第53話 信用と懐疑とその狭間〈2〉

 弓道場の見学を終え、修司の動向を追い始めてちょうど二日目。  

 弓を構えるという普段しない姿勢のために道場を訪れた翌日は筋肉痛に襲われた。一応サッカーの練習を始めてから運動は継続しているのだが、使う筋肉が違うのだろう。今日はいくらかマシかなあと思いながら和真は背中を伸ばす。


 和真は学校の帰りがけに魚の気配を追う。修司がいるのは学校近辺だ。特別変わった場所ではないので、そのまま様子を見る。

 修司を追っているが、今のところ何も起きていない。平日ということもあって彼が動く範囲も自宅から学校、道場や塾の近辺なので追うのも容易かった。早めに動いておいてよかったかな、と和真は一人思う。


 家族三人での夕食を済ませ、片付けが終わったところで部屋に戻ると携帯電話のランプが明滅していた。和真は着信履歴の名前を確認してすぐに折り返す。


「拓海、どうした?」


 電話をかけてきたのは拓海だった。普段と変わりなさそうな声音が返ってくる。


『ちょっと相談したくてさ』

「なんだ?」

『朱姉と和兄、二人で色々やってるでしょ。それ、俺にもやらせて欲しい』


 拓海の申し出にやっぱり来たかと和真は思った。

 ただこうして拓海が相談してくるのは想定内のことだ。和真も譲らずにさっぱりと返す。


「駄目って言ったら?」


 その問いに対して返答はすぐに来ず、二人の間に沈黙が訪れる。先んじて和真は畳み掛けるように続けた。


「許したら五十嵐との約束を即破ることになって、俺の面目が潰れるんだけど」

『じゃあ、俺のために潰してよ』

「ええ……」


 思ってもいなかった返答に和真は困惑してしまう。先ほどと打って変わって神妙な声が電話越しから聞こえてきた。


『分かるよ。二人が心配してくれてるのは。……でも、やれることがあるのにここで何もしなかったら、後悔する気がするんだ』


 拓海の言葉に和真は口を閉ざす。

 拓海の気持ちは分かる。朱音と記憶の海で再会した時、何ができるか分からなかったけれど、見過ごすことが出来なかった。できることがあるならやりたいと思った。


 選べるものがあるのに選ばせない。したいという意思があるのにやらせないことは、果たしていいことなのだろうか。


 しばらくの間、沈黙が流れる。

 どのくらい経っただろう。和真は少し大仰にため息をつくと、念を押すように釘を刺す。


「……俺は止めたからな。五十嵐の説得は自分でしてくれよ」

『うん。和兄が許してくれたって言っとく』


 やたらと強気な拓海にもはや閉口してしまう。ほんの少しだけ間を空けて拓海はぽつりと零した。


『ほんとごめん。……それに、ありがとう』


 またねと言って拓海は通話を切った。押し切られたなと嘆息して和真は背もたれに背を預ける。自分も朱音に呆れられる覚悟でもしておくかと思いながら、和真は目を伏せた。


 その後、拓海は朱音から無事承諾を得ることができたらしい。かなり渋られたようだが、朱音の方が折れてくれたようだった。




 そんな成り行きで拓海には修司の感情の変化や起伏に注意してもらっている。ただでさえ私生活を侵しているようなものなので、心を読まないという方針に加えてできるだけ最小限の関与にとどめようという話になったらしい。


『何となくだけど、二見さんの感じ、今までと違う。今日何かあるかもしれない』


 拓海からそんなメッセージが入ってきたのは土曜日の午後。バイト上がりにメッセージを確認した和真は慌てて支度をして外に出た。その下には十分前ほどに朱音からのメッセージが入っていた。


『二見君を追った方がいいかもしれない。相談するのにルーム作っておくから、入れる人は入って』


 ミーティングアプリに入る前に和真は魚の気配に意識を集中する。

 修司がいるのは街中だが、今までとは違って少し遠い。休日なのだから遠出しても変なことではないが、いつもと違うと拓海に言われて不安の方が先に立つ。


 ルームに自分以外の三人が入っていることを確認するとイヤホンを着け、音声だけ繋げてアプリを起動する。


「ごめん、遅くなって」

『いえ、大丈夫よ』

「それで、どんな感じだ?」

『二見君に今のところ変わったことはなさそう。一ノ瀬君ならもう察知していると思うけど、出かけているからちょっと心配ね』


 普段の生活区域外となると行動が読みにくくなる。その間に何か起こるとなると対応もしにくい。


「拓海、もう少し様子を教えてくれるか?」

『うん。ちょっと前まで違和感ぐらいで具体的に分からなかったんだけど。今までと比べるとちょっと緊張してる感じ、かな。それに……少し不安も感じるんだ』


 緊張と不安という言葉に不穏な気配を感じる。修司自身が何か異変を察知しているのか、それとも別の事情があるのか。いっそ私的な用件で大したことでなければいいんだけどと和真は思った。

 何かできることはないか、と思い至ったところで念のために確認をしたくなって和真は桃香に問う。


「四宮は何か夢見たとかは……ないよな」

『うん……ごめんね』


 謝ることないんだけどなと思いつつ、そんなことないよと返すことぐらいしかできない。それから改めて早めに動いたほうがいいなと思って提案する。 


「俺は今からでも二見のこと追えるけど」

『私はすぐには無理で……』


 言い淀む桃香の後を朱音が素早く引き取る。


『それなら、私と一ノ瀬君で二見君を追いかけましょうか。拓海は桃香と時間を相談して落ち合って、一緒に動いてもらっていい?』

『分かった』


 それぞれ待ち合わせ場所など決まりごとを纏めると通話を終えた。和真は電車の乗り換えを検索すると早々に駅の構内に向かう。


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