第54話 信用と懐疑とその狭間〈3〉

 着いた先は六本木。高層のオフィスビルやマンションだけでなく美術館なども多い。多角的な面を持つ街は外国籍の人の姿もありとても賑やかだ。

 そんな駅の改札口で和真は朱音と落ち合う。異能の目で視たのだろうか、朱音が素早く和真の元にやってきた。


「今のところ変わったところはなさそう」

「そうか。それじゃあ行こう」


 手短に会話を済ませて和真は早々に歩き出そうとした。


「ごめんなさい。ちょっとだけいい?」


 不意に朱音に呼び止められて和真は足を止める。振り返った先の朱音は申し訳なさそうな表情をしていた。


「この間はごめんなさい。拓海が無理を言ったみたいで」

「あ……。いや、俺の方こそごめん。あんなこと言ったのに……」


 和真は慌てて向き直って詫びた。あれほどはっきり言い切っておきながら、あっさり拓海の要望を受け入れてしまったのだ。改めて考えるとかなりばつが悪い。

 朱音は首を横に振り、苦味のこもった笑みを浮かべる。


「拓海のことを考えてそうしてくれたんでしょう? むしろ気を使わせてしまったのが申し訳なくて」

「そんなことないよ」


 そこで道の途上で話し込んでいるのに気づき、二人は通路の端に寄る。朱音は少しの間言葉なく歩く人に目を向けていたが、少し視線を落として躊躇いがちに呟いた。


「あの時、拓海に異能を使わせたくないと言っておきながら……結局は頼ることになってしまった。それに、やっぱり協力してもらってよかったって思っている自分もいて。……嫌になるの」


 朱音の独白にも似た言葉に和真は何も返せず沈黙する。

 きっと、朱音の目と自分の探知だけではこんな早く変化に気付けなかっただろうと和真も思っていた。それ故に、拓海が協力を仰いでくれたことの安堵と自分に対する不甲斐なさが同居する。 


「でも、拓海が自分で選んだんだ。選ばせないよりも後悔しないと俺は思うよ」


 確かに不甲斐なさはある。けれど、拓海に選ばせたことは後悔していない。

 他人が道を決めたとなれば、その人に責任を負ってもらえるだろう。言い訳もできるし、結果に対して不満をぶつけることもできる。しかし、拓海はそうしなかった。自分ができることをしたいと自ら交渉してきた。だからその意志を無下にしたくないと思ったのだ。


 和真の返答を聞くと朱音は少し目を見張った。それからふわりと笑う。


「……そうね。そうかもしれないわ。それにね、ちょっと貴方が羨ましかったの」

「え?」

「拓海が無理なお願いしてくることなんてなかったから、ちょっと妬いちゃった」


 朱音は悪戯っぽく笑った。


「呼び止めてしまってごめんなさい。そろそろ行きましょう」

「あ、ああ」


 戸惑いがちに相槌を打つと、朱音は先ほどと変わっていつもの柔らかい笑みを浮かべた。二人は駅構内を出て賑やかな街中へと繰り出す。しばらく足を進めると大型書店に辿り着いた。


 様子を見るだけなら朱音の目で探ればいいが、何か起こるならなるべく近場の方がいいと言うことで程よい距離を保ちつつ修司を追う。相手に不信を抱かれないように尾行するというのはかなり難しい。挙動不審にならないように努めるが完全な不審者だよな、なんて思ってしまう。彼は本を選んで購入するとその場を後にした。


 ここまで遠出して本屋に来るものだろうか、という疑問を浮かべつつ後を追う。次に彼が訪れたのは駅近くにある複合施設だ。その中にある一つの施設に入っていき、その名前を見て思わず足を止める。


 有名なカメラメーカーの名前が掲げられている店舗だ。調べてみるとプロ・アマ問わず写真展が催されていて、カメラ用品も陳列されているショールームらしい。


「……大丈夫か?」

「あ、ええ……」


 朱音の返事はやはりぎこちなく、顔色もいいとは言えない。


「……展示とかの作品は、今は見られるようになってるんだけれど。まだ、少し……」


 事故がなければ今も朱音は写真を撮っていたのだろうか。事故のことを思い出すためにカメラ関係の物を見るのは辛いだろう。先ほどの言葉を聞く限りでは好きという気持ちもあって、余計に辛いのかもしれない。


「俺だけで行ってくるよ。五十嵐はどこか店に入って待っててくれ」


 戸惑った表情で朱音が頷くのを確認してから、和真はショールームに入る。


 展示を見ている人はそこそこいるが、空間が空間だけに気をつけないと目立ちそうだ。魚の気配を頼りにしつつ、修司の様子を伺うことにした。彼はしばらく展示やカメラ用品を見ていたが、意外にもそれほど長く滞在しないで外に出てくれて安堵する。朱音と合流すると彼女もほっとした様子だった。


 それからも周辺地域を散策している修司を追ったのだが、歩く速さにばらつきがあり、人目につきそうな店に入っていくことがあって後を追うのにも神経を使う。修司が四回ほど続けて右に曲がったところで朱音が声を上げた。


「……一ノ瀬君、ちょっと待って欲しいの」

「え?」


 朱音は厳しい表情で和真の腕を取って道の端に寄る。それに加えて少し顔色が良くないように見えた。


「多分、私たちのこと気づかれてるわ」


 そこで和真はハッとして先ほどまで見ていた方向へ視線を向ける。

 同じ方向に四回曲がる。それは元の場所に戻るだけの行動だ。意図を持った動きからすると、朱音の言う通り修司が誰かに追われていると気づいていることになる。


「警戒されている以上、深追いは良くないと思う。一回引いて、私が遠方から視るようにしたほうがいいと思うの」


「……ちょっと待ってくれ」


 和真は朱音に断りを入れ、拓海に一度電話をかける。意識を向けてやりとりした方が早いが、玖島が拓海と同じ異能を持っているという推察の中ではあまり得策ではないと判断して、今はできるだけ使わないようにしていた。


「拓海、二見のことで変わったことはありそうか?」

『えっと、今はなんだろ。ピリピリしていて緊張……ううん、警戒してる感じがする』


 拓海から朱音の推察を裏付けるかのような言葉が返ってくる。


「そうか。分かった。四宮とは合流できたか?」

『うん。何かできることあったら言って』

「ああ。ちょっとこれからどうするか考えるから、また連絡する」


 分かった、という返事を聞き届けて和真は改めて朱音に視線を向ける。

 落ち合った時は違和感なかったのだが、今は疲れが垣間見える。七月の半ば、天気のいい今日はかなりの暑さだ。蒸していて余計に暑さも際立つ。それに加えて。


「あんまり顔色が良くないみたいだけど、もしかして、今日ずっと二見の様子を視てたんじゃないか?」


 和真の問いに朱音は沈黙する。

 精密さや密度によって違うと思うが、異能を駆使し続けるのは負担がかかるはずだ。どのくらい負担になるのかは和真にはよく分からない。ただ、顔色が悪いことを鑑みると、これから長時間続けるのは得策ではないように思えた。


「まだ大丈夫よ。できることが限られているのなら、できることをやらないと」

「倒れたら元も子もないだろ? この暑さだし、その服装だと——」


 そこまで言いかけて、和真は今になって違和感に気がついた。


 真夏にもかかわらず、朱音はスカートにタイツを履いている。パンツ姿以外の時はいつもそうだった。それに加えて、必ず長袖かそれに準ずるカーディガンなどを羽織っていた。ごく普通に朱音が振舞っていたが故に失念していたことを思い出す。


 彼女は交通事故で生死をさ迷ってる。どのくらいの怪我だったのか聞いていないが、決して軽いものではないだろう。それが彼女が暑くても肌が隠れる服を着ている理由。


 言い淀んだ和真の様子を見て、朱音は右手で左腕を不安そうに握りしめる。ただ、それは一瞬ですぐに彼女は顔を引きしめた。今更すぎると自分に悪態をつきながら、和真は再び口を開く。


「五十嵐、あとは俺と拓海たちでやるから、もう帰った方がいい」

「これくらい大したことじゃないわ」


 自分を蔑ろにするような言い方に少しだけムッとしてしまう。反射的に言い返そうとした時、朱音がハッとした様子である方向を見たのに気がつき、和真は彼女の視線の先に目を向けた。そうして歩み寄ってくる人物を見てヒヤリとした感覚がした。

 修司が不満そうな態度を隠すことなく、二人の前で足を止めた。


「とりあえず、話を聞かせてもらおうか」

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