第43話 邂逅〈3〉

「う、漆間うるま茉白ましろです。あの、さっきは……本当にすみませんでした……」


 別れていた朱音たちと連絡を取り、見知らぬ女性を含めた五人で集まるのはお洒落な喫茶店だ。席についてそれぞれ簡単な自己紹介をした。


 漆間茉白、大学二年生。ふわりと緩く波打つ亜麻色の髪に色素の薄い肌は白磁のようだ。どうやら母方の祖母が外国籍のようで彼女はクォーターらしい。顔立ちを見るとそこまで彫りは深くないが、確かに言われてみれば日本人とは違う雰囲気がある。


 唐突に現れた茉白に和真と拓海は当然動揺した。そんな二人に対して彼女は魚に触れてみせ、ここにいますよねと差し迫ってきたのだ。前触れもなく魚に触れて何か起こるのではと身構えたものの、その時は特に変化がなかった。


 その経緯から和真たちも茉白も相手が確実に魚が見えているということを認識する結果となる。その後、話を聞きたいと茉白が必死に頼み込んできたので、どうするべきか判断に困った和真は朱音たちに連絡を取ることにして今に至る。

 それぞれ飲み物が届いたところで、朱音が改めて茉白に尋ねる。


「漆間さんは透明な魚が見えるんですよね?」

「はい」

「いつからですか?」

「……おおよそですけど一ヶ月前ぐらい、からですかね」


 今の茉白は表面的に見ても健康だと思われる。ここ最近で死に近い体験をしたようには見えない。朱音もそれは分かっているのだろう、神妙な表情で重ねて尋ねた。


「どうして透明な魚のことを知りたいんですか?」

「その、私の……大切な友達が半年ぐらい前に倒れてしまって、ずっと意識が戻らないんです。それからずっとお見舞いに行っているんですけど、一ヶ月ぐらい前にその透明な魚を病室で見て。それからたまに街でも見るようになったんです」


 茉白の告白に和真は目を見張った。自分と似たような経緯を聞けば、やはり彼女たちの現状が気にかかる。


「それで、その魚を調べれば何か手がかりがあるのではないかと」


朱音の言葉に茉白は静かに頷く。


「私の友達——十和田君っていうんですけど。彼、大きい病気なんかしたことないぐらい元気だったんです。大学にもバイトにも普通に行っていたし、ただの病気とは違うんじゃないかって思っていたところで、その魚を見るようになって……」


 そう言って茉白は視線を落とす。魚に命を食べられてしまった人やその周りの人の様子を直に知ると居た堪れない。

 けれど、確認しておかなければならないことがある。和真は遠慮がちに茉白に声をかけた。


「失礼ですけど、漆間さんは何か大きな怪我をしたとか、病気に罹ったことはないですか?」

「いえ、私もそういったことはなくて……」


 和真の問いに茉白は首を横に振る。それから少しだけ間を空けると意を決したように視線を上げた。


「なんでもいいんです。もし何か知っていたら教えてもらいたいんです」


 腕を掴んで引き留められた時とはまた違った必死な様子が伝わってくる。どうするべきなのかと悩ましく思っているうちに朱音がそれに応えた。


「私たちもまだ詳しいことは分かっていないんです。ですから、漆間さんにお答えできるようなものはなくて」


 それは半分本当で、半分は嘘。何も分かっていないわけではない。けれど、今分かっている事情を伝えるには不安要素が多すぎる。朱音があえて分からないと伝えたのは彼女の身を案じてのことなのだろう。


「そうですか……」


 朱音の返答に茉白は明らかに気落ちした。朱音もまた申し訳なさそうに言葉を続ける。


「もし何か分かったことがあったらお話しますし、十和田さんの意識が戻るきっかけが分かったらできる限りを尽くします。……今はそれでも大丈夫ですか?」

「……はい。無理を言ってすみませんでした」


 茉白はそう言うと深々と頭を下げた。申し訳なさそうに詫びる姿がどうしても頭に残る。


 茉白と別れた後、命を捕食した魚を見つけてそれを媒体に海を渡った。今回は白と青で彩られた風景が四人を迎え、いつものように海を散策する。中で倒れている人を発見し、以前のような襲撃も受けることなく現実世界に戻ってきた。


 現実世界に戻ってきた後、四人は義明が営む喫茶店に足を運ぶ。見慣れた扉を潜ると、おかえりと言って義明が四人を迎えてくれた。ごく当たり前のように迎えてくれることに安堵し、改めて元の世界に戻ってきたのだと実感する。


「桃香の夢、まさかこういうことになるとは思わなかったわ」

「……うん。それに、魚に喰われた人たちの周りの人、みんなきっとあんな感じなんだろうなって思うとさ」


 拓海は手元にあるレモネードのストローを静かにかき回す。

 すっきりしない気持ちと相反した小気味良い氷の音が微かに響く。桃香はチーズケーキを一口食べると、神妙な面持ちで隣に座る朱音に視線を向けた。


「朱音さん。茉白さんのこと……良かったんですか?」

「漆間さんは死に近しい体験がない。魚に触れて私たちのように海を渡ったこともない。それなら、わざわざこの件に深入りしないほうがいいと思うの。一ノ瀬君には申し訳ないけれど」

「え?」


「貴方が魚が見えるようになった経緯とよく似ていると思ったの。だから、漆間さんや十和田さんのことが気になるんじゃないかと思って」


 朱音の言葉に和真はわずかに目を見張った。

 茉白のことを案じながらも自分のことにも気にかけてくれる。申し訳ないと思うことなんてないのにと思いつつ、和真はそれに応える。


「ありがとう。連絡先も交換したし、お互い気になることがあればいつでも連絡取れるから大丈夫だよ」


 そう言ったものの、朱音の表情は陰ったままだ。視線を落として紅茶のカップに両手を添えている。


「……改めてだけど、みんなも本当にこのままでいいか考えたほうがいいと思うの」


 それは様々な思いがこもった声音。朱音はどこか思い詰めた表情で言葉を紡ぐ。


「得体の知れないことには……やっぱり関わらない方がいいわ。だから」

「私は朱音さんが嫌だって言ってもお手伝いしますよ!」


 続く言葉を遮るように桃香が朱音に向き直って迫る。それに続いて拓海が少し不満が乗った声を上げた。


「俺だって朱姉一人に危ないことさせられないよ」


 そう立て続けに言われ、朱音は戸惑った表情をする。助けを求めるような視線を和真に向けるが、それに対して返す言葉は既に決まっていた。


「俺は前に言った時と変わらないよ」


 朱音は目を見張ると改めて三人を見渡す。それから安堵と感謝と申し訳なさが混じったような淡い笑みを浮かべた。


「……みんな、ありがとう」


 それから改めて一休み入れると、和真は五大元素についての話を持ち出した。説明の後、桃香が同じように調べていたことを話してくれた。


「私も魚を消失させる時の力の根源って、五大元素かなって思ってたんだよね。こうなると私たちと同じような人があともう一人いたりするのかな〜とも思ってて」


 残る元素は水だ。現状を鑑みると、桃香の言う通りもう一人自分たちと同じ境遇の人が現れると考えてもおかしくない。桃香の発言を聞いて朱音が複雑そうな表情をした。


「どうなのかしら……。必ずしも均一に要素が揃うことはないと思うんだけど。桃香が言うようにそうなるなら、嫌な感じがするわ」

「え?」

「だって変な感じしない? なんだか——揃わされてるような感じがする」


 拓海の発言に一瞬にして空気が張り詰める。

 和真は改めて今までのことを反芻する。朱音との出会い、拓海と共にクジラに喰われて記憶の底に沈んだまでは偶然と捉えていい。けれど、桃香はどうだろう。廊下で魚が彼女を追っていたのは本当に偶然だったのだろうか。不自然な程に整えられた道筋がうっすらと目の前に見えたような感覚がした。


 桃香はきゅっと口を引き締めると、意を決したように三人を見渡す。


「だとしても、私たちがやることは変わらないよ。それにもう一人協力してくれる人が現れるなら、心強いことこの上ないし」


 桃香の発言に拓海は目を見張り、それから淡い笑みを浮かべながら嘆息する。


「……ももは前向きだねぇ」

「それ前も言ってたよ?」

「褒めてるんだよ」


 拓海と桃香のやりとりを聞いて和真はふっと笑みを浮かべる。二人のおかげで張り詰めていた気持ちが緩んだ。


「桃香、また夢で何か見たら教えてくれる?」

「もちろんです」


 朱音の要望に桃香は嬉しそうな表情で返事をする。

 自分には何ができるのだろうと考えながら、和真は少し苦味の強いコーヒーを口にした。

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