第13話 海の果てで何を語る〈3〉

 命を喰らう魚。これまで朱音が話してくれたことも現実離れしたものばかりだったが、その話は今まで以上に現実から乖離かいりしていた。頭と気持ちの整理はそう簡単につかなそうだった。


 様子を察してだろうか、魚を見つけながら話をしましょう、と言われて和真は朱音と共に記憶の海の街中を歩く。朱音によると命を喰らった魚はこの世界に散開していて、干渉された人を戻すには全て消滅させる必要があるという。また、命を喰らうのは人だけではなく、植物や他の動物も対象になっていることがあるらしい。ひとまず、今回命を喰った魚を探すために街を散策する。


 どうやら、この街並みも自分やここに迷い込んでしまった人の心象物らしい。過去に現実といた場所とは違う風景の中に立っていたことがあると朱音が話してくれた。


「魚自体は事故の後から見ていたんだけど、私がここを訪れたのは比較的最近よ。あの魚に初めて触れた時、いつの間にかここに立っていた。その日は魚の中で七色の光を帯びているものがいて、惹かれるように手を伸ばしていたの」


 魚に惹かれるように手を伸ばした。初めて魚に触れた時の状況が少し似ているなと和真は思った。そこでふと気になって、和真は朱音に問う。 


「魚が虹色の光を帯びてるように見えるんですか?」

「ええ、そう。命を喰らった魚はそう見えるの。貴方はそう見えない?」

「俺はいつも通り、透明にしか見えないんですけど……」

「見え方が違うのは、私の目に関係あるのかしら……」


 朱音が言うにはこの場所に来た時から異常なほど視力が良くなったそうだ。それこそ、意識をすれば遠く離れた人や場所でも見えるぐらいに。


「信じがたいわよね」


 朱音は自分でもそう思っている、というように苦味のこもった笑みを浮かべた。

 確かに記憶の海の話といい、今の目の話といい、にわかには信じられないことばかりだ。だから和真は何も言葉を返せなかった。仕方のことがないことと分かっているのか、朱音は特に表情を変えずに淡々と続ける。


「一ノ瀬君も気付いていないだけで、もしかしたら何か変わっているところがあるのかもしれない。何かいつもと違う感じとかはない?」

「……そういえば、ってくらいですけど。命を食べた魚はちょっと雰囲気というか、空気が違うという感じはするかもしれないです」


 そう言ってから和真は改めて周囲に注意を巡らせてみる。意識した途端、鮮明に今までと違うものを感じた。周りに微細な風の流れを感じるのだ。

 和真は改めて浮遊している透明な魚に触れる。周りと雰囲気の違うその魚は先ほどと同じように、風に引き裂かれるようにして消えていった。


「……風?」


 恐らく自分が感じていた違和感はこれに由来するのだろうと、和真は一人納得する。

 今度は自分自身に意識を向けてみるといつもより体が軽い気がした。この身の軽さを考えるときちんと制御できれば普通では考えられないような動きもできるのではないだろうか。

 それからしばらく二人は記憶の海を散策する。命を捕食した魚を数匹消滅させてから、和真はずっと思っていた疑問を尋ねた。


「でも、どうして五十嵐さんはこんなことを?」


 朱音はその問いに対してすぐには答えず立ち止まった。すぐ目の前に浮遊している魚を消滅させると、これで最後ねと呟いた。それから少しだけ間を空けて和真の問いに答える。


「単純にあの魚のことを知りたかったの。何故自分には見えるのか、その疑問が解けるんじゃないかと思って。そんな中で倒れている人を見つけたら、さすがに見て見ぬふりはできなかったの。貴方だって、同じ状況ならそうするんじゃないかしら?」


 質問が返ってきて和真はわずかに戸惑うも、すぐに思考を切り替える。

 自分に何ができるか分からないとしても、きっとおそらく声はかけるだろう。ここに来る前に見た喧騒が頭の中に蘇って、重なる。何が起こるか分からないまま、見過ごせなくて魚に手を伸ばした。


「何が起こってるか分からなくても見過ごせなくて。だから、貴方はここに来たんじゃない?」


 朱音は和真の考えを見越したようにそう言った。

 ただ、素直に彼女と同じかと言われればそうではない気がした。昔から透明な魚を見ていたけれど、何も起こらないからと自分はずっと見て見ぬふりをしてきたのだ。

 日常生活の中でも人に声をかけることは容易いことではない。異常事態なら尚更だ。和真自身、朱音とここで出会ったからこそ動こうと思えたのだ。それを正直に伝える。


「俺はずっと、魚のことをないものとして過ごしてきました。……一人だったら、動けなかったと思います。だからすごいなって」


 驚いた表情を浮かべた後、朱音はふわりと笑った。笑みが綺麗で思わず和真は視線を逸らして言葉を続ける。


「これで倒れた人に干渉した魚は全部ですかね?」

「ええ、そうみたい。じゃあ戻りましょう。案内するわ」


 朱音が先導して道を歩き出す。

 どうやら朱音の目は記憶の海から現実世界に戻る境界も視認できるらしい。初めて会った時にすぐさま現実世界に帰れたのは、彼女が自分の安否を気遣って誘導してくれたからなのだと改めて思い知らされた。


 ちなみに境界は記憶の海に来る度に変わるらしい。今回は訪れた場所から少し離れたところにある小学校だった。辺りを見渡した後、朱音は和真に向き直る。


「私は境界を見ることができるけど、もしかしたら魚の時と同じように感知の仕方が違うのかもしれない。一ノ瀬君、ここで何か感じたりする?」


 和真は辺りを見渡しながら様子を探る。何と表現したらいいのだろうか。記憶の海の張り詰めた独特の空気感と現実世界の喧騒が混じりあったような雰囲気だった。


「……そうですね、ここも雰囲気が周りと違います」

「それならよかった。もしもの時はそれを手掛かりに元の世界へ戻れると思うわ」


 もしもの時、と朱音が言うのは不慮の事態を想定しているのだろう。どこまでも人のことを考える人なんだなと和真は思った。拓海が朱音のことを慕っている理由が少しだけ分かった気がする。

 そんなことを考えていた時、もし、と言う呟きを聞いて和真は視線を上げる。視線の先の朱音は真剣で、少しだけ憂いの入った表情で和真を見ていた。


「もし、今日のことを信じてくれるのなら……もう一度あの喫茶店で会いたいわ」

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