第14話 海の果てで何を語る〈4〉
「信じてますよ」
和真の間髪入れない返事に驚いたような表情をしてから、朱音は少し困ったように笑った。
「いえ、違うわね……。なんて言ったらいいのかしら」
思いを整理するように朱音は目を伏せる。少ししてから彼女は穏やかな様子で口を開いた。
「正直、私も何でこんな事が起こっているかも、原因も分からない。なぜ命を喰う魚が存在していて、自分には見えるのか気にかかるの。記憶の海に囚われてしまった人のことを、そのままにしておくこともできないと思って。そんな中でもし貴方が少しでも力を貸してくれるなら……嬉しいわ」
それは可能性があるならば、行動を共にしてくれないかという朱音からの誘い。
思いを吐露するというのは思っている以上に難しいことだ。しかも、彼女が話してくれたことは常識から乖離していて、やりたいということは無謀に近い。
自分に何ができるかさえも分からない。身の丈になんて合っていないことも十分に分かっている。けれど、同じ経験をしている人が目の前にいるにもかかわらず、見知らぬふりをすることはできそうにない。
「それなら今度の土曜日の夜、空いていますか?」
「え、ええ」
やや脈絡が切れてしまった問いに朱音が戸惑ったように相槌を打った。和真は笑って言葉を続ける。
「土曜日、喫茶店でまた会いましょう」
和真の返事を受けて朱音は笑みを浮かべる。嬉しさと申し訳なさと憂いが混じった笑みだった。
「ありがとう」
約束を交わし、二人は現実へ戻るために小学校の敷地内へと足を進める。
境を超えた時、初めの時と違って水の膜を通るような感覚がした。境界を潜り終えると以前 と同じように周囲が水底の世界に変わっていて、微かな光の揺らめきを上から感じた。 綺麗だと思う反面、無音の世界に少しだけ畏怖を覚える。
どのくらいだっただろうか。境界をくぐって少しすると唐突に視界に色が戻ってくる。わずかに浮いた体がふわりと地面に着いた時、境界を渡る前にいた小学校に二人は立っていた。周りは暗く、街灯が辺りを照らしている。
「戻ってきた……んですかね」
「ええ」
朱音はそう相槌を打つと携帯電話を確認する。それを見て和真も慌てて自分の時計を見た。
腕時計の針は八時四十二分を指していた。前回の出来事を思い出してさっと血の気が引く。
「丸一日経ってるとかないよな……?」
「大丈夫よ」
そう言って朱音が携帯電話のロック画面を見せてくれた。そこには変わらない日付と、二十時四十二分という時間が表示されている。それを見て思わず素で和真はため息をついてしまった。
「よ、よかった……」
「初めて海を渡った時、私も随分時間が経った後に帰ってきて慌てたわ」
和真の様子を見て朱音は苦笑まじりに笑う。
初回に海を渡った以降は少し時間がズレただけで戻ってこられるようになったと朱音が教えてくれた。このぐらいの誤差なら寄り道をしてきたと言って誤魔化せる範囲だろう。
「一ノ瀬君、時計してるのね。普段から?」
「ああ、はい。親が高校受験の頃に渡してくれて。それからお守り代わりというか、なんとなく着けるのが習慣になってて」
和真は腕時計を見ながら盤面を指でなぞる。普段目に入るところに時計があるので必要性はあまりないのだが、つい習慣で身に着けてしまうのだ。
「……いいわね、そういうの」
朱音は微笑ましいというように笑う。羨ましそうに話す朱音の笑顔に少しだけ寂しさが混ざっていて、頭の片隅に残った。それから朱音は申し訳なさそうに口を開く。
「今日は本当にありがとう。今度会うのは土曜日の夜と言っていたけれど、昼間でも私は大丈夫よ?」
「すみません。それ、俺の都合というか、土曜日はバイトが昼間に入ってて……」
改めて会うならなるべく早い方がいい、と思って提案したのがその時間だった。自分本位だなと改めて思って和真は心の中でため息をつく。朱音は少しだけ目を見張ってからくすくすと笑った。
「分かったわ。それじゃあ、土曜日よろしくね」
そうして、夢のようなひと時は終わる。記憶の海で語られたことはまだ消化しきれなくて、納得するには時間がかかりそうだと和真は思った。
朱音を駅まで送り届けてから、和真は自宅へと足を向けた。
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