第49話 記憶が映すもの〈3〉
「おっと、また会ったね」
「あんた、なんなんだよそれッ」
拓海がすかさず玖島に食ってかかった。それは当然だと和真は思う。
玖島の周りには数匹の透明な魚が漂っていた。初めて遭遇した時と同じように彼を害する様子もなく、ふわふわと浮遊している。玖島は浮遊する魚を一瞥すると事も無げに返した。
「君たちがいつも見ている魚だけど?」
「なんでそれを引き連れてるんだって聞いてるんだよ!」
苛立ちを隠せない様子で拓海が問いただす。しかし、そんな様子に動じることなく玖島は酷薄な笑みを浮かべた。
「君にそれを話す必要性は感じないかな。それじゃあ」
玖島が背を向ける。それと同時に彼は素早く身を翻して、わずかな足の運びで地面から隆起した結晶を躱す。
「おっと」
後退した先に更に結晶が隆起するが、彼は跳躍して避けると器用にその上に乗った。片足のつま先でトントンと結晶体を叩く。
「強度は十分、スピードはそこそこ。まあ、なかなかいいんじゃないの?」
「……!」
余裕そうな笑みを向けられて拓海は悔しそうな表情をした。和真は拓海より前に出て玖島に相対する。
「どうやって魚を従えているんですか?」
「それについてはもう言うことはないかな」
にっこりと笑みを浮かべられながら返される答え。玖島の思惑は相変わらず読めない。そこで朱音が目を見張り、誰にともなく呟いた。
「もしかして、貴方の目的は命を喰らった魚を集めること……?」
朱音の言葉に玖島は返答せず、ただ淡く笑ってみせただけだった。そのまま彼はくるりと背を向ける。
「お互い用は済んだようだし、今日はこんなところで」
玖島は手を軽く振るとふわりと跳躍してその場を後にした。その後ろ姿が見えなくなってから、和真は朱音に視線を向けた。
「五十嵐、さっきのって……どういうことだ?」
「玖島さんが従えてた魚、すべて虹色の光を帯びてたの」
つまり命を喰らった魚を従えていたということだ。初めて出会った時は十秒ほど。理解が追いつかず気にしている余裕もなかった。あれも命を喰らった魚だったのかもしれない。
「でも、どうしてそう思うんだ?」
玖島が魚に命を喰らわせているという可能性もある。疑問の意図を汲んだ朱音が戸惑っている様子で口を開いた。
「上手く言えないんだけれど、玖島さんの言葉の端には魚に対するいい印象がないように感じていて。拓海のように心を読めるわけでもないし、確証なんてないんだけど……そう思ったの」
確証のない印象。言ってしまえばただの直感だが、和真自身も玖島が魚と自らを隔てる言い方をしていたのは引っ掛かっていた。拓海が理解できないと言った様子で虚空を見つめる。
「本当に何考えてるんだ、あの人……」
もし朱音が言うように玖島の目的が命を喰らった魚を集めることだったとしても、理由が分からない。ただ、魚を消失させることを目的とする自分たちとは相反する。相容れない道を辿っている玖島とは対立する他にないのだろうかと和真は思った。
「一ノ瀬君。考えているところ申し訳ないんだけれど、今日は戻りましょう」
「……ああ」
朱音の案内のもと境界を渡る。いつものように水底の世界を渡り終えると古びたトンネルが目の前に現れた。
明るかったはずの辺りは薄暗くなり、藍と橙のグラデーションが木々の隙間から見える。今回はあの少女に引き込まれる形で海を渡ったためか、時間が大幅に経過していた。不意に桃香がトンネルに向かって一人歩き出す。
「もも?」
拓海の声かけに応えず、桃香はトンネルの端にかがみ込むとバッグの中からいくつかお菓子を取り出す。小さく封を開けてトンネルの傍に添えると、目を伏せて手を合わせた。
静かに時が流れる。しばらくすると桃香は目を開けて言葉を零した。
「……面白がっちゃったから、ごめんねって謝りたくて」
いつもより神妙な桃香の声が静かに消える。拓海はそんな彼女の横まで歩み寄ってかがみ込むと、同じように目を伏せて手を合わせた。和真と朱音もその場で目を伏せて、消えていった少女に思いを馳せる。
それから気持ちが落ち着いたのか、桃香と拓海が立ち上がった。真剣な表情で拓海がぽつりと呟く。
「……それにしても、あの人の異能ってなんだろう?」
考えてはいるものの、玖島が上手く能力を隠しているふしがあるので結論に至れていない問いだ。
「五十嵐は目で遠くまで見通せるけど、視覚情報以外は分からないんだよな?」
「ええ。私たちの視覚以外の情報を正確に得ていることを考えると、玖島さんの異能は目ではないと思う」
朱音の言葉と聞くと桃香がうーんと唸り、言葉を引き取る。
「私たちの先を行ってる。情報収集に長けてる。拓海君の異能をすぐさま察知する。って考えると、玖島さんも心を読めるのかなあって思うんだけど」
「あの人と一緒とか死んでも嫌なんですけど」
「えー、可能性としては高いから気をつけた方がいいと思うんだけどなぁ」
「心も異能も上手く隠すんだから隠すとかでいいよもう」
「時々ぶん投げるよね、拓海君」
二人はあれこれと好き勝手に話を広げる。その様子に苦笑しつつも和真は肩の力を抜いて軽く息をついた。改めて玖島の異能については対処を考えたほうがいいと思うが、今は少しだけ二人の会話に耳を傾けていたくなる。
ふと横に視線を向けると、朱音が不安そうな表情を浮かべていた。
「どうしたんだ?」
「もし、玖島さんが心を読めるなら……心を読み合って争うことになってしまわないかしら」
朱音は左腕に添えていた右手をきゅっと握りしめた。表情は曇り、不安と憂いが濃くなる。
「拓海にはそんなことさせたくない。人の心は善意だけではないもの……」
そこでようやく気がつく。朱音が玖島の心を読もうとした拓海を諌めたのは、彼に負担をかけたくないという思いが根底にあったからだ。
今回の件を見ても拓海は人の心に寄りすぎる。嬉しいことも憂えることもだ。苦しい思いをした人には特にそうだろう。それに本当の両親のこともある。他人に向けられるものだとしても、悪意を直に受けさせたくないという朱音の思いは当然だと思った。拓海に視線を向けて和真は言い切る。
「させないよ。拓海がやるって言っても」
たとえこちらの分が悪くても、心を読んでの図り合いなどさせない。そのためには今できる中で最善を尽くす必要がある。
朱音は目を見張ると少し苦しそうな笑みを浮かべた。
「……ありがとう」
拓海と桃香がささやかな論議を終えた後、四人は古びたトンネルを後にする。背を向けた時に別れを告げるように、チリンと鈴の音が聞こえたような気がした。
最寄り駅まで戻ってプラットフォームで電車を待っている中、携帯電話を弄っていた桃香があっと声を上げて和真は視線を向ける。
「この間の犯人捕まったんだ」
「……そうみたいね」
朱音の相槌を聞いて和真も携帯を確認する。検索サイトのトップページに小学生中学年の男児を殺したとして男が逮捕されたという見出しが出ていた。ついこの間、ニュースで報道されていた事件だ。内容を確認すると犯行動機は殺す人は誰でもよかったという身勝手な内容で、余罪についても捜査中とのことだった。
「これ見て思い出したんだけど、今の高校生とかの世代ってあれだよね」
「あれ?」
桃香の意図を図りかねて和真は問い返す。桃香は浮かない表情で答えた。
「関東県域で幼児から小学生中学年ぐらいを狙った連続殺人事件があって、よく注意されてた年代というか。あれって結局犯人見つからなかったんだよね」
「そうだっけ?」
そういった話は聞いたことがある気がするけれど、記憶が曖昧で和真は正直にそう返した。返答に驚いたようで桃香は目を見張る。
「和真君覚えてない? 確か幼稚園の年長さんぐらいだったと思う。知らない人について行かないようたくさん言われたんだよね。事件の後も結構長い間、遊びに行く時は近くの公園でも親が一緒だったんだけど」
桃香の意外そうな声音に和真は弁明する。
「俺、小学校上がる前の頃、祖父の介護で一時的に母さんの地元に戻ってたからさ」
祖母が亡くなった後、介護をしていた祖父も後を追うように他界した。祖父母の身辺を片づけ、一段落したところで都内に戻ったのだ。桃香に視線を向けられた拓海は少し歯切れの悪い返答をする。
「俺もその頃色々あったから……よく覚えてないや」
「……そうだったんだ。大変だったんだね」
桃香が申し訳なさそうにそう言った。朱音が苦笑いを浮かべて助け舟を出す。
「みんな色々事情があるもの。私も覚えていないことは多いし、小さい頃の記憶が曖昧なのは仕方ないと思うわ」
朱音の言葉にそうですねと桃香が相槌を打った。事件についてはあまり見たい内容ではなくて、和真はすぐに記事を閉じる。
あの古びたトンネルを離れても、大粒の涙を流す少女の姿が頭にずっと残っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます