第10話 変わりゆく関係〈2〉

 束の間の運動を終えて喫茶店に戻ると店は少しだけ人が捌けて席にゆとりができていた。先ほど座っていたカウンターに腰をかけると、義明よしあきが待っていたと言うように二人を迎えてくれる。


「おかえり。和真君も拓海に付き合ってくれてありがとう」


 程なくして二人の目の前に料理が運ばれてきた。ボリュームがあるハンバーグに白いご飯。ハンバーグの皿にはたっぷりと彩り良く野菜が盛られている。

 確かに拓海が夕飯を準備しておいてと言っていたのを聞いていたが、思いがけないもてなしに目を見張る。和真は申し訳なさそうに口を開いた。


「あの、これ……」

「運動してきたんだろう? しっかり食べておきなさい。二人とも育ち盛りなんだ」


 そう言って義明は悪戯っぽくウインクしてそのまま仕事に戻っていく。それを見て茶目っ気があるところは拓海と似ているのかなと和真は思った。


「今日は付き合ってくれてありがと。じいちゃんの料理美味しいから食べてって」


 拓海はそう言うと手を合わせていただきますと挨拶をしてから食事を始めた。ここまでしてもらっては断ることもできないので、和真もいただきますと言ってハンバーグを口にする。

 厚めの肉塊を割ると中から肉汁が溢れ、口に含んだ途端肉の旨味が濃厚に広がる。自然と溢れた感想は至ってシンプルなものだった。


「……美味い」

「でしょ?」


 拓海は自分のことを褒められたかのように満面の笑みを浮かべた。

 少し甘めのソースとよく合っていて自然とご飯が進んでしまう。付け合わせのサラダもレタスなどの葉物だけではなく、かぼちゃやトマトなど野菜がふんだんに使われていた。緑黄色野菜の彩りが豊かで食べ応えがある。それからは二人とも会話をすることなく、食べることに集中してしまった。 


「ごちそうさまでした」

「口にあったかな?」

「はい、すごく美味しかったです」


 それは良かったと義明は優しい笑みを浮かべて空いた食器を下ろす。


「他のも美味しいんだ。今度試してみて」


 満面の笑みの拓海に勧められ、たまになら大丈夫かなと和真は算段をしてみる。その時、カランと店の扉が開く音が耳に届き、拓海の明るい声が聞こえた。


「朱姉」


 その呼び名に和真は思わず視線を上げる。その視線の先にはこちらに向かってくる朱音の姿があった。


「俺、勉強しなきゃだから。和兄、今日はありがと!」


 和真が呼び止める間もなく拓海は席を立ち、朱音に声をかけた。会話をする二人の表情は柔らかい。話し終わったのか、拓海は和真に向かって笑って手を挙げるとその場を後にした。


 一呼吸空いてから朱音の視線が和真に向く。どうしようかと思っているうちに朱音が歩み寄ってきて、拓海が座っていた席に腰を下ろした。飲み物を注文すると朱音が改めて和真に視線を向ける。


「こんばんは。今日はここで食事?」


 前回の物別れが印象に残っていて、正直なところ朱音にどう接していいのか分からなかった。何事もなかったように話すことができる朱音が不思議で仕方ない。和真は朱音と対照的にぎこちない返事をした。


「まあ……。テスト勉強の気分転換にサッカーに付き合ってきて。それでちょっと」


 和真の返答を聞いて朱音が少しだけ驚いたような表情をした。


「……拓海と随分仲が良いのね」


 確かに会ってからそれほど経っていない。自分というよりも拓海が社交的で色々話をしてくれるし、何かと気を遣ってくれているからのような気がするがそれを上手く説明する術がない。和真は思い当たる端的な事実を口にする。


「共通点とかがあるから……とか?」

「共通点?」

「俺の家も母子家庭で。お互いバイトしているし、親近感が湧くのかなと……」


 それを聞いて朱音はわずかに目を見張り、それから納得したような表情を浮かべた。そこでティーポットとカップが運ばれてきて、朱音は手慣れた手つきで紅茶を注ぐ。


「……そうなの。それなら貴方を頼りたくなるかもしれないわ」


「いや、そんなことは……。俺より拓海の方が色々先のこと考えているというか、しっかりしているというか。ただ、それでサッカー辞めちゃったのはもったいないなとは思うんですけど」


 そこまで言って和真は口を噤む。少し視線を落としてカップを見つめる朱音の表情が少し寂しそうに見えた。 


「……そんなことまで話したのね、拓海」


 普通ならそう簡単に話さない内容だったのだとそこで和真は気がつく。少しだけ沈黙が二人の間に流れた。

 不用意なことを言わないために聞いておきたいことがある。とても繊細な話で部外者が踏み込んでいいのかは分からない。けれど、この機会を逃したら誰にも聞くことができない気がして、和真は意を決して口を開いた。


「……その、拓海の両親は」

「拓海のご両親は……交通事故で亡くなっているの」


 朱音の答えに何も返すことができず、和真は口を閉ざす。

 それからどちらも喋らない無音の時が続いた。喫茶店内のこの空間だけ切り離されたような気分になる。紅茶を一口飲んでから朱音が静かに沈黙を破った。


「近い年で似た境遇の人がいるのは心強いと思うの。厚かましいと思うけど、拓海と仲良くしてくれると嬉しいわ」


 まるで自分は対象外というように朱音は言う。親しそうに話す二人の姿にはそぐわない言葉だった。自然と疑問が和真の口から零れる。


「……俺には、五十嵐さんも拓海に十分信頼されているように見えますけど」

「……私じゃ駄目なのよ」


 朱音の自己を否定する言葉に和真はそれ以上何も言えなくなる。どことなく居心地が悪くて、誤魔化すように和真は水を口にした。汗をかいたコップが火照る指先を濡らす。


 それから少し間を空けると朱音が向き直って頭を下げた。思いがけない行動に和真は狼狽える。


「あと、この間は失礼なことをしてごめんなさい」

「いや、あれは……。俺も自分のことばっかりだったので」

「重ねて申し訳ないのだけれど。……あの時のことは、忘れて欲しいの」


 朱音のその一言で和真の動きが止まる。緊張した空気が二人の間に流れるが、朱音は頭を下げたまま言葉を続けた。


「……いえ、忘れた方がいいわ。世の中、立ち入らない方がいいことがあると思う」


 それは何と表現したらいい声音だったろう。

 突き放すでもない、けれど優しさだけでもない憂いのこもった声音。忘れた方がいいと言った朱音の声が少し揺れているように和真には聞こえた。


「……分かりました」


 だから、和真はそれ以外の言葉を返すことができなかった。

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