第50話 家族の和〈1〉

 陰る部屋の隅で顔を伏せ、膝を抱えて一人でうずくまる。


 父の作業部屋は柔らかな光が差し込んできて暖かい。様々な機械や工具が置かれている不思議な空間で、玩具箱の中にいるような気分になる。そこは父が物作りをする度に一緒に入り込んでいて、何か嫌なことがあった時に逃げ込んでいる場所だった。


 かちゃんと扉が開く音がして、誰かが近付いてくるのを感じる。視線を上げると柔らかな笑みを浮かべる男性がカップを持って立っていた。


「おとうさん」

「和真、どうした?」


 父は笑みを浮かべたまま自分の隣に座る。ほんのりと湯気が立っているカップを差し出されるが、それを受け取らずに組んだ腕に口元を埋めて視線を落とす。


「みんな、俺のこと、うそつきって言うんだ。うそじゃないのに。ちゃんとそこにいて、ちゃんと見えるのに……」


 じわりといつの間にか涙が溜まってきて拭う。噴き上がってきた悲しさと悔しさから声を荒らげていた。


「おとうさんは信じてくれるよね? うそつきなんて言わないよね⁉︎」

「もちろん、信じるよ」


 笑いながら父は頭に手を置いてくれた。間のない返答に本当は安心すればよかったのかもしれない。しかし、何故かその時は素直にその言葉を受け取れなかったのだ。父がもう一度カップを差し出す。


 中には温められた牛乳が入っていた。それを受け取って両手で包み込むように持つ。じんわりと温かさが伝わってくるが、どこかぽっかりと空いた胸の隙間は埋まらない。


「ねえおとうさん」

「ん?」

「おとうさんは……ずっと味方でいてよ」

「ああ。正直に話してくれるなら、いつだって和真の味方だよ」


 そう言われて、ようやく受け取ったカップに口をつける。温かくて柔らかい甘みが口の中に広がった。




 そんな話をしたのは、いつだっただろうか。




* * *




 ふと目を覚ます。


 夏の陽は時間が経つにつれ暴力的だ。寝すぎてしまってカーテン越しの光が強く感じる。まだ覚めきらない頭のまま、和真はリビングへと向かった。


「おはよ」

「……おはよう」


 リビングにいた姉に声をかけられて和真は挨拶を返す。おはようと言うものの起きたのは朝と昼の間の時間帯だ。和真は顔を洗った後に一人分の食事を用意する。


 お湯を沸かしながらウインナーを焼く傍らで目玉焼きを作る。焼ける間に適当にサラダを作るとそれっぽい朝食兼昼食の出来上がりだ。インスタントコーヒーを入れるとぼんやりしていた頭が少しだけ冴えた様な気がした。


 テレビを眺めながら目玉焼きを乗せた食パンを口に運ぶ。麦茶を飲みながら同じようにテレビを眺めていた千晃が眉根を寄せた。


「和真。今日、さとしん家に行くんでしょ? ボーッとしてて怪我なんかしないでよ」

「手はかかるかもしれないけど、そんな大事じゃないから大丈夫だって」

「そう?」


 姉の相槌を聞きながら和真は黙々と食事を摂る。片付けを終えると今日必要な物の準備をした。昨日帰ってきた時にやっておけばよかったのだが、あの後も試験的なこと行っていて、疲労から一度寝落ちしてしまったのだ。


 準備をしてその他の用事を片付けていると時計の針が十三時に迫っていた。準備した物を片手に和真は家を出る。


「行ってきます」

「ああ、うん」


 家を後にした和真の後ろ姿を見ながら、千晃はぽつりと一人呟いた。


「……本当に大丈夫?」




 


 陸田むつだ家に着いて早々、壊れた障子の前で道具を広げる。今はちょうど沙織も理沙も出かけている時間だ。作業を始めてしまえば文句も言えないだろうということで早めに取り掛かる。今日頼んでいたパソコンが自宅に届くことになっていて、俊は和真と入れ替わりの形でカスタマイズをしてくれる予定になっていた。


「ほんじゃ頼むわ」


 俊も準備を終えると一ノ瀬家に向かった。手慣れているからきっと自分より早く仕事を終えて帰ってくるだろうなと思いながら、和真は壊れた障子戸を外す。


 入れ替える桟は既にサイズを指定して切り揃えてもらってあるので、組み合わせられるように加工していくのが今回の主な作業だ。ちゃんとした道具があればもっと早く作業出来そうなんだけどと思うが、こればかりは仕方ない。


 黙々と手を動かす。作業に集中すると没頭してしまっていつも時間を忘れてしまう。どのくらい経ったのだろう。不意に視界に何かが差し出されてきて、和真は視線を上げた。 


「お疲れ様。アイスどーぞ」


 いつの間にか夏海が横に屈んでいた。和真はありがとうと礼を言うと、一旦作業を止めて差し出されたアイスを受け取った。少し高級なアイスはチョコとナッツでコーティングされていて、口に含むと滑らかなバニラアイスが程よく口の中で溶ける。


「それにしても大変だねぇこの修理」

「他人事みたいに言うなよ……」


 同じアイスを食べながら、まるで他人事のように言う夏海に思わず和真は渋い顔をする。夏海は外された桟を弄りながら悩ましそうにため息をついた。


「他人事だなんて思ってないよ。姉貴と相部屋だからこれでも気を使ってるんだよ〜。家の中もピリピリしてるしさ」

「……そっか」


 普段あまり不安事を言わない夏海がそう言うのであれば余程のことなのだろう。もらったアイスをありがたく食べながら、早めに片付けないとなと和真は作業の算段をした。


「障子張り替えるぐらいは手伝えるからさ。呼んでよ」


 そう言って夏海は早々にその場を後にした。きっと邪魔をしないように気を使ってくれたのだろう。和真は残ったアイスを食べ終わるとすぐに作業を再開した。


 桟の準備が整い、接着剤をつけて組み立てていく。接着剤を乾かしている間に今度訪れる予定の場所を調べていると、かちゃんとリビングの扉が開く音がした。




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