三章

第78話 錯綜する思惑 〈1〉

「……ゲーム?」


 和真は眉根を寄せて玖島の言葉を問い返す。提案からは玖島の意図がまったく読めない。彼は飄々とした様子で疑問に答えた。


「そう。ルールは簡単でこれと言って特別ことはしないつもり。ちなみにゲームに勝った方は相手に一つだけ、どんな要望をしてもいいっていう報酬付きだ」

「くだらない。一ノ瀬、戻るぞ」


 修司は玖島の提案を一蹴して背を向ける。要望という言葉が引っかかって、和真は修司の対応に反して玖島に尋ねた。


「どんな要望でもいいのか?」

「一ノ瀬」


 咎めのこもった声で呼び止められた。向けられる視線もそれと同じ。しかし、それに負けじと和真は玖島から視線を外すことなく返事を待った。彼はふっと酷薄めいた笑みを浮かべる。


「知っていることを洗いざらい吐けでも命をくれでも、なんでもどうぞ。ちなみに、君たちも気になっているだろう、あの青年やクジラのことも少しなら分かるよ」


 最後に付け加えられた言葉で和真と修司の間に緊張が走る。こちらが青年について情報を欲していると分かっている上での今回の提案。受けること自体が罠、玖島の策に嵌りに行くだけにも思えた。しかし、聞かずに終えるのは得策ではないように思えて和真は先を促す。


「ルールは?」


「この記憶の海の中で相手を捕まえるだけだよ。俺は君たちの誰かを、君は俺を捕まえたらそれで勝ち。ゲームを受けるなら必ず全員参加。異能を使うのは自由だけど、きちんと相手に触れることで捕まえたという判定にする。とはいえ、さすがにそれだと君たちの方が人数が多くて俺の分が悪いから、こっちは魚を使わせてもらおうと思うけど」


「魚を?」


 思いがけない存在がルール上に浮上してきて思わず復唱してしまう。不思議がる和真に対して玖島が答えた。


「俺が匿っている魚に君たちを牽制してもらうと考えてくれればいい。魚型以外も出すつもりだけど俺も全部を一気に制御はできないから、今までよりははるかに危険はないと思うよ。もちろん魚を消失させるのは有効。どう? なかなか興味をそそる趣向でしょ」


 玖島は戯けるように首を傾げて見せる。

 勝った方は相手側に一つだけ要求ができる。和真たちとしては玖島が囲っている魚を消失させるチャンスでもあるということだ。


 玖島がこのゲームは勝った暁にはやはり桃香を要望するのだろうか。しかし、勝っても負けても集めた魚を手放すことになる。勝負事にリスクもリターンも必要であるから提案は妥当な部類なのかもしれないが、どことなく腑に落ちない。

 同じように思案している修司に向かって、玖島は声をかける。


「とはいえ、今日はさすがに話し合う状態じゃないだろうし、ゲーム前日の十七時までに連絡をくれればいいよ。受けるか受けないか話し合って決めておいて」


「……一体どの辺りからこっちのことを見ていたんだか」


「さてね。まあ、これがあるから把握はしやすいんだよ」


 修司の指摘に玖島は自分の耳を指で示してみせる。もう異能を隠すつもりはないらしい。


「ゲームは今週末の土曜日の予定だ。ああ、ゲームについての相談は聴かないから安心しておいて。いい返事を待っているよ」


 玖島は背を向けて手を振ると風に包まれて姿を消した。まさに嵐と言っていい存在だ。ことごとく彼のいいように事が運んでいる上に振り回されている。

 玖島が消え去った方向を見ながら修司が呟く。


「五十嵐さんたちには、少し時間を置いてから話したほうがよさそうだな」

「ああ」


 幾つとも分からない異形を相手にした上、無差別連続殺人犯の記憶から生み出された影と遭遇したのだ。体力的にも精神的にも今すぐ話せるものではない。ただ、早めに情報を共有して玖島からの提案について話し合わなければならない。

 玖島が消えた先を見つめたまま、しばらく沈黙が続く。沈黙を先に破ったのは修司だった。


「一ノ瀬、怪我はどうだ?」

「え、ああ。落ち着いてきたかな……」


 そう指摘されて和真はようやく自分の状態を確認した。打ち付けた背中の痛みは落ち着いている。左肩はまだ痛みと違和感があるが、これぐらいなら直に治るだろうという感覚があった。修司は視線を遠くに向けたまま、静かに言の葉を零す。


「……怪我をさせて悪かった。ただ、身を挺して誰かを庇うのはやめろ」


 その声はいつも以上に硬く聞こえた。何か言おうとして、言葉を紡げずに和真は口を噤む。

 修司は境界に向かって先に歩き出す。何も言葉を返すことができないまま、和真は立ち上がってその背を追った。

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