のことが脳裏に蘇る。今更ながら身動きが取れただけでも運がよかったと思った。それだけに、玖島の提案を受けたい気持ちと拓海や桃香に無理をさせたくないという思いが同居する。

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