第56話 揺らめく記憶の再演を〈1〉
「はああぁぁ……」
桃香が机に伏せったまま、何度目かの深いため息をつく。
修司と別れた後、和真は拓海たちと連絡を取って喫茶店で合流した。こうなった事の経緯を話したのだが、自分の情報収集から修司に警戒されたのを相当気にしているらしく、謝った後から桃香はずっとこの調子だ。
「もー、悔やんだってしょうがないでしょ。いつもの前向きさはどこいったの」
「私だってへこむ時はへこむんですー……」
拓海にそう言い返すものの、なんとも言えない唸り声を上げて桃香は沈黙した。これは少し元に戻るまで時間がかかるかな、と思いながら和真は改めて話を進める。
「これからどうしようか」
日が落ちたが、修司はまだ帰路に着く気配はない。むしろここから更に遠ざかっているようだ。
「……そうね。二見君をこれ以上追いかけるのは現実的ではないし」
修司にあれだけ警戒されているのだ。朱音が言うように追うのは現実的ではないだろう。それからしばらく話し合っていたものの、結論は出ない。
今日は一旦引き上げるべきかと思ったところで、唐突にがたんという音が響いた。手をテーブルについて席を立った拓海がひどく強張った表情をしている。
拓海はすかさず店を出ようとする。和真は危ういところで手を掴み、拓海を引き戻した。
「拓海、待て! どうした?」
引き止められて拓海はハッとしたようだった。慌てた様子で答える。
「怒ってる感じが伝わってくるんだ。朱姉——」
和真は朱音に視線を向けた。彼女の表情はこれまでにないぐらい強張っていて顔色も悪い。
「二見君、玖島さんと一緒にいるわ」
朱音の発言に空気が凍りつく。何故二人が一緒にいるのかという疑問もあるが、それ以上に脳が警鐘を鳴らす。
「ごめんなさい、私、目を外しすぎていて」
「休んでくれって言ったのは俺だ。五十嵐が悪いんじゃない」
和真はそう言うと修司を追わせている魚に更に意識を向ける。いるのは都内から離れた場所、それも海岸付近だ。
「場所は……遠いな」
どう見ても間に合わない。どうすることもできないのかと思った矢先に快活な声が耳に届いた。
「私に考えがある!」
そう言ったのは桃香だ。
桃香が海を渡るために魚を探したいと話し、四人は夜の街の中へ繰り出す。探知に長けているおかげで魚はすぐに見つかった。細い路地裏に漂う魚を前に桃香は三人に向き直る。
「みんなが修司君を追ってくれている時、私、何もできなかったでしょ? だから一人で色々試してたんだ。その時、空間を意識しながら海を渡ったら望んだ場所に行けたの。多分、私の要素でそうなったんだと思う。それに、何回か成功しただけで今確実にできる保証はない。それでも——」
「やろう。どっちにしてもこのままじゃ、何かあったら間に合わない」
桃香の提案に和真は重ねるように答える。朱音も拓海も異論ないようで言葉なく頷いた。桃香は安堵の笑みを浮かべてありがとうと言い、朱音に向かって手を伸ばす。
「朱音さん、目を貸してくれませんか? 視覚情報を共有してもらえれば、きっと二人の近くに行けます」
朱音は軽く頷くと桃香の手を取った。朱音は目を凝らし、手を繋いだまま桃香が魚に手を伸ばす。
桃香が透明な肢体に触れた瞬間、波に押される感覚が四人を襲う。いつもより長いそれは息苦しさを伴い、まるで海流に呑まれて流されているかのようだ。グラグラと頭が揺れ、意識が呑まれそうになる。
ふっと体を圧迫していた感覚がなくなり、和真は目を開ける。気がつけばじっとりと嫌な汗をかいていた。屈んだまま辺りを見渡すと工場の光に照らされる海が近くに見えた。静かで人気がない。
『みんな、大丈夫?』
朱音の声が頭に響いて和真はそちらに意識を向ける。
『ああ。魚を近くに感じるから、多分場所は問題ないと思うんだけど……』
周りには朱音だけでなく拓海や桃香の姿もない。その疑問を汲んだのだろう、先に桃香が答えてくれた。
『多分、移動の軸がずれてみんなバラバラになっちゃったんだと思う……』
そう言い淀む桃香に続いて拓海の声が聞こえてきた。
『もも、調子は?』
『ちょっと疲れてるぐらいだから大丈夫。いけるよ!』
さっきと変わって快活な声が届く。それに少し安堵を覚えつつも朱音の件もあるので、無理はさせないようにしたいなと頭の片隅で思う。続けて朱音が提案をしてくれた。
『桃香と一ノ瀬君が近いみたい。一ノ瀬君、桃香と一緒に先行してもらえないかしら。必ず行くから』
『分かった』
返事をすると和真はすかさず立ち上がった。
工場に近い休日の夜の海だ。恐らく人目にはつかないだろうと踏んで風を駆使して駆け抜けた。視覚情報を朱音から共有してもらい、すぐに桃香と合流する。
互いに合流できたことにほっとしたその時だった。緊迫した朱音の声が響く。
『一ノ瀬君、二見君が海に落とされたわ!』
思いがけない事実を聞き、和真は咄嗟に桃香を抱え上げた。
「四宮、ちょっと悪い!」
「ひゃあ!」
桃香の苦情を聞き届ける前に和真は足に力を込める。落ちないように桃香は咄嗟に和真の首に腕を回した。
なるべく視界がいいよう高めに跳躍して空を駆ける。一つ跳躍し、滞空したところで目的の人物が見えてきた。
赤紫の髪の男が海に視線を向けて立っていた。桃香がキッと表情を引き締めて玖島を見据える。いつもと違う雰囲気に和真が声をかけようとしたその時だった。
抱えていた桃香が唐突に消え去り、和真は体勢を崩した。それと同時に目の前に叩きつけられた現実に絶句する。
「待ちなさーい!」
宙に躍り出た桃香が玖島に襲いかかる。完全に埒外だったのだろう、玖島が目を向けたが一歩遅い。
「どわッ⁉︎」
体当たりで突っ込んできた桃香に玖島が勢いよく押し倒された。呆気にとられてしまうが、着地した和真は我に返って海付近を見渡す。修司の姿が何処にも見えない。
『五十嵐、二見は!』
『まだ上がってきてないの!』
『分かった、四宮を頼む!』
それだけ伝えると和真はポケットに入れている物を投げ置き、靴と上着を脱いで夜の海へ飛び込む。それに驚いた桃香が声を上げた。
「和真君⁉︎」
わずかに上体を起こした玖島が海に飛び込んだ和真を見て口笛を吹く。それから彼は自分の上に乗る桃香の腕を取って妖艶な笑みを浮かべた。
「やっぱり四宮さん、面白いね。こっちに来ない?」
「お断りです!」
桃香がそう啖呵を切った瞬間、両者の間に青い炎が迸る。
玖島は瞬時に桃香を軽く突き飛ばして立ち上がる。間髪入れずに炎が背面から立ち上がって紙一重でそれを躱した。ほんの少しの間であるが笑みが消える。
更に玖島がわずかに足を止めた時、彼を囲うようにして結晶体が隆起した。三角錐になるように生じた結晶体によって一つの檻が出来上がる。玖島はやれやれといったように自分を囲う檻を見上げた。
「……やっぱり目は厄介だねぇ」
しばらくすると暗がりから人が現れた。朱音は息を切らしたまま玖島を睨み付ける。
「桃香、こっちに」
桃香がさっと朱音の元に駆け寄る。それを見て玖島は肩を竦めると薄く笑った。
「さて、どうしようか?」
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