第77話 暗泥満つる時〈2〉
「……それが核か!」
和真の言葉に修司が反応した瞬間、拘束を破った影が突進する。修司はナイフを避けるが、わずかに掠めて右腕から血が流れた。
すかさずその間に和真が割り込む。見舞うのは風の力を込めた蹴り。
蹴る手応えと共に影が吹き飛ぶ。コンクリートの地面に叩きつけられて転がり、影は形を崩した。距離が空いたと思ったところで悪寒が背筋を襲う。
反射的に振り返った先に影が立ちはだかっていた。和真の足元から現れた人影はなんの迷いもなくナイフを振り下ろす。
「避けろ!」
瞬時に体を捻り、僅差で青い一閃が影を穿つ。一閃は影の胸に中ったが、穴が空いた影の胸を見て修司が顔を歪めた。
罅が入っただけで核の破壊には至っていない。その隙とも言えないような一瞬を影は見逃さなかった。
和真は咄嗟にその場を駆け抜けて修司を突き飛ばす。ナイフが発動した空間障壁を穿ち、長方体の二面でギリギリ止まる。それを横目に見ながら影に向き直りかけた時だった。
ナイフと障壁が砕け、掌底が左肩に当たる。
強烈な痛みと共に体が吹き飛ばされる。身を守るよう風を身に纏わせた途端、衝撃が体を襲った。
「……痛ッつ……」
パラパラと瓦礫が落ちる音がする。
痛みを堪えて目を開けると水が弾け消えるのが見えた。建物に叩きつけられる前に水に当たる感覚がしたのだが、恐らく修司が助けてくれたのだろう。建物の被害から見れば、体の痛みは大分軽いような気がする。
「動くな!」
動こうとしたところで修司の声が聞こえてきた。和真の前に立ち、影を見据える。
掌底が当たった左肩が激しく痛んで手を当てる。しかし、時間を置けば治る分、まだ無理はきくはずだ。
「少しすれば治る……」
「そういう問題じゃない!」
和真の発言に修司は鋭く切り返す。影の方へ駆け出した修司を追おうとしたが、目眩がしてとどまった。それに桃香に付加してもらった空間障壁ももう使ってしまった。どうするべきかという思考が頭を占拠する。
せめて目がもう少し追いつければ。
そう思った時だった。
ふっと暖かい感覚がした。それを境に視界が開け、影の動きが先ほどよりよく見えるようになる。慌てて境界がある方向へ視線を向けると、送り届けた講堂付近で目を伏せて立つ朱音の姿が見えた。
拓海が思いを拾ってくれていて、朱音が目を貸してくれている。
痛みを堪えて立ち上がり、足を踏み込む。
影に肉薄し、修司の頭を狙った一撃を蹴りで強打して外らせる。修司は飛び込んできた和真を見て逡巡するが、すぐに距離を空けた。そのまま和真が影を引きつけて応戦する。
暴風を見舞い、影がぐらりと揺れて形を崩す。
その機を見逃さずに影を捉えたのは複数の水の柱。それは急速に凍りついて氷柱となり、足元から全身を飲み込んだ。それを見て和真は一気に影との距離を詰めて胸へと狙いを定めた。
瞬間、左肩に激痛が走る。
手元に集約した風が離散しかける。痛みで体勢が崩れる中、目の前の影がまるで嘲笑うかのように体を震わせた。ゆっくりと動く世界と弧を描く口元が網膜に焼き付く。
その時だった。
烈風が影の真横から吹き荒ぶ。それは的確に影だけを飲み込み、複数に断絶した。和真は離散しかけていた風が集約するのを感じて、剥き出しになった核を狙った。
風が迸ると共にぱきんと高い音が鳴る。
影の核――血濡れたナイフは刀身が二つに割れてそのまま地面に落ちた。いつの間にか影は消え去り、和真はその場に崩れ落ちて肩で息をする。
警戒を解かないまま、修司が和真の元に歩み寄った。視点がある一点にとどまっていることに気がつき、和真は彼の視線の先に目を向ける。影が朽ちた場所に歩いてくるのは赤紫の髪の男だ。
玖島は二つに割れたナイフを拾い上げる。ナイフは細かく裁断されると、光の粒子となって消え去った。
「無事に倒せてよかったよ」
影を断絶した烈風。そして、気力が足りずに離散しかけた風が再び集約したことから、手を貸したのは玖島以外にないと思っていた。ただ、彼の発言を聞いた途端に懐疑が湧き出てくる。
「……あれは、もしかして」
和真の不信感を汲み取った玖島は笑みを浮かべる。
「まさか。あんな殺意と悪意を煮詰めたようなもの、一人の人間が生み出せるものじゃないよ。消そうにもさすがに一人だと苦労していてね。助かったよ」
つまり、ここで玖島が助けに出てくるのは必然だったということ。手のひらの上で踊らされていたというわけだ。さすがに不快感が拭えない。それに加えて、あのような影がなぜいるのかという疑問も残る。
「じゃあ、あれは一体……」
その疑問に答えたのは玖島ではなく、修司だった。
「あれは無差別連続殺人犯に関連した記憶から生み出されたものだ」
「そ。最近捕まったでしょ。小学生を殺した犯人。そのせいで人の記憶から〈無差別連続殺人犯〉に関するデータが噴出した。過去にも似たような事件は度々あったから、連動して思い出す人が多かったんだろうね。それが核を媒体に現象化した。恐怖と愉悦と、被害者家族の憎悪までもを喰らってね。現実世界に現象化しなかったのが不幸中の幸いかな」
そう言われて戦慄する。あんなものが現実世界に現象化していたらと思うと、恐ろしいという一言では済まされない。利用された形ではあるが、現実世界に影響を与えず影を消失できたのは幸運以外の何物でもなかった。
「それで要件はなんだ? そんな話をするために出てきたわけじゃないんだろう」
修司は警戒を強めて玖島を問いただす。玖島はポケットに両手を入れ、人が良さそうな笑みを浮かべた。
「話が早くて助かるよ。君たちに提案があるんだ」
「提案?」
訝しむ修司をよそに、玖島は笑みを浮かべたまま一言だけ口にした。
「俺と一つ、ゲームをしてみない?」
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