第52話 信用と懐疑とその狭間〈1〉

 学校から帰宅した後、ここのところ落ち着かないなと和真は思いながら課題をする。少し進んだところで着信が鳴って、五十嵐朱音という名前を確認するとすぐに電話に出た。


『ごめんなさい、今大丈夫?』

「ああ、大丈夫。あのことだよな? どうだった?」

『ええ、私の方は特に問題なさそう。一ノ瀬君の方は?』

「ああ、こっちも問題なさそう」

『そう、よかった」


 試みたことが問題なくできたことに和真は安堵する。


 発端は土曜日に駅で解散した後のこと。


 身に危険が迫る恐れがある修司のことをどうするか。異能を隠している玖島に対して自分たちが何ができるのか。心の図り合いをしなくて済むには何をすべきか。今抱える問題点を改善するために、あることを試してみようと和真と朱音は二人で海を渡った。


 それは魚を従わせてみるというもの。魚に修司の後を追わせ、様子を見たり場所を把握することはできないかという試みだ。玖島のこともあり、ある程度の範囲なら魚を意志を持って動かせるはずだということでやってみようという話になったのだ。模倣になるし、何よりもあの魚を使うのは気が引けるのだが、四の五の言っていられる状況ではない。


 そうして海を渡って魚を従える試みを始めた。触れると魚は当然のように消失してしまう。どうしたものかと思案したところで和真は玖島の言葉を思い出した。


 どうやって魚を操っているのかという問いに対して、彼はもう言うことはないと言った。そうして思い至ったのは記憶の海で対面した時の〈魚はくう、空っぽの存在〉という言葉だ。


 本質が空ならば自分たちの意志を乗せることで魚が付き従うのではないかという憶測が浮かんだ。本当はもっと違う意図を持った言葉なのかもしれないが、何度か繰り返して試したところ成功したのだ。


 魚を従わせてある程度動きを制御できそうになった頃、問題になったのは実際に活用できるかどうか。そこで朱音が桃香に連絡を取って魚を同伴して日常を過ごす実験をしたのだ。魚を目印にして目視したり、場所を把握するのは問題なく行えることが今回分かった。


『ただ、やっぱり長時間は難しそうだし、魚を通しての視界だから不明瞭なところもあるわ。二見君が外出している時に注意して様子を見てみようと思うの』

「そうか。ただ、無理しなくていいから。こっちは予定通り明日行ってみるよ」

『……大変なことを頼んでごめんなさい』

「そんなことないよ」

『何かあったらすぐに連絡してもらって大丈夫だから』


 分かった、と返事をして電話を終えて和真は肩から力を抜く。今のところやろうとしていることは上手く事が運びそうだが、逆にそれが不安を煽る。



 ——なんだか揃わされてるような感じがする。



 以前聞いた拓海の言葉が頭に浮かぶ。

 もし本当にそうだったら、玖島が誘導している可能性はないだろうか。桃香を追っていた魚も彼が差し向けていたのではと考えると、嫌な方向へ思考が巡ってしまう。


 そこまで考えて和真は思考を一旦区切る。不安を必要以上に感じても解決するものでもない。課題を終えて明日行く場所を改めて調べると、早々に休むことにした。





  * * *





 翌日、学校の終わりに通学沿線のある駅で降りる。きっとこんなことがなければ訪れてみようとさえ思わなかっただろうなと、和真は敷地内を見渡した。


 地図アプリを頼りに着いた場所は弓道の道場。修司が以前から通っているという道場だ。


 桃香が調べてくれた情報によると修司はこちらの道場には通っているらしい。魚に修司を追ってもらうためと、もう少し彼の様子を知っておきたいということで見学の名目で訪れたのだ。


 受付を済ませると道場内に案内される。弓道を直に見るというのは言うまでもなく初めてで、中は独特の雰囲気が漂っていた。それに加えて、道具や道場内は伝統的な工芸が垣間見えて興味をそそられる。その中で弓道着を身につけ、射位に立って矢を射る姿は静かなのに凄みを感じた。


 そんな中、一点に目を奪われた。


 射位に人が並んで立つ中、同い年ぐらいの男が整った姿勢で弓に矢を番える。視線も弓を射るまでの動作もぶれることがない。弦が水平に引き絞られ、極限を迎えて離される。


 放たれた矢は狂うことなく的の中央にあたった。濁りのない所作はまるで一切揺らぎのない湖面のよう。



 それはまさに——明鏡止水。



「こんばんは」


 声をかけられて和真はハッとする。

 穏やかな笑みを浮かべた壮年の男性が歩み寄ってくるところだった。若いけれど指導者なのだろう、所作が綺麗でどこか重みを感じる。和真は慌てて挨拶をした。


「こんばんは」

「見学の一ノ瀬君だよね。どうかな?」


 感想を求められ、和真は率直に思ったことを口にする。


「動きが綺麗ですね。……静かなのに力強いというか、凄みを感じます」

「そう言ってくれると嬉しいよ。所作には力を入れているんだ」


 男性はふわりと優しく笑う。先ほどよりも柔らかい雰囲気を感じ、和真は自然と男性に尋ねていた。


「あの、あの人は?」


 和真が向けた視線の先にいる人の姿を見て、男性は納得したように相槌を打つ。


「ああ、二見君だよ。確か一ノ瀬君は同い年だったね」

「そうなんですね」


 やっぱり、と思いながら和真は修司に視線を戻す。桃香から見せてもらった写真の人物が目の前にいると思うとどこか不思議な気分だ。先ほどの矢を射る光景が脳裏に浮かぶ。


 惹き込まれるとはこういうことなのだろうと思った。あの所作に加えて精悍な顔立ちを見れば、女子に人気があるというのも頷けた。そこでふと自分が何をしに来たのか思い出して、慌てて和真は自分の傍らにいるものを一瞥する。


 連れていた透明な魚に修司を追ってもらうように意識を向ける。魚は豊かな尾鰭をふわりと揺らせて彼の元へと泳いで行った。そばに留まったのを確認したところで再び声をかけられる。


「彼のこと気になる?」


「ああ、えっと……矢を射る動作が綺麗だなって思って。目に留まったというか。それに弓道って奥深いですね。段位取るには実技だけじゃなくて筆記試験もあるみたいですし。特に指導される人は大変そうで」


 他の人には見えていないとはいえ、魚を追わせることへの後ろめたい気持ちもあっていつもより言葉が多くなる。男性は和真の返答を聞くとにこにこと嬉しそうに笑みを深めた。


「意欲的でいいね。よかったら、今日ちょっとやってみないかな?」

「へ?」


 言葉と共に向けられた期待の目に、和真はやってしまったなと心の中で思った。

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