第55話 信用と懐疑とその狭間〈4〉
気まずいという言葉など遥かに超えた沈黙が両者の間に流れる。
和真たちが今いるのは大手チェーンの喫茶店だ。捕まった二人は反論する余地もなく、修司に近場の店へと連れ込まれていた。
和真は対面に座る修司を改めて見る。同学年であるが、身長が高いのも相まってこうして近くで見ると大人びて見える。こちらの不審な行動に不満があるのは当然なのだが、整った顔では威圧感が増して怖い。
飲み物が届いたところで修司が腕を組み、口を開いた。
「一ノ瀬和真。
唐突に自分の名前と詳細を告げられ、和真は驚いて目を見開く。
「なんで……」
「四宮が俺のことを調べていただろ? 気になったからこっちも色々調べさせてもらった」
四宮の動きは目立つからな、と一言添えて修司はコーヒーを一口飲んだ。
桃香の情報網は広かったし有益な情報も多かったが、確かに動きが目立つよなと今更ながらに思ってしまう。この口ぶりだと、少なくとも桃香のことは調べがついているのだろう。
「貴女は?」
「……五十嵐朱音です」
修司の問いに朱音は大学の学生証をテーブルに置く。身分の偽りはないと信用させるために提示したのだろう。修司はそれを確認するとわずかに嘆息して再び和真に視線を向けた。
「それで、ここまでして俺に何の用だ?」
当然の疑問に和真と朱音は目を見合わせる。
自分たちが直面しているのは現実から逸脱した話だ。すべてを話すには信用などない状態では得策ではないし、到底受け入れてもらえるとは思えない。せめて身の危険があるかもしれないということだけは伝えたいのだが。
朱音が意を決したように修司に向き直る。
「信じられないと思うし、笑われても仕方ない話なんだけれど。……聞いてもらえないかしら?」
朱音が伝えたのは修司の身に危険があるかもしれないということ。それは不慮の出来事かもしれないし、人為的に仕組まれる可能性があるかもしれないということだ。突拍子もない話にもっと訝しがったり驚いたりするものかと思ったが、話を聞いている間、修司の表情はあまり変化がなかった。
「用件は分かりました。ただ、俺の身の心配をしてもらう必要はないです」
全てを聞き終えた修司から返ってきたのは、取りつく島もない言葉。
修司からしてみれば得体の知れない他人からの助言だ。当然とはいえ、消化しきれない気持ちが募る。
そこでカタンと物音がして和真は視線を上げる。気がつけば修司が伝票を持って席を立ったところだった。和真は慌てて声をかける。
「その、信じられないかもしれないけど。透明な魚が見えたりしたら気をつけて欲しい」
透明な魚は変わらずに修司の横で浮遊していた。もしかしたら自分や茉白のように不意に見えるようになる可能性もある。得体の知れないものを見て少しでも話したことを気にしてもらえればいいのだが、如何せん気が触れているなんて思われても不思議ではない話だ。
けれど、修司は笑うこともなければ蔑むこともなく、ただ一言だけ口にした。
「……助言として受け取っておく」
そう言い残すと修司は振り返ることなく店を後にした。その後を尾鰭をゆったりと揺らして透明な魚が追っていく。
その後ろ姿を見送った後、今まで緊張から詰めていた息が二人から自然と溢れ出ていた。
* * *
日が沈んだ街中を一人歩く。都内から少し離れた街はまた違った雰囲気がある。海に関連した広告がモニターに代わる代わる映し出されていた。
修司は振動する携帯電話に気がつき、名前を確認すると電話を繋いだ。軽い調子の声音が響く。
『どうも。君を追ってた子たちは上手く撒けたかな?』
「要件は手短にしてほしい」
おー怖いなぁ、とまったく恐れなど感じていない返事に修司は眉間を寄せる。張り詰める空気を察したらしい男——玖島はふっと笑って修司に告げた。
『まあそうだね。ふざけている場合でもないか。場所は以前言っておいた通り。そこで落ち合おうか』
一方的な会話の後、電話が切られる。
修司は人目を避けるように人気のない湾沿いに向かった。賑やかな施設から離れて少し寂しい場所だ。
海を眺めていた時、人の気配を感じて修司は後ろを振り返る。
そこにいるのは笑みを浮かべる赤紫の髪の男。険悪な空気を隠そうともしない修司に対して玖島は苦笑した。
「ずいぶん警戒されているね。まあ当然かもしれないけど」
まあそれならこっちもね、と呟いて玖島は言葉を続ける。
「まずはバッグをそこに置いてもらおうか。あとはそうだね、携帯電話は出しておいて。録音できそうな物も全部出してもらえると手間が省けて嬉しいんだけど」
にっこりと笑いながら玖島はそう言った。修司はしばらく無言のままでいたが、やがて携帯電話と小型のボイスレコーダーをバッグと共に互いの中間地点に置いた。
玖島はまず携帯電話を操作する。あらかた作業が終わったようで電源を切り、次いでボイスレコーダーを拾うと宙に放り投げて手で弄ぶ。
「録音とか色々データ消させてもらったから。ただ、これはさすがに俺でもちょっと傷つくなぁ。君の様子を探ってたのは俺だけじゃないと思うんだけど?」
「……確かにそうだ。でも、少なくともあんたよりは信用できると思う」
一呼吸開け、修司は玖島を睨み付ける。
「それより、
怒気を孕む声を前にしても玖島は笑みを絶やさない。彼はボイスレコーダーを上着のポケットにしまうと微笑む。
「心配しなくてもいいよ。俺は小さい男の子に興味なんてないから、誓って何もしていないって言えるよ」
「どう信用しろと?」
まあ信用なんてないよねぇ、と玖島はまるで他人事のように言った。それから一変して瞳が剣呑な光を帯びる。
「俺は君に用事があるんだ。だから……少し付き合ってね?」
瞬間、自分の体に異変を感じて修司は目を見張る。
何も目の前に存在しないのに、体が後方に突き動かされた。それも尋常ではない力のかかり方だ。気がついた時には体が岸壁を超えて後方へ傾き、背面に海が差し迫る。暗い海面が視界に入って冷たい感覚が背筋を走った。
不可視のもの——無数の透明な魚が彼を海に引き摺り込まんと、共に海面へと飛び込んだ。
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